「来るなよ。」
「ふざけるな、次の体育に遅れたらどうしてくれるんだよ。」
次の体育?そんなものはもう、どうだっていい。
「勝手に行けよ。」
「勝手に?優等生のオレが、お世話係を勝手に放棄できるか。」
建前。
「放って置けよ。」
「ああ、放ってたさ。だったら、なぜあんな顔を俺に向ける。」
「知らない。」
「知らないことは無いだろう。じゃあ、どうしてオレを追いかけて教室を出た。」
「知らない。」
にじり寄って、オレは小さな振るえる羊を追い込んだ。
卑怯極まりない。
糞餓鬼は小さな身体を壁に押し付け、それをすり抜けてしまいたいとばかりだ。
オレは、覆いかぶさるように囲み、逃げ道を塞いだ。
金糸がキラキラと光を纏う。
それをとても綺麗と思った。
ただただ、オレはそれを綺麗だと思ったんだ。
怯えきった震える小さい肩を、すべてを…。
「お前が先に始めたんだよ。だから、オレはそれを受け入れた。必要以上に近づくのをやめた。」
抱きしめたかった。
拒まれても、嫌がられても、抱きしめたかった。
「夢なんて、どうでもいいんだよ。オレはそんな夢想家じゃないし、いずれ忘れる。思春期特有の幻想だと思うことにしたんだ。」
触れればもろく崩れてしまいそうな小さな身体。
抱きしめてしまえばたやすく折れてしまいそう。
そうすれば、その身はオレのものになるのだろうか。
激しい情動。
「ごめん、もうしない。夢のことも忘れる。お前も忘れろ。馬鹿げた感情だ。」
違う、言いたいのはこんなことじゃない。
夢のことがなくとも、お前のことが気になるといいたかったんだ。
夢のことがなくとも…。
出会った時からやり直したい。
ただのおかしな教育実習生と、小生意気な生徒。
果たして、そうして出会ったところで、オレはコイツに惹かれただろうか。
大きく頭を振ると、不思議そうな、不安そうな琥珀がこちらを見上げていた。
「わ、すれるのか?忘れられるのか?」
琥珀が大きく見開かれる。
「キモチワルイよ。オレ男だし、あんたも男だし、でも、だから、…だから、オレどうしたらいいかわからないんだよ。」
今にも大粒の雫が降りそうだ。
「だって、あんたのことを知ったときから、気になって仕方が無かったんだよ。だから、他の研究所に研修に行くのを蹴ってここに来たんだ。」
「だったらなんで、オレを避けた。」
「ちが、う…。どうしていいかがわからなかったんだよ。」
とうとう、薄紅の頬に雫が降った。
「だって、告白されて、恐かったけど、あんたは恐くなかったんだよ。キモチワルイし、何がなんだかわかんないし、どうしたらいいんだよ。」
オレは抱きしめた。
きつく抱きしめた。
だけど、崩れ落ちることも、折れてしまうことも無かった。
躊躇いがちに回された腕が、次第にしっかりと背中に回ったとき、安堵が全身を駆け抜けた。


足りないものは何なんだろうか。


ふと頭をよぎったが、どうでもよかった。
こいつは恋を知らない15の糞餓鬼。
躊躇うのも無理はない。
どうしたら良いかがわからなければ、これから考えればいい。
まだ時間はある。


予鈴が遠くで鳴るのを聞いて、オレは、糞餓鬼の手をとって教室まで走った。
もぬけの殻だった教室に戻ると、急いで着替えた。
体育館へ向かう前にタオルを渡して顔を洗わせた。
「まだ赤いか?」
「迷子になって泣いてやがったって、言ってやるさ。」
「いや、それも困るぞ。」
「大丈夫。」
そういってやると安心した顔をされてしまった。
意地悪を言ってやるつもりだったが、なんとなく言いにくくなってしまった。
だが、言う!
「オレは困らない。」
満面の笑みで続きを言うと、スネに衝撃と脳天まで響く激痛が走った。
ふてくされた顔をこちらに向けるとふいと体育館の方向へ早足で向かった。


