本物の朝日は格別にまぶしかった。
背伸びをして窓を開けると、潮の匂いが鼻腔を掠めた。
ノックと共に、朝食をお持ちしましたとの声。
給仕とも顔を合わせない。
部屋の外に、朝食の乗ったカートが置かれている。
徹底ぶりに思わず笑ってしまった。
私は彼をそっと起こす。
最近わかったことだが、どうやら彼は耳が弱いらしい。
「エド、朝だよ。」
耳元でささやくと、くすぐったそうにして身体をよじる。
静に目を開けて鬱陶しそうに耳をこすっている。
「お願いだから、耳元でしゃべるのやめてくれ。朝から気分が悪い。」
そういう彼はどこか照れくさそうに言うので、なかなかやめられないのだ。
「おはよう。」
「おはようございます。」
そう言ってしまうと、彼は開けたままだった窓を思い切り閉めた。
「ばっか、何やってんだよ。」
「こんなところでは、狙われやせんだろうが。」
怪訝そうな私をよそに大きくため息をつく。
「そうじゃなくて、潮風で部屋の中べとべとになるんだよ。」
確かに、先ほどから、部屋の中が潮くさい。
「あんた、本当に箱入りぼっちゃんだな。」
つられて笑う。
例によって例の如く、簡単な毒物検査をした彼は、満足げな顔をしてあっという間に平らげてしまった。
私はどうも、興奮気味なのか食欲が無く、珈琲とパンをひとつ食べただけだった。
彼は牛乳を飲まない。珈琲も飲まない。朝は野菜ジュースと決めている。
自前の野菜ジュースを持ってきていて、コップに注いで飲んでいる。
「だから、何もカルシウムは牛乳から取らなくてもいいんだよ。」
そういう彼の好物はシチューだ。
不思議なものだ。
「オレも、不思議だと思うよ。あんな白濁汁が、あんなおいしいものに変るんだからさ。」
それを聞いたコックは大きな声で笑ったと彼から聞いた。
10時から会合。
13時から14時まで休憩した後、18時まで行われた。
彼は待機室で待機している。
ここも以前と同じつくりのようだった。
だが、今回は待機室にモニターが無かったとのことなので、暇をもてあましていたらしい。
特に出席者同士の交流に制限は無く、知った顔であれば、お互い個人的に話をしている姿も見受けられた。
彼らが引き連れる使用人兼BGは、誰もが屈強な大男共であった。
うちの猫は大層有名人だったらしく、彼らが猫に深々と頭を下げる姿が目立った。
仮面の意味ねぇよと、軽く笑っていた。
凄いねと、彼に言うと、自嘲気味の笑顔で返答した。
「ああ、オレが凄いんじゃなくて、弟が凄いんだよ。」
彼の弟は最大手のBGの排出会社だ。
「中には、同じ会社のもいたかな?」
興味なさげな彼だが、私は興味がある。
「オレに立てついて、弟にチクラレて見ろ、この界隈じゃ仕事できなくなると心配してるんだろうよ。」
「君はそんなことしないだろ?」
「あたり前だ。第一、めんどくせぇ。」
まあ、人の性として仕方のない反応だろう。
「懐かしい顔がいたら、話してきていいよ。」
「マジで?」
そう言うと、彼はえへへ、行ってきますと。可愛い顔をして行ってしまった。
誰がいたんだ?
