ああ、ル・べべ・ミューズの弟。
兄弟ではないらしいが、彼らは良く似ており、二人はペアの演奏者でバイオリンとヴィオラをそれぞれ演奏している。
それは秀逸で、聞き惚れないものはいない。
ル・べべ・ミューズと同じで、彼らもまた特別視された人種だ。


「率直にお聞きします。あなたは兄のなんですか?」
「はい?伴奏者ですが…。」
「そうですか。」


遠くからけたたましい足音が聞こえる。


「アルー!!」
「兄さん。」


がしりと弟に間違わずにしがみついた。
その場にいたヒューズとリザは目を丸くして驚いている。
そりゃ、そうだろうとも。
普段の彼の様子からは、想像もつかない。


「久しぶり。何?どうしたんだ?」
「ちょっとね、兄さんのお気に入りを見ておきたかったんだ。」
「お気に入り?誰が?」


ダブルアルフォンスはオレを指差す。


「お前、オレのお気に入りなのか?」
「いや、オレに聞かれても困る。」


それから、用は済んだとダブルアルフォンスとル・べべ・ミューズは立ち去った。


ル・べべ・ミューズは他の生徒とは違い、個室が与えられている。
歴代のミューズが個室を与えられていたわけではない。
彼はどういった事情かは謎だが、そういった処遇だ。
彼は厳重に管理されたスケジュールに身をおいている。
起床時間も他の生徒より早いため、10時には就寝するように義務付けられている。
4時半には起床し、ミサに備えるのだ。
5時くらいまでは声が出にくいという彼は、起床からそれまで勉学に励む。
5時を過ぎると、教会で練習を始める。
早起きをすれば、彼の音が教会から聞こえてくると言う訳だ。
それを聞くためだけに、早起きをする信者も少なからずいた。
6時を過ぎれば、朝食を食べに食堂へ赴く。
食べた後も、すぐには声が出にくいという彼は、他の生徒が集まるまでには朝食を済ませていた。
7時には歌いだすため、そそくさと、白の制服に着替え2階へと向かう。
白い制服で食堂へ行くなど言語道断なんだ!
授業もほとんどと言っていいほど、出席していない。
それでも、首位を独占しているので、教師軍も文句が言えない。
だから、弟といえども、会う機会がないのだろう。


「いや、だからさ。久々に会ったからだよ。」
「何も咎めてないのに、勝手に言い訳をしているのはそっちだ。」
「なんだよ。聞きたいことがあるような顔しやがて。」


オレが聞きたかったのは別のことだ。
お茶会の日、どこへ行っていたかだが、聞かないでくれとうるさく言われた手前、聞けずにいた。
噂は色々。
初対面のあの日のこいつの言動もそうなのだが、そういう行為を強いられていると。
誘っているなんて話もあったが、それはないと思いたかった。
第一、そこまでして何が得られるというのだろうか。


「なにもない。練習しよう。」
「…。」
「なんだ?聞いて欲しいのか?」
「聞きたいんだろ?」
「オレは、約束は守るさ。」
「じゃあ、そんな顔してオレを見るなよ。」
「この顔は生まれつきだよ。お前の心にやましさがあるからそう見えるだけだ。」
「…。いいよ。練習しよう。」


ふてくされた顔。
まだまだ餓鬼だ。
ここで、オレが聞けばル・べべ・ミューズはどうなっていただろうか。


「アルと、アルフォンスって呼び分けてんだけど、二人似てると思う?」
「瞳を見れば区別が付くが、他は一緒だろ。」
「うーん、別に親戚でもなんでもないんだけどな。」
「そうなのか?」
「血縁関係は全くなし。でも、そっくり。不思議だろ。」
「へぇ。」
「調律師のロックベルっているだろ?あれと、オレと弟が幼馴染なんだよ。」
「じゃあ、お前の周りは天才ばかりか。」


ウィンリィ・ロックベル。
病的なまでに音を聞き分ける天才調律師。
彼女は音叉を使わずに正確に調律する。
そして、早い。
ロックベル家が代々この学院の調律を請け負っている。
彼女の祖母が引退し、今は彼女一人でこの広い学院の数多いピアノの調律をこなしている。
もちろん、彼女もここの生徒でもある。


