「オレ、町に行ったあの日、切られちまったんだ。おかしだろ?オレは誰のものでもないのに、誰かのものになるならって、ありえないだろ?オレは望んじゃいなかった。」
「どうしてほしい。」
「死にたい。女を抱くことすら、子供を作ることすらできないんだ。」
「歌えるのに?」
「永遠なんてないんだよ。なあ、ロイ。オレは間違ったのか?どうすればよかったんだ?町へなんて行かなければ良かったのか?しかたがないじゃん。呼ばれたら、行くしかないじゃん。だって、そうだろ?オレは捧げられた生贄なんだからさ。」
「おまえは、どうしたい?」
「どうしたいんだろうか。このままオレは成長もせずに、老いていくだけだ。気持ちが悪い。」
「オレが側にいてやるだけじゃ駄目か?」
「馬鹿言え、おまえはいずれ好きな女ができて結婚する。オレを忘れてな。」
「信じられないなら、二人で死ねばいい。」
「悲しむよ。」
「構わないさ。ル・べべ・ミューズを永遠に手に入れられる。」
「あはは、違いない。」
「でも、今を生きよう。それからでも遅くはない。」
「ああ、あんたがバカロレアに行ってしまうまでに結論出せばいいんだ。」
本気で生きる希望を失った目だ。
本当にもう、彼は男性ではないのか?
あの日に、彼は…。
練習に身が入らなかった。
「夢?」
「そうだよ。お前、卒業したら何になりたかったんだ?」
「教会で合唱団の指導員がやりたかったな。」
「なんで、過去形なんだよ。」
「あはは、そうだな。」
彼の音は日を増して神々しくなっていった。
意識が神に近いところに行ってしまったからだろうか。
そして、彼は頻繁に熱を出し、寝込むようになった。
練習に参加しても、焦点の合わない瞳で歌うだけだ。
オレは一人練習する日々が続いた。
彼が2階で白い制服を着て歌う回数が減っていった。
初めて定期演奏会の出演者に彼の名前が出なかった。
体調を考慮してなのか、何なのかはわからなかった。
信者たちはル・べべ・ミューズへの貢物をオレに渡していく。
オレは、1日に2度彼の部屋を訪れた。
貢物を持っていくためと、感覚だけでもと、オレの伴奏と彼の音を合わせるためだ。
基本的な彼の介護は弟がやってはいたが、それでも、食事を手伝ったりした。
彼はベッドの上でか細い声でずっと歌っている。
歌っているか眠っているかだ。
食べても戻す日々が続き、教師面々も異常事態と彼を入院させた。
簡単には外出できないこの学院。
彼の容態は気になってはいたが、弟とすら会えなく、状態を把握できていなかった。
「兄は、長くないそうです。」
いつものように彼は、オレの背中を蹴り飛ばした。
「な、…。」
「あの後、何の処置もないまま兄は普通に過ごしていた。そこから身体が腐っていっているそうです。ホルモンバランスも崩れて今、兄の意識はほとんどありません。」
我が耳を疑った。
ル・べべ・ミューズが死ぬ?
永遠を手に入れる?馬鹿な。
神よ、なぜ、彼にそんな苦痛を強いるんです。
彼は苦しんできたはずです。
どうして…。
「あなたに会いたがっています。」
オレは外出届を半ば無理やり強奪し、彼を尋ねた。
病室は整然としていて、付き添いに前調律師のピナコ・ロックベルがいた。
彼女はオレを確認すると、会釈して部屋を後にした。
「ロイ?」
「ル・べべ・ミューズご機嫌いかがかな?」
「おれ、あんたに謝りたいことがある。」
「なんだい?」
オレは、努めて平静を装った。
「オレ、あんたと歌えなくなるのが恐くて、あの日、拒否できなかったんだ。」
こけた頬、乾いた唇、ほつれた髪の毛。
オレの知っているル・べべ・ミューズはそこにいなかった。
琥珀色の瞳は鈍く淀んでいた。
だれだ?これは。
「あの日、オレ、怖くなってたんだ。この声がなくなったら、オレはル・べべ・ミューズじゃなくなって、あんたと歌えなくなるって。だから、拒否しきれなかった。」
オレは黙って懺悔を聞いた。
「オレ、本当は嫌だったんだ。歌えなくなることが。だから、ずっと、考えてた。でも、あんたと出会って、あんたと歌って、オレは歌えなくなることの恐ろしさを知った。」
恐ろしかったのはオレだ。
手放せなかったのはオレだ。
オレが追い詰めた。
「オレが、…追い詰めたのか?あの時、オレはお前から離れていけばよかったのか?」
「違う。オレはこうなりたかったんだ。」
「違うだろ?お前はこんな結末望んじゃいなかった。」
「そうだよ。でも、これでよかったと思ってる。」
「よかった?ふざけるな。」
「そうか?オレはル・べべ・ミューズのまま死ねるんだぞ?これ以上の栄誉はない。」
「オレはどうなるんだよ。」
「どうにかなるのか?お前はもう、ソロとしての道を歩んでるじゃないか?」
笑った顔はル・べべ・ミューズだった。
ああ、愛おしい。