それくらい教えていってくれても良いではないか。
すると、30分もせずに戻ってきた。
「えへへ、久々に会ったら、やっぱ懐かしいな。」
「早かったな。」
「そりゃそうだよ。お互い仕事中だもん。」
彼は、私の座っているソファーの肘掛けに腰を下ろした。
「オレさ、肉親って言うのが弟一人なんだよね。」
知っている。
彼の事はそれなりにでしかないが、知っている。
「で、俺らは父親の代からいてくれている人に育てられたんだ。」
とはいっても、10歳からだけどね。と言ってこちらを向いた。
こういうときの彼は、本当に可愛いと思うし、歳相応の表情に魅せられる。
「名前は言えないけれど、お姉さんのような人と、アニキみたいな人でさ。」
彼がこうやって自分のことを話すのは本当に珍しいことで、わたしは心を躍らせていた。
「コードネームは言っていいのかな?お姉さんのほうは“鷹”で、アニキの方は“Mr.ジャクリーン”」
「Mr.ジャクリーン?」
「そうそう、初めての任務での呼称が女名じゃないと駄目だったらしんだ。それで今も。」
「では、よほど女形のような奴なのかな?」
「ぜんぜん、ぜんぜん、筋肉モリモリの兄ちゃんだよ。」
と、小さいからだを大きく広げて大きさを表現する。
アハハと軽やかに笑って、私にもたれかかってきた。
「いい人だよ。会わせたいな。多分仲良くなれる。一緒にお酒飲んだらいいよ。」
遠くを見て笑っている。
この業界、そんなことはあってはならないし、夢のまた夢だということを彼も私も知っている。
「そうだね、君の幼いときの話でも聞けたらいいね。」
「あー、それは駄目。」
真剣な顔をしてこちらを向く。
「どうしてだい?」
意地悪そうに問いかける。
「色々と、恥ずかしい話をあいつは大笑いしながら話すんだ。」
「ははは。そりゃいい。」
「鷹のお姉さんは、美人だよ。さっき会ってきたのもお姉さんの方。」
「君より?」
弾む会話が楽しかった。
「もちろん。凄い美人だよ。見たら、惚れるかも。」
「まさか、君以外には目もくれないよ。」
そう言って私は彼に口づけをする。
彼は頬を染めて、エヘへと笑っている。
「そうそう、今回は珍しい参加者がいると言っていてね。私も前回は特殊な扱いをされたが。」
「いいの?そういうこと言っちゃってさ。」
「良いさ。別に名前とかがわかってるわけじゃないしね。」
「へぇ。」
「君と同じくらいか、少し年上かな?少年が一人いてね。」
「へぇ。あんたが一番若いかと思った。」
仮面をしててもそれなりの年齢はわかる。
仮面などはほとんど建前で、大体の人物の見当もついている。
「金髪の綺麗な感じの子だったよ。声のトーンもやさしくてね。彼は、とても知的で、面白かったよ。」
やきもちを焼くかなと少しばかり期待したが、そうではなかった。
何か考えるような顔をしている。
「そいつさ、車いすじゃなかった?」
「ん?そうだったが、なぜ知っているんだね?」
彼はため息をつきながら、両手で顔を覆った。
「そいつ、オレの弟だ。」
夕食後、部屋に一通の手紙が届いた。
差出人は“A”とだけ記してある。
『20時2階広間で待つ。』
彼は青ざめた顔をしている。
「やばいよ、どうしよう。怒られる。怒られるよ!!」
「どうしたんだい。落ち着きたまえ。」
「2ヶ月以上連絡してないんだよ。喧嘩別れしてきたんだよ。」
「それはよく知ってる。」
「弟、怒ると恐いんだよ。」
あわあわと、部屋の中を行ったり来たりしている。
この部屋の時計は彼は自分の時間が狂うといって、着いた早々止められている。
「ああ、あと469秒。」
彼は今にも暴れださんばかりだ。
「そうこうしていても、始まらんだろう。」
私は彼の腕を引いて、2階の広間へ向かった。
「はじめまして。」
広間に入った私たちを迎えたのは、清楚な感じのする女性と、車いすの少年だった。
扉を閉めると、彼らは仮面を取って挨拶した。
わたしたちも、それに習い仮面を外し、挨拶をした。
「アルフォンス・エルリックです。兄がいつもお世話になっています。」
「こちらこそ、私は、ロイ・マスタングです。」
握手をする。
その手は細く、頼りないように思えた。
短い金髪を右に流している。
見比べなくとも似ていなかったが、優しい顔つきをしている。
「彼女は、世話人として連れてきた“鷹”です。」
ああ、先ほど彼の話に出てきた女性か。
なるほど、相当な美人だ。
見とれていると、後ろから蹴られそうだったので、早々に口を開いた。
「エドワード君には本当に助けていただいてます。」
そうにこやかに言うと、アルフォンスくんは興味なさげにそうですかとだけ言った。
「少し、兄弟で話をさせていただいてよろしいですか?」
「勿論。」
しかし、当の兄は、兄としての威厳よろしく、私の後ろで更に小さくなっている。
「兄さん、怒ってないから、隠れないの。みっともない。」