体育館に到着すると、なにやら不穏な空気が漂っていた。
見事本日の体育もバスケットボールらしく、糞餓鬼争奪戦が早くも行われていた。
欠席者がいるチームに入ることを主張するチームと、それは卑怯だと公平にじゃんけんをすることを他のチームは主張していた。
勝ったチームが好成績を得られるわけではないが、やはり勝ちたいというのがある。
「お、丁度良いときに来た。」
「何の喧嘩だ?」
「スーパールーキーを巡っての闘争だよ。って、どうした?目が赤いぞ。」
「ああ、こいつ、迷子になって泣いてやがってんの。」
「ははは。」
後で見てろよとばかりにすごまれたが、気にしなかった。
「で、本日はどちらのチームに入られますか?」
「うーん、前回一番負けたチーム。」
「そりゃ、公平だ。」
落胆するチームと喜ぶチーム。
出席番号順は、時に公平であり不公平であった。
前回負けたチームは、その前も負けている。
つまりは、運動が苦手なやつが見事に集合したチームになってるわけだ。
確率的にはインテリの揃う学校なので、高くはないが、それでもここまで運動音痴が集まるチームは珍しかった。
やる気が無いのは仕方がないが、成績重視のオレ達は、いくら体育とは言えども真剣勝負だった。
とはいっても、面識のないほかのクラスに入ることになるので、多少は心配したが、そんな心配は要らなかった。
授業が始まり、試合が開始されると、見事な指示をだし1回も勝ったことがないと誇張していたチームは見事初勝利を修めた。
相変わらず、ちょこまかと細い肢体をしならせ、小さい身体をもって器用に敵から身をかわす。
流石にゴール下ではトウヘンボクなチームメイトにボールを任せなければならないようだったが、それでも、
ゴール下までボールを運ぶ姿は見事に思えた。
あれで、シュートが高確率で決まっていたなら、華々しい点差で勝利を飾れただろう。


「お疲れ。」
口々に戻ってきたルーキーに賞賛の言葉をかける。
誉れ高き小さな英雄。
辺りに振りまく勝利の空気にあやかりたいと、わらわらと寄って来る。
ヒューズは英雄の頭に、さも王冠を載せる司教のようにタオルをかけた。
「体育は好きらしいな。」
「そりゃ、多少は頭の良し悪しも関係あるだろうけど、最高な身長というハンデがあるからね。」
子憎たらしく、にっと笑うと周りにいた全員で糞餓鬼をなじりたおした。
本人は何がうれしいのか始終笑顔で、それに甘んじていた。
「ロイも参加すればいいのに。」
なじりの中心が一歩下がって、見物席にきた。
「ヒューズ、高みの見物は、オレの専売特許だよ。」
呆れた顔を見せると、少しだけ不思議な顔をして笑い出した。
「ははは。そう言えばそうだった。」
あの糞餓鬼が来てからは、少しだけいつもと違った。
ああいう場面の中心にオレが居たことは無かったし、これからもないと思う。


勿論、次の時間は大半の生徒が睡魔にいざなわれ、現国の教諭が呆れ半分で大声を上げつつため息をついた。
オレは、外を見ながら欠伸を一つ。
隣では何が面白いのか、漢字の書き取りに熱中していた。
午前中の嫌な空気はもうどこへやら。
しかし、漢字の書き取りはいいが、書き順はめちゃくちゃ。
教科書のコピーに振り仮名をふってやった漢字を必死に書き写している。
汚い文字。
ミミズののた打ち回った解読不能な英文なんかよりは、よほど読めたが、それでもかわいそうなほどだ。
普段はタイプだなんて言ってはいるが、それでもちょっとしたメモなんかは手書きだろう。
哀れ同じ研究所の方々。
いや、待てよ。
研究所の全員が全員あんな暗号めいたミミズを普段から書き、読んでいるのだとしたら、とてつもなく不可解な世界のような気がしてきた。
「何、見てるんだよ。」
「いや、汚い字だと思ってさ。」
「うるせー、いいんだよ。解読できれば。」
ここで、読めればではないところは糞餓鬼らしい。
どうやら、オレの予想は的中したらしい。


