「オイコラ、遅刻するぞ。」
「ん?」
「起きろって。」
「うう。」
肩を揺らしても、布団にしがみついて起きる気配もない。
可愛い。
眉間にシワを寄せて、布団に顔を擦り付ける仕草が可愛い。
コンパクトに丸くなっているのも可愛い。
………。
いかん、このままだと完全に遅刻する。
(リザを迎えに行く時間にだ。)
「起きろ。このクソチビ。」
小声でこっそりと言ってみると、耳がピクリと動き…
「誰が、豆粒ドチビでアリンコと間違えただ!表に出ろやゴルァ!」
と勢いよく、まぁ、寝起きにそれだけまくし立てられると、感心した。
「事情は後で聞くから、顔洗って着替えてこい。飯の準備はできてる。」
「お、おう。」
タオルを渡して洗面所へ押し込んだ。
ドアの横に見慣れない鞄があったので、多分糞餓鬼の荷物はその中なのだろう。


「おはようございます。」
「おはようございます。」
「あ、あのさ。」
「いいから、さっさと食え。」
問答無用で、朝飯を食わせるとサクサク片付けた。
無言無表情を貫いた。
仕方ないだろう?どんな顔をして、何を言えばいいのかわからなかったんだ。


「おは…って、なんで先生がいるの?」
「知らねぇ。」
オレの後で大きな鞄を持って小さくなっている。
訳あり万歳なのだろうが、とりあえずは、バスに乗り込むのが先決だった。
この時間は空いていて、同じ学校の生徒は全くと言っていいほどいない。


「で、理由を説明してもらおうか。」
「小1時間ほど掛かりますが…」
「纏めてくれ。」
「えっと、弟に気を利かせて学校に帰ると言ったはいいけれど、研究室の鍵を忘れたらしく入れなかったんです。」
「で、どうしてオレの家なんだ。」
「家に帰るのもあれだったので、知ってる家だったし。玄関開いてたし。」
一番後ろの座席。
糞餓鬼を挟んで座っている。
リザは何のことやらと訳がわからない様子だ。
オレもわけがわからない。
「不法侵入だな。」
「う…。」
「先生としての自覚がない。」
「う…でも、似非だし。」
「それでも。」


なんだかな、何か違うな。
こういう険悪な雰囲気に持ち込みたかったわけではないんですが…。


「席外すわ。ロイ、先生いじめないでよ。」
最前列にごそごそと移動するリザを眺めながら、ため息をついた。
隣でいつも以上に小さくなって、こちらに不安げな視線を送る糞餓鬼。
「別に、怒ってる訳じゃないんだけどさ。」
「お、オレ、誰にだってこんな、不法侵入してる訳じゃなくてさ、起きてたら相手してもらおうと思ったけど、応答無くって、でも、ドアあいたから…でも、悪気なんてほんとなくて、勉強でもしてるのかなとか思ってさ。で、ロイの部屋入ったら寝てるんだもん。つついても起きないし、俺も眠くなって…寝ちゃったりしちゃったり。」
怒涛の長台詞…。
「わかった。」
「オレ、夢見なくなっちゃったんだ。」
唐突。
「え?」
「一人で森を歩いている夢を見て以来、見てないんだ。」
「どういうことだ?」
「いままでも、そんなに頻繁に見てたわけじゃないんだけどさ。」
血の気が引いていくのを感じた。
だから、オレは独りで歩いているんだ。
なんとなくそう感じた。


その日、ただ流れるように時間を無駄にした。
考えることも何もかもが億劫になっていた。
午後になって、教師から体調が悪いのかと聞かれそのまま保健室で休むことになった。
硬いベッド、パリパリのシーツ、薄い枕。


「何が足りない?」
森を包む声にオレは心底怯えていた。
繰り返すその声は、誰かの声のようであり、誰の声でもないようだった。
暗い森。月の光も届かない、真っ暗な森。
オレは恐ろしくなって、叫んだ。
誰かの名前を叫んでいた気がする。
糞餓鬼の名前…だろうか。


