「あはは、弟に言ってチケット融通してもらうよ。」
「ありがとうございます。先生。」
なんと、ヒューズもトリンガムも知っていたらしい。
「有名だし。」
軽く言ってのけられて、わずかばかり落ち込んだ。
「ロイは、興味無いだろ。知らなくてあたり前だよ。インディーズだし。」
糞餓鬼はカラカラと氷で量を嵩増ししたグラスを傾けながら、首をかしげて言った。
「いや、リザも教えてくれればいいのにさ。」
「そりゃそうだ。」
「でも、そんなトップクラスのバンドにはみえなかったけどな。ライブハウス前でとかもファンが寄って…とかなかったし。」
「ああ、ファンの自主規制。前は大変だったんだぜ。」
「へぇ。」
「あんな容姿だろ?アイドル並みの人気でさ、ファンのやつら手加減しらないの。でさ、帰りがけにアルの乗ったバイクに群がって転倒事故とか起こったり。」
「へ、へぇ。」
アイドル並みについては、弟はジャ●ーズ系のアイドルで、糞餓鬼はモー●。系のアイドルに属されるのだろう。
言わないが。
いや、そこいらのアイドルなんかより可愛いし、綺麗だろ思う。
「無傷だったけどな。それとか、どこで調べたか学校まで押しかけてきたらしいぜ。で、停学処分は免れたが親にもバレて、大目玉。うちの大学の付属校に受かったら、続けても良いってことになってな。」
「で、両親公認ってわけか。」
アイドルも大変だなと、世の芸能人の悲惨さを思った。
「そうそう、教授面々に口聞いてもらって、中学の校長の推薦文出してもらって、異例の試験だよ。で、全教科満点で入学決定。という次第。」
「どれだけお前の周りには天才がそろってるんだよ。」
呆れ返るオレに、そういえばそうだなと一緒に笑った。
「それで、それは解決したんだけど、一応天才でも勉強しなくちゃなんなくてさ、暫く活動休止してたら、ファンの署名と嘆願書、反省文と誓約書が送られてきてさ。」
「で、ファンは一切不用意に近づかないと。」
「そうそう。」
オレ達は一足早くカラオケをあとにした。
エドは幼馴染のために早く帰る必要があったし、オレはちょっとした野暮用があったのだ。
財布の中から最高ランクの紙幣を取り出し、おつりは返せよと男らしく机を叩いて後にした。
オレ達の財布の中身には最低ランクの紙幣すら入っていなかったのだ。
「小遣いでたら、割り勘して返すよ。」
「いいよ。印税ウハウハ暮らしは本当だしな。」
「ウハウハって、そんなに儲かるのか?」
「そうだな。日本と英語圏、フランス語圏、ロシア語圏、ドイツ語圏で販売してるし、どれも翻訳代が掛かってないから丸々はいってくるしな。」
「へ、へぇ。」
それだけの言葉を扱えるのかと、驚き半面、人間なのだろうかと軽く突っ込んだ。
また明日と、オレ達は別れた。
小さくなる背中を、振り返らないかなと思いながら見送った。
振り返ることを知らないそれは遠くの角を曲がってしまい、それ以上見送ることができなかった。
なんとなく、切なくなって空を仰いだ。
ひとつ大きなため息をつくと、夕日の朱を纏った生暖かい空気がそれをさらっていった。
ひとつ歩いて背伸びをした。
置き勉を知らないオレの鞄はそれなりの重さで、オレの足取りを重くしている。
「バッカロイ!遅いぞ!何ちんたら歩いているんだよ!」
頭上から、耳に馴染む声が聞こえる。
コンクリートの壁の上は丁度公園になっているらしく、フェンスの内側には等間隔に植えられた樹木と、ベンチが見える。
フェンスに顔を擦り付けながら、こちらに手を振っている。
「なにしてんだ?」
「ロイに追いついてやろうと思ったら、遅いし。待ってたんだよ。」
足の先からうれしいおもいでいっぱいになった。
夕日に染まる蜂蜜色の頭はキラキラしてたり、なにより綺麗な顔をフェンスに押し付けているのでおかしなことになっている。
「また、明日。」
振り返るよりうれしいサプライズ。
オレは、気恥ずかしくなって、早足で立ち去った。
「明日な!」
遠くで聞こえる声に返事をするようにオレは大きく手を振った。
振り返らなくてもわかる、満面の笑みであいつもこちらに手を振っている。
おかしな角度を向いたカーブミラーに写っているからだ。
普通この道を車で走行するのには不自然極まりない角度。
きっと台風か何かの時に角度が変ったまま、放置されているのだろう。
今のオレにはありがたい角度だ。
「あれ?マスタングさん。」
「あ。」
既視感を感じながら、応えると3時間前とは乗車人数の変ったバイクがそこにいた。
「今送ってきたところです。どうも、うちのメンバーはボーカルに甘いらしい。」
テヘヘとヘルメットを取りながら笑いかけるその姿は、さわやか好青年のそれに見えた。
黒のタンクトップにぼろぼろのシャツを着込んで、腕には仰々しい模様の入ったリストバンドをしているし、ズボンだって、擦り切れてボロボロで、金属がチャラチャラしているが、それでも好青年に見えるのが不思議だった。
オレとしては、この手のタイプは苦手な筈なのだが、リザの彼氏という前置きを無視しても好感が持てた。
「エドも、そろそろ家に着いたころじゃないかな。」
「今日はご馳走らしいですね。」
「だろうね。」
