主よ、我をばとらえたまえ、さらば我が霊は解き放たれん。
我が刃をくだきたまえ、さらば我が仇に打ち勝つを得ん。

我が心は定かならず、吹く風の如く絶えず変る。
主よ御手もてひかせたまえ、さらば直き道踏み行くを得ん。

我が力は弱く乏し、暗きに彷徨い道に悩む。
あまつ風を送りたまえ、さらば愛の火は内に燃えん。

我が全ては主のものなり、主はわが喜び、また幸なり。
主よ、御霊を満たしたまえ、さらば永遠の安らぎを受けん。

                          【賛美歌333番/主よ我をば】








An Gel

第3楽章 Waltz











「ロイ・マスタング。貴様、兄さんに何をした!」


突然、後から豪快に蹴りを入れられたオレは、その場に倒れた。
さすが兄弟よく似ているが、ヴィオラ演奏者よこの暴挙を止めてくれてもいいだろう。


様子がおかしかったのはそうだが、大丈夫としかあいつは言わなかったし、練習も行くと言い張っていた。
しかし、オレは紳士的に寮まで送り届け、自室に戻ったのだ。
感謝されこそはすれ、蹴られることはないはずだ。


「なんのことだ。」
「今日は、お茶会はなかったはずだ。」
「なかったが、それがどうした。」
「2人で町に行ったんだろう?そこで何をしていたんだ?」
「町に行って買い物をした。それだけだ。」


何を言わんとしているのかわからなかった。


「それだけ?じゃあ、なんでに…


もう一人のアルフォンスが口を塞いだ。
ル・べべ・ミューズの弟は大暴れしているのにも関わらず、涼しい顔をして押さえ込んでいる。
手練だ。


「僕らの練習室まで、一緒に来ていただけますか?」
「これから、ル・べべ・ミューズと練習なのだが。」
「彼は今、部屋で寝ていますよ。」


付いていくしかなかった。


「一応、ご存知ですよね。お茶会の件は。」
「噂なら。」
「彼は今、ブルジョワの猫になっています。」
「兄さんが望んだわけじゃない。」
「本来ならば、止めるべきなのでしょうが、彼は止めることも望んではいません。」
「では、なぜ。」
「彼は恐れているのです。歌えなくなることを。」
「声変わり?」
「そうです。彼は人よりも成長が遅く、声変わりもまだです。」
「だからって、」
「歌えなくなった彼は、死んでしまうでしょう。」
「それと、これとどういう関係があるんだ?」
「彼は、この学院に貢献しなければならない。学費免除も彼の声が続くまでだ。」
「だから、身を売っているのか?」
「それは、正しくもあり、間違ってもいます。」
「つまりは、兄さんは歌えればいいんだよ。」
「その行為は、男性ホルモンを低下させると言われています。」
「だから、男に抱かれるというのか?」
「そうです。それが真実であるのか否かはわかりませんが、そう言って彼らは彼を抱いています。」
「その話は事実であるか否か。」
「それはあなたの信じる方で結構です。」
「真実はル・べべ・ミューズのみぞ知る。」


神は彼に何を与えたのか。
絶望だけか?
才能という絶望の闇か?
ボーイソプラノの運命は知れている。
声変わりの後は使い物にならない。
使えたとしても、合唱隊にでも入って細々と声を発するだけだ。
それが嫌なら、睾丸を落としてしまうしかない。
そうすれば、声を保つことができるらしいが、ボーイソプラノ自体が希少であるため、その真相は定かではない。
少年少女聖歌隊が関の山だ。


「オレに問いただせというのか。」


鍵盤を酷く叩いた。
指が痛む。
彼は講堂には現れなかった。
それがなによりの証拠に思えた。
今日、誰と会っていた?


次の日はいつもどおり、彼は白い制服を身に纏い、教会で歌った。
そして、オレ達は講堂で練習した。


「昨日は、身体の調子が悪くて、休んじまった。弟が伝言に行ったと思うが、会えたか?」
「会ったよ。」


なんとなく、目を合わせずらかった。
それが噂でないと感じた瞬間から、彼はオレの中で地に堕ちていた。


顔色が幾分優れないようだった。
練習の合間合間で彼はピアノにもたれたり、その場にしゃがみこんだりしていた。
しかし、オレは声をかけることもせず、そ知らぬ顔をした。


「おまえ、なんか今日変だぞ。」
「いつも通りだよ。」
「いや、おかしい。」
「おかしいのは、お前だ。なんで…」


顔に出ていたのだろうか。
つい、つい、口を滑らせてしまった。
オレにはなんの権限もないのに。


「あ、弟達に聞いたか。そうだよ。昨日は、前に抱かれそびれた公爵に会ってた。」


彼は、悪戯を咎められた子供のような顔をした。
青白い顔がより一層、深く沈んだ。


「あんたになら、話してもいいかも。でも、全部聞いてオレから逃げたくなっても逃がさないから。」


彼は立つことも辛そうだった。
今にも泣き出してしまいそうな声を必死に吐き出していた。
話すことが辛いのか、体調が優れないのか、どちらでもあり、どちらでもないようだった。
だが、オレは多分、全てを聞いたとしても逃げ出したりはしないと、不思議と思った。


「はじめてお茶会に出た時に、強姦されたんだよ。まぁ、何も知らないでのこのこと別室について行った俺が悪いんだけどさ。無知って恐いな。良い声で鳴く猫がいるって言う噂があっという間に流れてさ。なし崩しに今のような状態になったわけ。オレ、本当はただ歌えればとかったんだけど、周りはル・べべ・ミューズなんて言ってもてはやすし、そのお陰さまで理事長には寄付金が増えたって感謝までされて、特別待遇なんか受けて、引くに引けない状態でさ。はじめて会った時言ったろ?伴奏者がオレを手篭めにしようとしたって。あれはマジだぜ。何度襲われたことか。何回かはどうにか逃げたけど、駄目だね。逃げ切れるもんじゃない。お茶会の噂とか出してくると、逆らいきれないんだよ。俺としてはどうでもよかったけど、あっちの噂が立つと、寄付金おじゃんになるし。だから、頑張って我慢してきたんだよね。多分、弟が男性ホルモン云々の話してたと思うけど、あれデマだし。そういうこと言ってたのとかいたけど、結局この声のままでいたかったら、切っちゃえばいいわけだし。でも、そこまでして、この声のままでいようなんて思ってない…し。」


そこまで言って、彼は大きく息を吐いた。
オレ達は子供なのだ。
だから、何かの後ろ盾なくしては生きていけない。


「よく、我慢したな。」


オレは、こいつが一番欲しい言葉だと思う言葉を口にした。
彼は、泣きじゃくり、しがみついた。
抱いた肩が、あまりにも細くて、心が痛んだ。
体重を預けられているはずの両腕は、ちっとも人の重さを感じなかった。


「そんなに泣くと、明日声が出ないぞ。」


静かにうなづくが、泣き止まなかった。
彼が泣き止んだ時には9時をとうに過ぎ、寝息を立て始めたときだった。
呆れ半分、オレはこいつをかかえて寮に戻った。
部屋は知っている。
最上階の階段に一番近い部屋だ。
意外に軽いル・べべ・ミューズを抱えてそこへ向かった。


部屋を開けると生活感というものがなかった。
どれも似たようなものなのだが、それでも多かれ少なかれ荷物というものがある。


中等教育は基本的に、1、2年が10人部屋、3年が6人部屋で生活する。
高等教育に上がってもそれは同じで、1、2年が4人部屋、3年に上がると2人部屋になる。
バカロレア進学者などを考慮してだ。




NEXT>>