次にあった彼は蜘蛛の巣や、埃を全身にまとっていた。
綺麗な金色の髪は埃を纏った蜘蛛の巣だらけ。
鼻の頭も黒く汚れている。
何より、白かったはずのシャツは女中たちが目を丸くして驚きそうなほど汚れている。
「配線見ようと思って屋根裏部屋に上がったら、いいもの見つけた。」
思わず噴出す私をみて彼は、ふくれっ面になる。
「何だよ、見せてやらねぇぞ。」
手には小さな宝箱。
見覚えがある。
それは母のだ。
懐かしい。
そうか、屋根裏部屋に隠していたのか。
幸せな思い出が蘇る。
「もうすぐ、夕餉だ。シャワーを浴びておいで。食べたら、思い出話に付き合ってもらおうか。」
宝箱を受け取り、顔を黒くした彼をバスルームへ追い立てる。
彼の足跡がくっきりと残っているの確認して、思わずまた笑ってしまった。
小さな足跡に自分の足を合わせてみる。
そんな行為をしている自分がおかしかった。
愛おしい。
愛おしかった。
彼の全てが。


何から、彼に話そうか。
ホコリまみれの宝箱に息を吹きかける。
多少のホコリは空気中に舞い上がり、のどを刺激したが、それでもしつこく残るホコリに10年の歳月を感じさせた。
それを丁寧に指で拭くと、真っ黒になった手が彼とお揃いとばかりに誇らしげだった。


私の部屋と彼の部屋はバスルームで繋がっていると言っても過言ではない。
それぞれシャワールームは個別に付いてはいる。
普段はこちらを使うことが多いし、湯を張るという行為もなかなか面倒なもので、作っておきながら使用頻度は極めて低い。
外へ出ることが困難になったため、健康ランドさながら、トレーニングルームや広めのバスルームを作った。
有閑といえばそれまでだが、私にとってのささやかな自由なのである。


女中に頼んで新しい着替えを、そして、この部屋までの見事な足跡を掃除してくれるように頼んだ。
「なんだい、ご主人これは。」
怪訝そうな顔をして足跡を追いかけながら女中頭sが入ってくる。
基本的にこの部屋に出入りするのは女中頭の彼女と執事のみだ。
「すみません。猫が屋根裏部屋で遊んできたらしいんですよ。」
「そうか。あのちっちゃいBGはここの暮らしを気に入ってくれているようだね。」
「そうだといいんですが。」
彼女は私が赤ん坊の頃からの付き合いで、頭が上がらない。
当時彼女は、女中見習いとして孤児院からやってきたと聞いている。
私の遊び相手にするつもりだったらしい。
いや、遊んでいただいた記憶はある。それが世間一般にそう呼ぶとは思えないが…
憤慨するかと思いきや、腹を抱えて笑っている。
彼の幸せな空気は、そういうものを持ってはこないのかと私もつられて笑った。


着替えを受け取りバスルームに向かう。
中からはしゃぐ声と水しぶきが聞こえる。
私は曇ったガラス戸に向かって大きく声を出した。
しかし、反応は無い。
仕方ないと、扉を開けると全身びしょぬれ。
どうやら、彼がバスタブへダイブしたところだったらしい。
呆気に取られる彼の顔が可愛くて、怒る気分にもなれずに、ただ笑ってしまった。
「ご、ご一緒にいかが?」
ばつの悪そうな顔をしながら、泡にまみれた彼が誘う。
私も、悪ふざけとばかりにそのまま飛び込んだ。
頭の上から見事に泡をかぶったお互いを見合わせながら、2人で笑いあった。
「ばっか、なにやってんだよ。服のまま。」
「たまには、こういうのも良いではないか。」
泡にまみれたお互いをシャワーで流した。
彼の傷だらけの身体を明るいところで始めて見たため息を呑んだ。
「これ、ほとんど親父が爆破されたときの傷だよ。」
指を指しながら、照れくさそうに言う。
「でも、こっちのは弟とブランコを取り合いしてた時にできた傷。弟のも相当酷いぜ。」
誇らしげに指を指す。


そのあと、夕食を食べると言ったのに現れない私たちを心配して来た執事に、こっぴどくしかられた。
こんな風にしかられるのは、初めてではないか?
彼が来てからこの屋敷は本当に、幸福に満ち溢れている。


「今日は、もう仕事はいいのかよ。」
本日もまた、枕を抱えている。
薄い青地に端に赤色でエドワードと刺繍が施されている枕。
長い間使っているのか、部分的に色があせている。
誰かの贈り物であろうか。
私は、お盆を持つ彼の頭をポンっとなでると、怪訝そうな顔をされた。
「たまには、こういう日があってもいい。」
ただ今の時刻は9時過ぎ。
いつもなら、背伸びをしながらもうひと頑張りと机に向かい直す時間だ。
早々とベッドの上でスタンバイ。
いつものように彼はチョコレート、私はブランデー、しかし本日は宝箱のお客様。
敬意を表さなければならない。
サイドテーブルの上に静に置く。