背中にしょったギターケースに夕日が反射して目がチカチカした。
黒のレザーに鈍く反射するそれを眺めると、驚く速さで日が沈んでいくのを感じることができた。
「送っていきましょうか?」
「そうだな。リザを公園まで呼び出そうか。」
「い、いえ、そういうつもりじゃ…。」
「わかってるよ。送ってもらうお礼。」
「あ、ありがとうございます。」
先日以来、バイクに乗るのが好きになったらしく、自分で運転できないのが悔しいと思うほどだ。
沈みきってもまだ赤の余韻を残す空を仰ぎながら、負けじと赤の軌跡を残すこの乗り物を誇らしく思った。
風を切って走る。
まさにこのことだと思いながら、纏わりつく冷気を帯びだした風を、体に感じた。
公園に着くと、リザが大きく手を振っていた。
手を振る相手も、笑いかける相手もオレではないので、少々肩身の狭い思いがしたが、ここまで連れてくる口実を作ってやったのだ。感謝してもらいたい。
「オレ、ちょっと用事があるんだよ。1時間くらいリザの相手しておいてもらえる?」
「は、はい。」
「遅くなるようだったら、連絡するから。」
リザは怪訝な顔をして、こちらを覗いたが大体の察しが着いたのだろう。
公園を後にすると、閑静な住宅街のため、外灯もまばらで心許ない。
通りがてら、点滅する外灯に群がる虫に厭な嫌悪感を抱いてしまった。
「ロイさん。」
声の主はオレの継母というか、実母なのだが戸籍上はそうなっている。
一緒には暮らしていない。
父の前妻がオレの実母ということになってるのだが、その前妻は去年三行半を叩きつけ、出て行ったことになっている。
その後釜に落ち着いたのがオレの母というわけだ。
ちなみに、そのことをオレは知らないことになっていて、高校生特有の思春期風を吹きつつぞんざいに対応しなくてはならないらしい。
(世間体的には実母を追い出した不届き者ということになっているので。)
実に不安定な家族構成になっている。
父は、オレの住んでいるマンションと、継母が住んでいるマンションを行ったりきたりしている。
前妻は、出て行ったということになってはいるが、父よりは長い期間オレの住んでいるマンションで暮らしている。
書類上色々と変更されただけで、昔からこれは変っていない。
「お久しぶりです。最近父はこちらへ帰ってこられませんが、息災いかがでしょうか?」
別に、嫌いな訳じゃないんだ!
「お元気ですよ。お仕事がお忙しいのか、あちらの方が勝手がいいようですね。ロイさんこそ、お食事、キチンと取っていらっしゃいます?」
「ええ、大丈夫です。」
「たまには、食事を取りに来てくださいね。腕を振るいますから。」
薄暗い喫茶店。
珈琲の匂いが店中に満ちて、入ってきた瞬間むせてしまった。
珈琲メーカーの固い音が木霊する。
月に1度か2度、こうして会う。
義務的、事務的に健康状態などを聞かれ、学校でのことをちらほらと話すととても喜んだ。
幼い頃は、母からたくさんの話を聞いた気がした。
絵本を必要とせず、語るその姿は今思うと、母がそこの住人ではないかと思うほどだ。
「また、連絡下さい。」
そう言って笑いかけると、たいそう喜んだ。
携帯で時間を確認すると、既に1時間が経とうとしていた。
「ごめん、今3丁目の喫茶店でたところ。5分くらい遅れる。」
いいわよ。と聞きなれた声になぜか落ち着いた。
外灯を追い掛けながら、忘れかけていた記憶をたどった。
妖精の話。
森の話。
どこかで何かがつながった気がした。
このまま母を追いかけてしまおうかと思ったが、リザを送らなければならないので、そのまま真っ直ぐ帰った。
その夜もなんだかぬるい空気の中、森を一人で歩いた。
足元が不安定で、まるでぬかるみを歩いているようだった。
草が足に絡み、うまく歩けないような感覚でもある。
それでも、歩き続けた。
もう1度出会うために。
目覚めは最悪。
全身で疲労感を感じ、学校に行くのをやめようかと思ったほどだった。
6時半と、いつもと変らぬ起床時間に驚きながら背伸びをした。
母が帰っているかを玄関で確認すると、見慣れない靴が並んでいるのに気が付いた。
母の靴ではないことは確かだ。
脱いだ後に揃えたものではなく、綺麗に脱いでそのままといった風だ。
母の靴が無いので、一人分の朝食で良いなと思いつつ、どこかで見たことがある靴だと思案した。
とりあえず、着替えようと部屋に戻ると、ベッドの中で何かが動いているのが目に入った。
猫でも飼っていたかなと、寝ぼけた頭で不自然極まりないことを考えながら、布団をめくる。
なんで?
見たことのある、蜂蜜色。
どうして?
しずかに寝息を立てている。
ええええええ?
心なしかパニックに陥りつつ、平静を保つ努力はした。
寝込みを襲っていいんですか?
というか、なんでいるの?
どこから入った…鍵閉めてなかったっけ。
つか、どうして?
兎も角オレは制服に着替えた。
相変わらず、不法侵入者はすやすやと寝息を立てている。
状況を理解し、把握する前に、自分が落ち着かなくてはと、身支度を整えたはいいが、どうしたものか。
なんとなく、キッチンに向かい、2人分の食事を用意した。
起きてくる様子も無く、起こしに向かった。
NEXT>>
|