「今までの、伴奏者とオレは決定的に違っただろ?」
「そ、それは。」
「お前の音を最大限に引き出せるのは俺だけだ。違うか?」
「そ、そうだよ。初めてだよ。あんたを手放したくないんだよ。」
普段の彼とは違う、まるで子供のような表情。
顔をぐしゃぐしゃにして、オレにすがってくる。
オレだけの特権だ。
他の誰にも渡してなどやらない。
「よく言えました。」
そして、オレはル・べべ・ミューズを引き剥がし、その御前に跪いた。
「ル・べべ・ミューズ。わたくしはあなたに永遠の誓いを立てます。」
そして、御手を取り、口付けた。
「あなたの御許で、わたくしに最高の快楽と栄光をお与え下さい。」
彼は、笑った。
その顔は、教会に描かれている天使のそれだった。
慈悲と敬愛…すべての慈愛を身に纏いそれを与える。
ル・べべ・ミューズ。
いや、ミューズに愛されし神の子よ、我を導きたまえ。
しかし、次の定期演奏会の選考メンバーにオレの名前は入っていた。
「あ、オレが頼んだ。」
「なんだと?」
「お前、オレの伴奏と、ソロ、両方やれ。」
「は?」
「オレの曲目はもう、練習してるだろ?大丈夫。お前ならやれる。というか、やってもらわねぇと困るんだよ。」
「お前の都合か?」
「いや、あんたの。」
定期考査で、オレはなんとか主席にかじりついた。
猛勉強の末でだ。
しかし、そのお陰でオレは極度の睡眠不足と、注意散漫で授業中に寝こけると言う失態を犯した。
シスターや教師から叱られると言う行為をはじめて受けた。
大スキャンダルだ。
選考メンバーに選ばれずとも、定期演奏会にはそれよりも栄誉のある演奏者として出場すると、高をくくっていた。
選考メンバーに選ばれれば、その課題曲を練習しなければならないし、それは断ることすらできないものであった。
世間では、ル・べべ・ミューズに選ばれたと、オレが鼻高々で気が抜けているのだろうと思われているようだった。
その払拭作戦がこれらしい。
「あのな、人の噂なんて放っておけばいいんだよ。」
「だがな、仮にもル・べべ・ミューズの伴奏者だ。しかも前代未聞の2回目の。」
「実力を測ると。」
「本来ならば、お前はこの時点でソロでの演奏を確実に約束されていたんだ。それなのに…」
「わかった。わかった。ようは受かればいいんだろ?」
「投げやりなのに、自信たっぷりだな。」
「まあな。オレにはル・べべ・ミューズが付いている。」
「生き神か?」
課題曲は大抵、誰も練習したことがないようなマイナーな曲が選ばれる。
ぞれにプラスされて自由曲が2曲。
これは選考審査時にどちらか1曲がその場で指示される。
選考会まで2週間を切っている。
しかも今回は、お茶会と称される多額の寄付金を納めているブルジョワの集まりでの演奏が控えている。
当然ながらル・べべ・ミューズがそれに出席する。
いい演奏ができれば、それだけ寄付金が集まるのだ。
毎度、乗り気ではないと言う彼は、いまいち練習にも身が入っていない。
「歌うのはいいんだよ。問題はその後だ。おしゃべりの相手までするなんて、気が重いんだよ。」
不定期に行われるこのお茶会は、自分を売る最大のチャンスである。
ル・べべ・ミューズ以外にも、それぞれの科から数名選ばれる。
指名するのはもちろん、ブルジョワ達だ。
定期演奏会で見つけた各々のお気に入りを指名し、お茶会に参加させる。
「わたしも、お茶会に出席するわよ。」
「だろうな。」
「あと、弦楽科からは例の2人。あと、管楽科からも何人か。」
「へぇ。」
「いいわよね。ピアノ科って、おこぼれに預かって伴奏ができるんだもの。」
「おまえは、それの常連だったろ?」
「まあね。でも、肩身が狭いわよ。誰も、話しかけてくれないもの。隅でちっさくなってるのがおちね。」
「あはは、今回はオレもその仲間入りか。」
ヒューズは管楽科の伴奏を頼まれているらしい。
伴奏ね。
今となっては、妙にすんなりと納まってはいるが、つい先日まで頑なに拒否していた頃が懐かしい。
とはいっても、ル・べべ・ミューズ以外の伴奏をしようとは思わない。
「いいか、言っておく。オレが何されようが、どこに連れて行かれようがお前は一切関与するな。そして、興味を持つな。気にするな。」
「は?」