「オレ、親とかいなくてさ、ロックベル家で育ったといってもいいくらいだ。」


初耳だ。


「だから、オレと弟は特待生を維持しなければならない。ま、才能もあるしな。」


彼らの境遇は、きっとゴシップになっていただろうがオレは興味の対象から外れていたため、知ろうともしなかった。
それをその時知っていたなら、彼に対する言葉のかけ方も違っていただろうか。
いや、知っていたならル・べべ・ミューズはオレを選んだりはしなかっただろう。
彼はそういう視線を嫌う。


「でさ、お前、噂とか聞いたりしたか?」
「あの席では自然と耳にする。」
「そっか。」
「別にそれについてオレは興味を持たない。そう約束したからな。」
「ありがとう。」


その時見せた彼の表情は、救いを求める子羊のようだった。
雨に打たれ、草もない荒野で、ただ一人立ちすくんでいるそれだった。
オレは、手を差し伸べるべきかと悩んだ。
オレにできることはこいつの音を最大限引き出すだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。


オレ達の時間が少しずつずれ出したのはそれからだった。
いや、はじめから重なってはいなかった。
重なっているのは旋律上の音の駆け引きだけであって、オレ達は…、少なくともオレはそれ以上の関わりを持つことをしなかった。
選考会用の曲の練習を始めたオレは、個人の練習時間を延ばした。
とはいっても、9時ギリギリまで彼と練習した。
授業に出て、専攻の授業を受ける。
少なくとも、5時までは体が自由にならない。
夕飯を食いっぱぐれるわけにも行かず、6時には食堂で腹を満たす。
で、大体7時から練習が開始される。
それまではほとんどの時間を彼と共有していたが、そうとは言っていられなくなった。


「まあ、普通だろうな。学生の本分は勉強だし。」
「その間、オレは一人で寂しく練習。」
「授業に出ろよ。」
「馬鹿言え、あんな稚拙な授業受けるだけ無駄なんだよ。」
「この学院かなりレベルが高いと思うが。」
「飛び級して、ロイと同じ学年にでもなってみるかな?」
「嫌味か。主席は譲らんぞ。」
「いらねぇよ。勝手に主席になってるだけだ。」
「八百長だったのか?」
「ばーか。全教科満点しか取れないんだよ。」
「それはそれは。」
「じゃ、オレは寝る。ロイは、まだ練習するのか?」
「そうだよ。おやすみ。」


ル・べべ・ミューズの練習には講堂があてられている。
そのため、自分の練習をするのにオレは練習棟へ足を向ける。
練習棟は寮の裏手にあるため、自然と送る形になる。
そのまま講堂で練習すれば言いとル・べべ・ミューズは言うが、そういうわけには行かない。
規則は守らなければ。
これから、2時間ほど練習して寮に帰る。
点呼などは練習の都合上行われないが、12時を過ぎても練習することは基本的に認められておらず、それを過ぎれば寮の扉は施錠されてしまう。


「なぁ、オレもついて行っていいか?」
「明日、声が出なくなるぞ。」
「う…ん、じゃ、やめとく。」
「そうしておけ。」


何度かそういう会話をした。
あまり一人では居たがらない彼は、一人部屋を嫌っているようだった。
その割りに、オレや兄弟以外とは一定の距離を保っている。
時に昼食時、ヒューズ達の輪に招くこともしばしばあったが、それでもオレを通しての会話だったりと、人見知りの激しさを目の当たりにして、驚いている。
割と早く打ち解けられたオレは、どういう基準だったのだろうか。


彼の思惑通り、オレは定期演奏会で演奏することとなった。
午前はル・べべ・ミューズと練習。午後からは定期演奏会の練習。
見事にまた、授業に出ない日々が続いた。
それでも、オレは頼りないランプのあかりで遅れを取り戻した。


考査中は一切の練習が禁じられる。
といっても1日半だ。
1日目は12教科、2日目は7教科の考査が行われる。
練習する暇がないといえばそれまでだ。
そして、どうにか主席にかじりついた。
今回は前回とは違い僅差ではなく、通常通りの大差だ。