「さて、何から話そうか。」
彼を見ると、目を輝かせている。
「なあ、その前に、これ鍵かかってるみたいだけど、鍵あるの?」
この宝箱のの中身の方が私の過去より大事か!
まあ、彼の探究心からすればそんなものか。
「鍵は、おいおいわかるさ。」
「へぇ。」


さて、本当に何から話そうか。
初めて人に話す、わたしの思い出。
この宝箱の思い出だけはきれいなもので作られている。


「この宝箱は母が大切にしていたものなんだよ。」
思い出を紐解くという行為。
どこかむず痒く、恥ずかしい気持ちとうれしい気持ちでいっぱいになる。
きれいになった宝箱が、サイドテーブルの上で開けられる時を今か今かと待っているようだった。


由緒正しい貴族の家として栄えてきたこのマスタング家は、それでも時代のあおりを受けて衰退していった。
祖父は大変な経営手腕を持っていて、わずかな貯えを経営投資し、見事成功した。
祖父母には一人息子しか居らず、大層溺愛したそうだ。
祖父は面白い、というか偏屈な人で、この家をこんな風にしてしまったのだ。
父は私とは違い、外交的で先日会った国王とも親交が深く、貿易関係の方面へ手を広げた。
その頃、母と出会ったんだ。
母は小国の貴族出身で、25も歳の離れた父に見初められて結婚した。
誰もがうらやむ幸せな結婚だったらしい。
でも、母は身体が弱く、私を生んだことでいっそう身体を悪くして、ほぼ毎日臥せっていたよ。


こちらをじっと見るのではなく、相槌を打つのと同じくらい自然な様子でこちらを見る。


母の部屋に出入りをすると、女中に叱られてね。
今の女中頭だよ。彼女は私の姉のような存在でね。未だに頭が上がらない。
それでも母は私が部屋に行くと、いつも話をしてくれてね。
母の国の物語。キレイなもの、恐いもの、不思議なもの。その話を聴くのが大好きだったんだよ。
頭をなでられてね。
母はとてもきれいな栗色の髪で、少しだけ巻かれた髪をひとつにまとめて肩にかけていた。
触ってみたかったけれど、触ることができなかった。
母は私の頭をなでながら、『お父様に似て月夜のなだらかな髪でうらやましい』といつも言っていた。
その頃、父君は家になかなか帰ることができないほど仕事が忙しくてね。
母は寂しい思いをしていたのだと思う。


瞳に影が映る。
しかし、エドワード、ちっとも寂しい、悲しい話ではないのだよ。
この頃の私はとても幸福の中にいた。
木陰にできる小さな陽だまりを一生懸命に追いながら、時折吹く、緑を纏った風に心を躍らせていたんだ。


話が少しそれてしまったね。
この宝箱は母の国の物語に出てくるんだ。
フェアリーや、ドワーフ、コロボックル、そういうものが母の国にはたくさんいるそうだ。
自然が豊で、作物は常に幸せの匂いを纏っている。
そういう国で母は育ったと言っていた。


大きな深い森の物語。
深い深い真っ暗な森の中は朝がない。
真っ暗な森での唯一の光は、フェアリーの羽と水密灯という光を発する植物と、月だけだ。
月を見ることのできる唯一の場所は湖で、そこには水の女神がいて、その女神はとても探し物が得意なんだ。
でも、女神はあるものを持っていないと探してくれないんだ。
それは探す人によって違うもので、母は、この宝箱に入っているものだと言っていた。


私は、彼を見ずに宝箱を膝に乗せた。


「この宝箱の鍵はね。実はないんだよ。」
驚いた顔をしているのかなと、宝箱をなでながら思った。
「母が一緒に持っていってしまったんだ。」
彼をはじめて見る。
彼は私を見てはいなかった。
ただじっと、飲み干したチョコレートの入っていたマグカップを見ていた。
「だから、私は屋根裏にコレを隠したんだ。」
彼は何も言わなかったし、動かなかった。
「中身は、私も知らない。」


少しの沈黙。
中身への興味は当の昔に捨てた。
見てはいけない気がしたのだ。
母の大切な、大切な思い出が詰まっているから。


「あ、あのさ。」
こちらを向かないその視線は、マグカップに注がれたままだ。
マグカップを持つその手はぎゅっと握られている。
「どうした?」
「そ、その中身、実はさ、…」
一拍置くと、ゆっくりと口を開く、でも、音は出てこない。
「…、見ちまったんだ。」
驚きはない。
本当にカンタンなつくりの宝箱だ。
鍵ひとつで簡単に開けられる代物。
「そうか。」
「ごめん、…ごめんなさい。」
振り向いたその顔は、今にも大粒の涙を流しそうであった。
「いいよ。」
私は頭をなでた。
母が私の頭をなでる時にこんな思いでなでていたのかと思うと、愛されていたと感じた。
「な、中身、のこと、聞かないの?」
私は少し悩む。
知りたい気持ちもないことはない。
「君は、私が知るべきだと考えるかい?」
ひどい質問だ。彼を攻め立てるよりも、彼を傷つけている。





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