辛辣な声のトーンに私もつられて青くなりそうだった。
「だって、怒ってるだろ?」
私の服の裾を掴んでいる。
アルフォンス君は小さくため息をついて、笑顔を作る。
「怒ってないって。」
「本当か?」
「本当。」
花が咲いたように笑い、弟のところへ駆けて行く。
どちらかといえば、彼のほうが弟のようだった。
立つことは無いが、彼よりも身長は高いであろう。
「アル〜!」
飛びつくように抱きつくそれは、感動の再開さながらであった。
アルフォンス君はよしよしと背中をなでている。
「兄さん、元気そうで何より。心配してたんだよ。連絡ひとつくれないんだもん。」
「ごめん、でも、元気だよ。ぴんぴんしてる。って、また大きくなった?」
「ん?どうかな?でも、兄さんは縮んだ?」
「お、お前が大きくなったから、そう見えるだけだ!!」
たわいもない兄弟げんかをしている。
“鷹”はその様子をやさしいまなざしで見ている。
彼の幸福な空気はこうやってできたのだと、うれしく思った。
「ジャクリーンは?」
「別の仕事だよ。一緒に来るってうるさかったけどね。」
「てか、なんでいるんだよ。」
「ん?僕も前々から誘われてはいたんだよ。」
兄の威厳というものはこの兄弟には無く、弟の膝の上にまたがっている彼は小さな子供のようだ。
「マスタング氏が前回から参加してるって聞いてね。もしかしたら兄さんにあえるかもって。」
匿名参加という割には、それなりに参加者の漏洩はしているようだった。
まあ、ほぼ全員名前を一致させようとしたら、簡単にできる。
「兄思いの弟で、兄ちゃんはうれしいよ。」
「はいはい、いい加減降りて、重いから。」
「ああ、ごめん。」
彼は私を振り返り、恥ずかしそうな、うれしそうな顔を見せた。
なんでもない会話。
4人…ほぼ3人だが、会話を弾ませる。
「その時に脊髄をやられてしまって…、こんな感じです。」
狡猾な感じのする少年だと思った。
頭は兄の数倍は切れる。
天才の域を超えているだろう。
「兄さんがかばってくれなかったら、父さんみたいに全身吹っ飛んでたね。」
いやに明るく語るその姿に、なぜか心が痛んだ。
「マスタングさん、いい人みたいで良かった。もうすぐ3ヶ月の契約が切れるね。次の仕事用意しておくからね。」
そうか、私を敬遠しているのだ。
「あ、アル、オレ、多分、更新になると思う。」
チラッと私を見る彼は青ざめて、不安げだ。
私は小さくうなづいてやった。
「そうなんだ。」
空気が凍るのを感じた。
「アル、でも、3日くらい休みがもらえるし、1度帰れるから。」
「いいよ。無理しなくて。兄さんの荷物全部そっちに送ってあげるから。安心して。」
こ、恐い…。
何に対して怒っているんだ?
「マスタングさん、無理してません?役に立ってます?」
「彼は、とてもよく働いてくれてますよ。」
「そうですか。それはよかった。」
そうか、心配なんだ。
心配で、目の届く位置に置いておきたいんだ。
どこの馬の骨とも分からない私の元で、いつ何が起こるかわからない状況が恐いんだ。
もう、誰も失いたくないんだ。
ああ、彼は私と一緒か。
「ごめんな、なんか、アル、機嫌悪くて。」
部屋に戻ってきた私たちは、相変わらず、ソファーとその肘掛けに座っていた。
私は小さく笑い、彼の頭を抱えた。
「君のことをとても心配してるのだろう。」
「過保護って言うか、アルのほうが兄みたいでさ。」
「私にもそう見えた。」
「いや、いっつもああやって、くっついたり、してる訳じゃなくて、今日は、たまたま、久々に会ったから。」
真っ赤な顔をして弁解をする。
可愛いしぐさに思わず口付けた。
「私にも同じように甘えればいい。」
そう言って、私はソファーに座りなおし、膝をたたいた。
彼の顔が見る間に赤くなる。
「おいで。」
そういうと、ゆっくり立ち上がり、私の前に立つ。
「お、お邪魔、します。」
とは言ったものの、動こうとしない彼を抱え上げ、膝の上にのせた。
暴れるかなと思いきや、いつになく大人しい。
腰に手を回し、彼が落ちないようにする。
「あ、あのさ。」
小さな彼は顔を下に向けている。
表情は見えない。
蜂蜜色の髪の毛がさらりと流れる。
「なんだい?」
「オレ、契約更新でいいんだ…が、…いって。」
頭の上にあごをのせようとした私は、思い切り顔を上げた彼に頭突きを食らわされた。
「………〜ッ…。」
「ご、ごめん!」
あごを押さえる私はなんとも情けない。
「あ、ごめん、ごめんなさい。」
「だ、大丈夫だよ。」
あごと頭を抑える私たちは互いに笑いあった。
そして、口付けを交わした。
「できれば、永久に私のBGでいてもらいたい。」
「ずっと守ってやるよ。」
そう言って、きつく抱きしめあった。。
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