「お前、いつ勉強してるんだよ。」
「君ら凡人にはわからないさ。」


勉強時間は確かに減ってはいた。
しかし、オレの脳みそは、水を吸う海綿のように、どんどん知識を吸収した。


「ああ、それはオレのお陰だよ。」
「はい?」
「オレの声?脳みその活性化に効果的らしい。」
「はぁ。」
「常にオレの声を聞いてるからだろうな。」


確かにそうかもしれないと、思わせるところが不思議なところ。
いや、実際にそうかもしれない。
ル・べべ・ミューズとして教会で歌うようになってからというもの、学院の学力レベルは数段に上がっているらしい。
なんたって、バカロレアへの現役入学者の数が圧倒的に増えたという、事実もあるのだ。


「なあ、ロイ。今度の日曜、外出届もらって、街に行こうぜ。」
「そういうのは学友や弟としてろ。」
「いいじゃん、行こうよ。」


徒歩1時間下ったところに町がある。
そこでは、週に1度の外出を満喫するものもいれば、苦学生はバイトをしていた。
大きな町ではないが、迎賓の宿泊先などもあるため、それなりの町だ。


「ああ、買い物もあるし。いいか。」


オレはランプの油を支給以上に使っているため、自腹を切ることにした。
事情を説明すれば免除されるのだが、それだけは嫌だったので、財布の紐を解くことにした。
オレの家は男爵家だが、そこまで裕福でもないためできるだけギリギリの生活をしようと試みてはいる。
ここの学費も馬鹿にはならないのだ。
次男坊ということもあり、爵位を継ぐことはない。
それならと、流行の演奏家にでもなろうとした次第だ。


練習もあるが、せっかくなのでオレ達は午後いっぱい、夕飯まで遊ぶことにした。
羽伸ばし。
窮屈な生活から一時開放された気分だった。
しかし、制服の着用義務。
外出をするときは、黒の制服に学院のマークの入ったトレンチコート。
一目見ただけで、学院のそれだとわかる。
しかし、一歩外へ出てしまえばそこは楽園だ。
走ってもシスターの目は光らないし、話しながら歩いても怒られることはないのだ。


「オレ、ケーキ食う。」
「お前、甘いものを食べたいがための外出か?」
「それもある。」
「お前には勝てネェな。」


オレ達はそれぞれの買い物にと別れた。
別行動するなら、一人で外出すればいいじゃないかとも思ったが、道中のことを考えるとやはり一人ではわびしい。
オレは、古道具屋で油を探した。
安い分燃費は悪いが、それでも新品の油を買うよりは数段お得なのだ。
他にもそれを狙う生徒がいるため、その古道具屋は学院の生徒が数名いた。
油は、主人が容器に入れてくれる手法なので、他の客が購入している間、オレは店内をうろついた。
珍しいペンや見たことのない道具などが多く、見るに飽きなかった。
中には物々しい甲冑や、今にも動きそうなビスクドールがあり、目を合わせずにその場を去ったりもした。
綺麗な宝石箱や、香水入れ、鏡なんかが丁寧に陳列されていた。
本も数多くあり、オレはその中の1冊を手に取った。
読み捨てられたそれとは違い、丁寧に扱われてきたのがわかる1冊だった。
綺麗な装丁に目を奪われ、この本も購入することにした。
どうせ、オレはこの後することもなく、あいつが戻ってくるまで待ち合わせの喫茶店で、時間をつぶさなければならなかった。


その間、彼がどこでなにをしていたかはオレは知らない。
珈琲を注文し、冷ましながら古本に目を通した。
さほど面白くない純文学だったが、暇つぶしには恰好だ。
値段も元値の10分の1ぐらいであったので、自室の本棚の肥やしになると思えばいい買い物だった。
なにより、装丁の赤の色が綺麗だった。


気が付けば約束の時間をとうにすぎていた。
しかし、夕飯までは余裕があったのでさほど気にも留めなかった。


「ごめん、遅くなった。」
「待ったよ。珈琲1杯で粘るのは大変なんだ。」
「悪かったって。もう1杯飲むか?おごるよ。」
「いいよ。もう、夕飯まで間もない。」
「そんな時間か。」


本当は彼を問いただすべきだった。
遅れた理由、どこで何をしていたか。
でも、オレはしなかった。


いやに、蒼い顔をしていた。
先ほどから何度も何もないところでつまづいている。
馬車を呼ぼうかというのだが、頑なに拒否された。
彼は頼りない足取りで、歩く。


「大丈夫か?」
「心配ない。」


それでも、その理由をオレは問わなかった。







第3話
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