掃除もたけなわに、オレ達は勇んでカラオケへ向かった。
生徒よろしく、大した金額を持ち合わせていない。
しかし、本日はパトロン付だ。
「てか、なんでオレの財布の中身を知ってるんだよ。」
「ん?印税生活してるんだろ?馬鹿でも想像つくよ。」
口々に年下の糞餓鬼にたかろうと、プライドもくそもないハイエナがたかる。
無論、オレもそのひとり。
普段キックボードの糞餓鬼は、ヒューズの自転車の後にまたがっている。
オレも仲間の自転車の荷台に座り込む。
2ケツ禁止だって?
誰がオレ達の青春滑走を止められるものか。
パトカーだって恐くない。
怒られたなら笑いながら謝って、姿が見えなくなったらまた乗ってしまえばいい。


「ウィンリィ!ごめん、ちょっと止めて。」
あれよあれよと前を走っていたヒューズの自転車から飛び降りて、これまた見事な金髪をたなびかせる少女の元へ走っていった。
「エド?どうしたの?こんな所で。」
「お前こそ、ドイツにいたんじゃないのかよ。」
「こっちに来る研修旅行があってね。宿泊費もったいないから家に帰ろうと思って。」
「そういうのって、前もって知らせないか?」
「驚かせようと思ったのよ。ちゃんとトリシャママは知ってるんだから。」
「ああ、だから昨日日付間違えて帰ったら、夕飯が無かったわけだ。」
「あはは、馬鹿じゃないの?」
聞き耳、騒ぐ心。
今まで踊り浮かれていたのが嘘のようだった。
「エド、紹介しろよ。」
「あ、ああ。こいつは幼馴染の…」
「ウィンリィ・ロックベルです。」
「こいつ、今ドイツに留学してんだけど、なんか居る。」
手に持っていた旅行鞄を軽々と振り上げると、糞餓鬼目掛けて振り下ろした。
見事いいところにあたったのか、倒れたままピクリとも動かなくなってしまった。
「もう、研究所に篭ってばかりいるから、身長だって伸びないのよ!牛乳飲めるようになったわけ?」
あ、生き返った。
「うるさい。そんな牛から搾り出された白濁汁なんて飲めるか!」
なんとなく想像した。
幼い日の彼らを。
こういう時はきっと、弟のアルフォンス君が止めに入ってなだめるのであろう。
「あれ?兄さんたち、何してるの?」
「「アル?」」
見慣れたバイクにまたがる少年が話しかけてきた。
当然、運転手はハボック青年。
それにしても、なんというタイミングだろうか。
「おかえりー。ウィンリィ。」
「ただいま。」
「お前、なにしてんだよ。」
「今からFスタで音あわせなんだけど、掃除当番で遅れそうだったから近場に居たらしいハボックさんをアッシーに。」
「どうも。」
ヘルメットを取り、にこりと笑う好青年。
「あ、話は帰ってからしよう。間に合わないよ。急いで。」
それじゃぁと、別れの挨拶も切れ切れに走っていった。
本当に兄弟だったのかと不思議に感じた。
似てないな。
オレの入る隙なんかないくらいに、2人は小突きあっていた。
傍から見れば、オレと糞餓鬼の会話もこんな様子なのだろうかと思うと、世界が隔絶されたような疎外感を感じた。


胸の辺りは今朝以上のむかつきを覚えているし、どうしたものか。
突如現れた糞餓鬼の幼馴染に、これ見事にヤキモチというものを焼いているらしい。
先日体感したので、もう慣れっこです。
意外に心狭いんだ。
笑いかける相手もだれもかれも、全てオレであって欲しかった。
足りないもの…なんだろうか。
不安になると無性に気になった。







第5話
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