「あー、はじめまして。エドワード・エルリックです。声楽科2年です。」


深々とお辞儀をするそれは、普段彼から見て取れる高貴とかそういう言葉は見て取れなかった。
どちらかと言うと、柔和なイメージをかもし出していた。


「ロイ・マスタングです。ピアノ専攻科3年です。」


例に挙げるなら、オレの所属するピアノ科は、ピアノ科とピアノ専攻科に分かれている。
違いは中等教育か、高等教育かということだけで、本質的には変らない。
それぞれ、進級査定などもあるが、大抵の生徒はそれに合格し、高等教育に進む。
中途入学者もこの間に入るが、逆に挫折し退学していく生徒もこの間に辞めていく。
定期演奏会の演奏者は大抵専攻科から選ばれるが、彼は入学直後から選考会入りし、2回目の定期演奏会から常連となり、それと同時期に賛美歌を歌うようになり、前代未聞のミューズの称号を得た。
しかしながら、彼はまだ専攻科ではないため、頭に“ル・べべ”が付いているのだ。


はじめて近くで見た彼は、この世のものとは思えないくらい美しく創られていた。
蜂蜜色の金の糸は艶やかで、絡まることを知らなさそうだ。
珍しい琥珀色の瞳は、深く淑やかな視線を生んでいる。
肌も人のそれとは思えないくらい、白く澄んでいる。
それに浮かんだ紅い唇は、濡れており淫猥な香りがしそうだ。
細い肢体は、どこからあんな声が出てくるのだろうかと、不思議に思うほどだ。


「あんた、綺麗な顔してるのな。ギリシャの神話から出てきたみたいだ。」


しっとりと覗き込むように見上げる彼は、艶かしかった。
詩人さながらの彼の言葉は、それだけで旋律を奏でているようだった。


「ル・べべ・ミューズ、あなたに褒められるなんて、光栄極まりないです。」


意地の悪いしゃべり方をしてしまったかなと、オレはル・べべ・ミューズの顔色をうかがった。
すこぶる上機嫌を映し出したその顔の裏では、怒りがこみ上げているとすぐわかった。


「ル・べべ・ミューズ。オレはその呼称が嫌いで仕方がない。」
「そうかい?では、なんと呼べば良い?」
「普通に名前で呼べばいいだろう?」
「それは、ミューズに対して恐れ多い。」
「やっぱり、あんたも違う名前で呼んではくれないのか。」
「誰しもが、あなたを尊敬し、憧憬の念を抱く。」
「オレは、ただの餓鬼だよ。」
「それは己の見解であって、他者が望む姿ではないな。」
「オレは、そんなこと求めていない。」
「求めようが求めまいが、それが事実であり、現実だ。」
「認めない。」
「現に、あなたは白い制服を着て賛美歌を歌い、定期演奏会には異例の曲数で出演する。」
「それは…。」
「では、認めるのがあなたの責務であり義務であると、思うのが定石だろう。」


黙りこくる彼は、今にもその大きな瞳から涙を流しそうだった。


「ル・べべ・アムール。あなたが悲しむと、学院が騒然とする。」
「オレは、悲しむことすら許されないのか?常に気丈に優雅に振舞えと望むのか?」
「それが嫌ならば、全てから逃げてしまえば良い。」
「オレは、ただ歌いたいだけなのに…」
「では、全てを諦め、受け流していけばいい。そのうち君の声は…


オレは頬に衝撃を感じた。
脳の芯から痛む。


「そうだよ。声変わりが来たらオレは終わりさ。だが、声変わりが来たらだがな!」


左手を押さえ込む彼は、歌うそれとは違う呻くような声を発していた。
年のそれよりも幼く見える彼は、これ以上成長しないとばかりの、危うさを持っている。
それが真実であり、事実ならば、彼は一生ミューズには成れず、ル・べべ・ミューズのままなのだ。


「誰が?」


恐ろしい気持ちでいっぱいになったが、聞かずに入られなかった。
聞くことで彼を攻め立て、貶めていることに気づいてはいたが、それよりもル・べべ・ミューズのスキャンダルに興味が注がれていた。
多分、大いに腫れているであろう右頬の仕返しも含まれていた。


「一流ゴシック気取りか?いいよ、あんたになら教えてあげる。」



彼はオレの胸倉を掴み口元に引き寄せた。
甘美な声で彼は囁く。


「神父だよ。」


そして、オレを突き飛ばして笑い始めた。
その声が講堂に響き渡る。


「まさか。」


オレは聞く耳を疑った。


「まさかなもんか。あれは修道だよ。オレはあいつに何度も抱かれ、そして、玉を切られた。」


その顔は泣いていた。
美しく大きな瞳を見開いて泣いていた。


「いままでの伴奏者もそうだ。オレを手篭めにした。あんたも、そうだろう?」


ピアノにもたれかかり、こちらをにらむ。
その眼光は鋭く、射るようなものだった。


「それは懺悔か?」
「いや、違う。」
「では、なんだ?」
「これがオレの免罪符だ。ミューズなんかでは無い。わかっただろう?」
「それでも、その仮面をかぶらなければならない。」


静に泣き止むと、こちらを見据えた。


「あんたは、他とは違うみたいだな。」
「それはどうも。」
「オレのこと、ル・べべ・ミューズだなんて、思ってもいないだろう。」
「そんなことはありませんよ。」
「その揶揄する口調がそうだよ。」


オレは軽く笑って、同じようにル・べべ・ミューズを見据えた。
確かにこいつは神に近いところにいる。
贄を神に捧げ、その賜でル・べべ・ミューズという玉座に座っている。


「選んで正解だ。オレとあんたは似てる。」
「それはそれは、光栄でございます。」


そういうと、彼は大きな声で笑い出した。


「今の、本気にした?」


訳がわからない。


「冗談だよ。たまは健在だよ。」


ル・べべ・ミューズはとんでもない糞餓鬼だ。
大笑いする目の前の糞餓鬼は、それでも、誰よりも高貴で気高いものだとかんじた。







第2話
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