「絶対に、お前は会場から外に出るな!」
そう、うるさく言うこいつは華やかなフリルのシャツを着ている。
定期演奏会とは違い、主役はドレスなどで身を飾ることを強制されている。
もちろん、ブルジョアが指名した生徒にプレゼントするのが通例らしい。
「見ないでもらえる?」
「そう言われても、待機室が一緒だし。」
「それでも、見みないでほしんだけど。」
リザは、見事な真紅のドレスに身を纏っている。
他のそれとは違うシンプルなドレスに、趣味の良さを感じた。
しかし、胸元が大きく開いているのは、どういった趣向だろうか。
しかし、伴奏者は黒の制服で出席。
さびしい限りだ。
オレは最後の演奏で、ル・べべ・ミューズとは別室待機のため、暇をもてあましていた。
今回は4曲。アカペラなし。
譜面を持って袖で待機する。
後に人の気配を感じて振り向くと、ル・べべ・ミューズが神妙な面持ちで立っていた。
緊張しているそれとは違う空気で、オレは思わず息を呑んだ。
演奏は好調。
波に呑まれるこの感覚は、すでにオレの五感を麻痺させていた。
呈のいい麻薬だ。
でも、今回は少しおかしかった。
ル・べべ・ミューズの音には淫猥さがあった。
曲目的にも間違ってはない歌い方だが、誰かを誘っている、そんな感じだった。
オレは更にその音に酔った。
背筋がゾクゾクと、指先の神経までがその毒に侵された。
まだ、恍惚感の中にいたオレの背中を思い切り蹴り上げ、罵声を浴びせる彼は、ル・べべ・ミューズとは到底呼べない糞餓鬼だと思う。
先ほどまでの彼はどこに行ったのだろうか。
「この変態。さっきので起ったか?」
「馬鹿言え。」
「お前は絶対にオレに話しかけるなよ。知らぬ顔して隅でかたまってろよ。」
「わかったよ。何度も聞いた。」
「それなら、いいよ。」
気になるが、気にしてはいけない。
お茶会は順調に進んでく。
あちらこちらで会話に花が咲いている。
お気に入りの生徒を呼び、話を弾ませる。
オレ達は見事蚊帳の外だ。
まぁ、見ていて、聞き耳を立てていて面白いので、文句は言わない。
「リザのところの奴無駄に若くないか?」
「そうだな。年もそう変らないように見える。」
「あれは、ハボック公爵のところの嫡子のジャン様ですよ。」
「へぇ。」
「年も、あまり変らなかったと思います。」
「ぼんぼんめ。で、あのドレスか。」
「見る目がいいな。」
確かに、リザは気立てもいいし、美人でスタイルもいい。
嫁選びかよと、オレ達は舌打ちをした。
しかし、当のリザは、嫌な顔一つ見せず、話を弾ませているようだ。
「やっぱり、あそこは人がすごいですね。」
「ル・べべ・ミューズ。」
「あれは別格…どこにいくんだ?」
「さあ。」
客の一人が彼を連れて席を立つ。
そのまま会場を後にし、残されたブルジョワたちは彼らでまた花を咲かせていた。
成金趣味のブルジョワ達の会話はここからでは聞こえなかったが、誰もがやらしい顔つきをしていた。
気が乗らない理由もわかる。
彼が戻ってくるまで、1時間弱。
そして、また別の客が彼を連れて出て行った。
そしてまた、1時間弱。
彼らはお茶会が終わる頃に戻ってきた。
「なにやってたんだ?」
「さてね。いつものことだよ。」
オレ以外は、お茶会のお味噌の常連だった。
「彼がお茶会が終わるまで、ここにいたのを見たことがないよ。」
「へぇ。」
お茶会は滞りなく終了。
いやに上機嫌のリザは、頬を薄桃に染めていた。
どことなくのろけを含んだ彼女の会話に、オレ達は少々呆れていた。
弦楽科の2人組がオレに近づいてきてるとは気づかずに、オレ達はリザをからかっていた。
強い力で後に引かれると、同じ顔が二つあった。
よく見ると、片方は琥珀の瞳をしていて、もう片方は翡翠の瞳をしていた。
「あなたが、ロイ・マスタングさんですか?」
「そうですが、なにか?」
彼らは弦楽科2年。
つまり、ル・べべ・ミューズと同じ学年だ。
彼らもまた、神童と呼ばれ、定期演奏会とお茶会の常連だ。
名前は…
「ボクはアルフォンス・エルリックです。」
「ボクはアルフォンス・ハイデリヒです。」
「兄がお世話になってます。」
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