どうして、彼を愛そうとしなかったのだろうか。
彼はそれを求めていたのに。
どうして、彼を愛することを認めなかったのか。
彼は愛されることを望んでいたのに。
もう、遅すぎる。
自責の念がオレを支配する。
気づけなかった。
自分のことしか見ることができなかった。
悔しかった。
遅いんだ。今更だ。
ああ、なにもかも遅すぎる。
「どうして泣くんだよ。」
「オレは、お前を追い詰めたんだ。」
「違うって。」
「そうなんだよ。オレはお前に言えなかったんだ。」
「いいよ。知ってる。だから、あんたはオレを大事にしてくれた。」
「違う、逃げていたんだ。自分の気持ちから、お前から。」
「うん。」
「オレがお前に告げていれば変ったか?」
「どうだろうか。」
「いや、少なくとも、お前は不安になったりしなかった。」
「さてね。」
笑顔を絶やさず、オレを見つめた。
彼のその瞳は優しくオレを包む。
そして、ル・べべ・ミューズは歌う。
オレを慰めるために。
「オレはお前に何ができる?」
「うーん、そうだな。もう一度あんたと歌いたい。」
オレはこいつを抱えて学院に戻った。
以前抱えたときよりも、軽くなっていた。
それはもう、人の重さではなかった。
彼の体温だけが、彼が人だということを証明しているだけだった。
オレ達はいつもの講堂で、歌うことを決めた。
オレ達は歌った。
俺たちの関係はただのボーイソプラノとその伴奏者だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
でもそれが、オレにとっては最高の栄光であり名誉なのだ。
彼が病院を抜け出したことで、学院は騒然となっていたが、お構い無しだった。
彼は病院や寮の自室には戻らず、オレと共にオレの練習室で1夜を過ごした。
眠ることを恐れた彼は、俺と共に夜が明けるまで歌い続けた。
彼は白い制服を着ずとも、白い病院着を着ている。
最後に明日教会で歌うという、彼の我侭を聞いた。
7時前にオレ達は2階へ上がった。
彼一人では、もう階段を上ることすら叶わなかった。
代行人が準備をしていたが、彼の顔を見るなり、席を譲った。
彼は小さくありがとうと言うと、代行人は涙を流していた。
これが最後だということを知っているのだろうか。
もう、彼の事は学院の誰もが知っていた。
7時の鐘がなる。
鳴り止むと彼は、天の音を奏で出した。
下にいる全ての生徒が2階を見上げた。
彼は歌った。
1曲と言わず、何曲も。
どれくらいの間、休むことなく歌っただろうか。
最後は、音になっていなかった。
それを聞く生徒の中にはすすり泣くものもいた。
それでも歌い続けるそれを静かに制した。
オレを見上げる彼は、とても満足そうだった。
そして、彼を抱えて教会の外に出た。
教会では多分、騒然としている生徒たちを教師達が抑えているのだろう。
教会の中から彼を呼ぶ声が聞こえる。
「ル・べべ・ミューズ満足したかい?」
「ああ。歌いすぎだな。」
「そうだな。」
「すこし、眠っていいか。疲れた。」
「いいよ。病院に戻るかい?」
「講堂でいい。」
「わかった。」
オレの返事を聞いたかそうではないのか、あっという間に寝息を立てた。
「待てよ!」
アルフォンス・エルリックがオレ達を制する。
「すまないな。」
「いいんだ。それが兄さんの意思だったから。」
「そうか。」
「ありがとう。」
「うん。」
「兄さんは、…
「言わなくてもいいよ。わかってる。」
誰も、オレ達を止めはしなかった。
ル・べべ・ミューズの最後の我侭だから。
誰もが彼を愛した。
彼の音を愛した。
だから、彼のそれを認めたのだ。
だから、悲しんだのだ。
だから、慈しむのだ。
「ロィ」
「なんだい?」
「オレ、さ、あんたが伴奏で本当に良かったと思ってるんだ。」
「うん。」
「もともと歌うことが好きだったけど、もっと好きになった。」
「うん。」
「ありがと。ロイ。」
「うん。」
そして、静に口ずさみだした。
その声が講堂に響き渡る。
「エドワード、そのまま聞いておくれ。」
すこしだけ音がずれたのを感じた。
だが、すぐに元に戻る。
「オレは、お前と出会って、色々なものを手に入れることができた。オレはとてもお前に感謝している。ありがとう。オレは君に…ル・べべ・ミューズに永遠の僕となることを誓うよ。」
真珠を纏ったその声は、講堂に響くことなく、沈んだ。
それでも、彼の声は神に愛されていた。
彼は病院に戻ることなく、寮で息を引き取った。
講堂で歌い終わった後、彼は意識を取り戻すことなく天へと昇った。
誰もが泣いていた。
彼はル・べべ・ミューズとして、永遠を手に入れた。
第4話
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