孤独の戦渦


戦渦に居るはずの大佐と中尉がリゼンブールに訪れたのは、不穏な予感に駆られた1週間後だった。


はじめはそれが誰だか判らなかった。
髪は短くて、五分刈りと言うのだろうか?それに包帯をぐるぐると巻いていて、右目が覆われていた。
松葉杖をつくその身体には、右腕がなかった。
兄さんのように肩の辺りから無いのかもしれない。
頼りなく、袖が風に揺られていた。
それが、大佐とわかったのは、彼の副官が後で立っていたからだ。
きっと一人できていたなら、声を聞いても訝しんだだろう。
それほどまでに、その人は面影を残していなかった。


玄関に立ち尽くしたまま、沈黙が続く。
その人は、ボクを見ては、口を動かそうと努力していたが、最終的には噤んだ。
ボクは知っていたのだと思う。
この魂は、兄の血で繋がれているから。
後で、この様子を黙って、ウィンリィが見ている。
「兄が、死んだんですね。」
ボクが静にそういうと、その人は目を大きく開いた。
ボクをただじっと見て、動くこともしなかった。
後ろで彼の副官が、顔を背けたことでそれが事実になった。
ウィンリィはその場に崩れた。
振り向くことはしなかったけれど、それがわかった。
「どうぞ、入ってください。話を聞かせて欲しい。」


家の中に彼らを通すと、ボクは床に座って放心しているウィンリィを立たせて、ソファに座らせた。


もし、涙を流すことができたらどうしただろうか。


兄さんが前線への出兵命令が来たのは、旅先だった。
春も穏やかで、花が咲き乱れ、蝶が舞っていた。
視覚と聴覚以外の感覚があったなら、穏やかな春の風を全身で感じ、花の香りで胸をいっぱいにしたことだろう。
兄さんは、静にそれを受け取り、ボクと一緒にリゼンブールに帰った。
リゼンブールの駅にボクを置き去りにして、兄さんだけが東方司令部に向かった。
リゼンブール行きの列車の中で、ボク達は一言も話すことはなかった。
それからはボクは知らない。


その人は、ピナコばっちゃんがやっとのことで淹れてきたお茶が冷める頃に、ポツポツと話し出した。


「エルリック少佐相当官は、1週間前に殉職いたしました。」


ああ、きっとこの事実をはじめて口にしたのだろう。
ああ、きっとこの事実をはじめて実感したのだろう。


深々と頭を下げるその姿は痛々しかった。
顔色の悪いその人は、ゆっくりと頭を上げた。
「すまない。アルフォンス君。私は彼を守れなかった。いや、彼に守られてしまった。」


それはなんとなくだけど知っていた。
兄さんは大佐を愛していた。
それがどのような類の感情なのかは、ボクにはわからなかったけれど、確かに兄さんは大佐を愛していた。
そして、大佐も兄さんを愛していた。
2人が交わす視線は、言葉を交わさなくても何かを語っていた。
その関係をボクはとても綺麗だと思ったことを強く覚えている。


「兄は、貴方を守って死んだんですね。」
「ああ。」
「ボクは貴方を恨んだりしません。それがきっと兄の望むことだから。」


悲壮にくれた顔でボクを見上げるその人は、本当に誰だかわからなかった。


「少し、兄のことを話しても良いでしょうか。」


返事はない。
返事ができないのだろう。


「ボクは兄の血でこの世に魂を留めています。兄が死んだことで、ボクの魂が離れていくことはなかったんですね。」
それが、唯一の希望だった。
兄さんが死んでしまったら、ボクも消えてしまうとばかり思っていた。
だから、不穏な予感を感じても、高をくくっていた。
怪我をしたばかりかと。
「兄さんは、戦地から手紙をくれませんでした。」
今はもう秋で、春が終わり、夏が過ぎても音沙汰がなかった。
「兄さんは、ここへ帰る列車の中でも口を開くことはありませんでした。別れ際に、僕の手を握って、少しだけ笑ったんです。ボクはその手を握り返せませんでした。握り返したら、もう2度と放すことができないと感じたからです。ボクも、何も言いませんでした。いえ、言えなかったんだと思います。死なないでとか、怪我に気をつけてとか、早く帰ってきてとか、言えたらよかったんですけどね。」
泣くことができたのなら、僕は大声を上げて泣いただろう。
しがみついて、行かないでと泣いただろう。
そうしたら、兄さんは行かないでくれただろうか。
「この戦争が始まって、大佐が戦地入りしたと聞いた時から、出兵命令を受けるまで兄は常に上の空でした。呼びかけても応えず、ただじっと文献を貪っていました。だから、出兵命令を受けた時の兄さんの顔を見たときには、ボクが何もいえなくなったんです。」
ホテルに近くの駐屯所へ出向くようにと連絡が入った。
兄さんはボクに「付いてくるか?」と聞いただけで、それ以降ボクに話しかけることはなかった。
きっと、戦場へという意味だったと思う。
ボクは何も答えなかった。
答えは多分、きっと、絶対兄さんの望んでいる答えではなかったから。
紙切れ一枚の出兵要請。
兄はそれを受け取ると、えも言われぬ顔をしえ笑った。
そんなものを受け取って笑顔になる人間などいないと、駐屯地の司令官は不思議な顔をした。
「笑ったんです。だから、ボクは何もいえなかった。」


ボクはゆっくりと、嗚咽を漏らすウィンリィの掛けるソファに向かい、彼女の頭を撫でた。


「君の兄から、預かったものがある。」


大切そうに包まれたそれを、その人の副官はボクに差し出した。
包みを開くと、赤い石が光っていた。


きっと、泣くことができたなら、大声を上げて泣き崩れただろう。


体調の優れないその人を、彼の有能な副官が車に押し込めて戻ってくるまで、ボクはその石を見つめ続けた。


「事実を集めた私の推論でしかありませんが、それでもよろしいなら。」
ボクはそれを了承した。


事のあらましはこうだ。


兄さんは、賢者の石を練成するために死んだと。
止めに入った、大佐が巻き込まれたと。


「じゃあ、兄さんが悪いんじゃないんですか。大佐は何も悪くない。」
「でも、そうは思っておられません。自分を責めていらっしゃいます。」
「兄さんは馬鹿だ。」


ボク達の理論は壁にぶち当たっていた。
賢者の石を見つけることも叶わなければ、それ以外の方法もわからなかった。
だから、兄さんは戦場へ行ったのだ。
どうせ命を奪うならと、彼らの命を賢者の石に練成しようとしたのだ。
だけど、それは同時に兄さんの命も賢者の石に練成されることになったのだろう。
だから大佐は兄さんを止めた。


「その日は、大総統の視察もあり、手柄を立てようとした下士官がミスを犯したんです。その所為で、大佐の師団は敵に囲まれ、退陣することもできませんでした。数が数だったため、大佐も打つ手がなかったのです。その時…
「中尉、もういいです。話している貴方が辛そうだ。」
「ご、ごめんなさい。止められなかった。みんな疲れていたの。だから、気づかなかった。気づいた時には遅かった…光が私たちを包んだと思ったら、大佐が腕を無くして帰って来た。」


大佐は何を感じただろうか。
目の前で兄さんが賢者の石を練成し、自らも消してしまったことを。
練成された賢者の石を見てどう思っただろう。
それを大事そうに抱えて歩く姿が浮かんだ。


「これで、君の身体を元に戻して欲しいと、最後にエドワード君は大佐に言ったそうよ。」


掌の上で赤々と光る石をぎゅっと握り締めた。
これが、兄の愛。







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