「うなされてたぞ。」
目を開けると、そこには月の光に似た蜂蜜色の少年が、心配げな顔をしてこちらを覗いていた。
心が浄化されていくのを感じつつ、また新たにどす黒い何かが生まれてくるのを感じていた。
「今何時?」
「4時半。」
「ホームルームも終わってるのか。」
「校医の先生は起きるまで寝かせとけって、言ってた。」
ベッドの脇に診療用の椅子を持ってきている。
クルクルと足を軸に体を動かしている。
「また、森の夢見てたのか?」
「ああ。最近は毎日だ。」
「そうか。」
回っていた体がピタリと止まったのは、オレが抱きついたからで、本人の意思とは全く違い、勢いをつけた体は、オレのほうに倒れこむ形になった。
「ごめん、少しだけ…」
「いいよ。」
戸惑いがちの声色は、それでも肯定だったことに安堵した。
心情的にやさしく抱きしめるなんてできない状態で…どちらかというと、しがみついているという状態に近かった。
背中に回された手がやさしく撫でるのに、人の暖かさを痛感した。
胸が締め付けられて、涙がとめどなく流れてきた。
うれしくて、悲しくて、寂しくて、途方も無い色々な感情があふれ出した。
ただ、助けて欲しかった。
夢の中とはいえ、孤独で…。
月の光も何もない。
「オレ、夢の中では一緒にいないけどさ、多分オレもあんたを探してる。でも、ここじゃ、オレはここに居るよ。あんたの隣にいれるよ。」
おかしな話だ。
ここでは、これだけ近くにいるのに…言葉を交わすことも、体温を感じることもできる。
それでも、恐ろしいと、悲しいと、寂しいと、そういう感情だけがオレを支配した。
「おかしな話だな。夢になんかに囚われてるなんて…」
体をそっと離すと、糞餓鬼の目も赤くなっていた。
2人で笑った。


「オレ、こんな泣き脆くなかったんだけどな。」
綺麗なタオルを2枚拝借して、顔を洗った。
心地よい冷たさの水が、火照った目元に気持ちが良かった。
「オレも、人前で泣くなんて幼稚園以来のような気がする。」
「いんじゃね?」
「?」
「だって、オレらは運命の相手同士なんだろ?今更、何があったって切れりゃしねぇよ。」
「そうだな。」
なら、早くオレを見つけてくれ。
そんな汚い感情が押し寄せてきた。
それでも、笑う顔に笑い返した。


「あ、リザは?」
もしや教室で待っているのではないかと、血の気が引いた。
「先に帰ってって、言いに行った。」
「そりゃ、どうも。」
「いいよ。それより、帰りにゲーセン行こうぜ。1ゲームぐらいはおごってくれるだろ?」
教室に戻りがてら、自販機で紙パックのジュースを買って投げてよこした。
「サンクス。って、苺牛乳…。」
「好きだろ?苺。」
「いや、あれは苺本体を食べるからおいしいのであって、牛から搾り出した白濁汁と混ぜるなんておこがましい!」
「なんだそりゃ。」
オレは、自分用に買ったミルクティーと交換してやった。
「なんだよ、この象…」
「癖になる顔だろ?」
久々に飲んだ苺乳乳は甘ったるくて、飲めたものではなかった。
糞餓鬼は象と見つめあいながら爆笑している。
「なぁ、
こちらを何?と言いながら振り返る糞餓鬼に、キスを一つ落とした。
オレ、お前のことが好きだ。」
いつもなら、慌てふためくのだが、今回は存外落ち着いているようだ。
「知ってる。」
「そうか。」
「っていうか、好きでも無いやつにこういうことしてるなら、軽蔑の対象になるぞ。」
「それは、困る。」
「オレも、お前とこうしてるのは嫌いじゃない。」


男子学生。
これみごとにムードのかけらもないが、静かな教室はそれなりの雰囲気をかもしだしていた。


「それは、良い方向に受け止めてもいいんだろ?」
「任せる。これ以上は恥ずかしくて、言えない。」
次第に赤くなっていく顔に、またキスを一つ落とした。
窓の外では運動部員の掛け声がこだましている。
その所為か、教室内の静かさは息が詰るほどだ。
「さて、ゲーセン。行きますか。」
「お、おう。」


連れ立って歩くことにはなれた。
なんたって、こいつには気を使うということをしなくていい。
歩く早さも、いつも通りで構わないのだから。
ゆっくり歩いてやろうものなら、コンパスの違いを馬鹿にされたと思い、勇んで早足で歩いた。
そういう姿も可愛いと思う。
せせこましく隣で歩くのを見ていると、顔が緩んでくる。
「そのにやけ顔、なんとかならないのか?」
「生まれつきだよ。」
表現の仕様のない、嫌そうな、鬱陶しそうな顔をこちらに向ける。
「生まれつきそんなのだったら、幼児虐待の引き金にならなかったか?」


いつものゲームセンター。
学校帰りにそのまま来るのは久しぶりだった。
ヒューズから着信があったが、無視した。
「いいのか?」
「いいの。」
その後、ケータイは音も振動もないマナーモードで、オレ達を阻むものは何も無くなった。
制服の女子高生が相変わらずクレーンゲームにご執心で、カップルもそれに習っていた。
ここへくるまでの繁華街の道のりは険しく、遠いものだった。
糞餓鬼はスカウトされるし、逆ナンの回数も通常以上だ。
ま、見目麗しい可愛い少年と、また見目麗しいカッコイイ青年が連れ立って歩いているのだ。
誰しもが振り向きかえるのは至極当然のことなのだろう。
(別に衒っているつもりはない!)
「よし、やれ。お前の実力をとくと拝見してやろう。見られるというプレッシャーに見事打ち勝ってみろ。」
「なんだよ、嫌に上機嫌だな。」
半笑いでオレを見上げる糞餓鬼は、それでもどこかうれしそうだ。
流石のこいつでも、軽々と2Eの記録を打ち破ることができないと高をくくっていた。
聞きなれた電子音が耳に馴染む。









ああ、そうですか。
エドワード・エルリック。
よく考えなくても、2Eって、お前か。
「ど、どうした?」
14面…高速に高速を極めた落下速度を良くぞそこまで認識すると感嘆した。
しかし、またもや最高ランクをたたきつけた2Eが、目の前の糞餓鬼だということに大きくショックを受けた。
うなだれたオレに焦りつつ、誇らしげに声を掛けるこいつをどうしてやろうかと思ったが、色々と合点がついた。


「パズルゲームって、得意でさ。前に、こんなちっちゃなテトリスはやったろ?あの時も研究そっちのけで夢中になってたら教授に没収された。」
子供らしいといえば、子供らしいが、言葉が出ない。
「何時間くらいやってたんだ?」
「昼休みにはじめて、没収されたのが夜だったから、それくらい?」
そりゃ、教授も怒るわ。
でも、教授が止めていなかったら、いつまでも続けていたんだろう。
おそろしい集中力。
「だってさ、ゲームオーバーにならねんだもん。」
「あっそう。」
今のだって、後でガン見しているにも関わらず、これ見事な集中力だったのだ。
終わるなり大きく息をついたことから考えても、そうとうなものだろう。
「でもさ、集中力を養うためにはテトリスが一番とか言って、オレに薦めたのは教授だぜ、もう、なんなんだよ。なぁ?」
「お前は、集中力を養う必要性がなかったんだろう。」
「そうか…。」
こいつからすれば、世のすべての人間が注意散漫に見えるのだろうか。
改めて、こいつの“天才”に驚いた。


「オレは、これしかできねぇもん。」
「はぁ。」
「別に、運動が出来るわけでも、音楽が出来るわけでも、絵が書けるわけでもないし、与えられた研究課題をこなすことしかできない。」
「探究心がないってことか?」
「近いところがあるな。自分で、研究課題を見出すことができないんだ。」
「それって、困るのか?」
「困りはしないけどさ。結局機械みたいなもんじゃね?言われたことをただこなしていく。」
「普通の奴には到底無理なことなんだからさ、それでもすごいと思うぞ。」
「そうかな?オレは、ロイの方がすごいと思う。人としての感情とか、そういうのをきちんと持ってる。」
「お前だって。」
「違うよ。あんたと出会えたからだ。出会えたから、オレは人らしくなれた。」
流石に、オレがゲームをする気にならなかったため、早々とゲーセンを後にして、学校までの道のりをトボトボ歩くことにした。
繁華街を出てしまえば、閑静な住宅街が続き、先日も歩いたかなと、聳え立つコンクリートの壁を見上げていた。
「ウィンリィにさ、変わったって言われた。」
「へぇ。」
「人とつるんでるところはじめて見たって言われた。」
「んなこた、無いだろう?アメリカでバスケットとか、仲間でやってたろ。」
「おせっかいなおっさん達なんだよ。ユーはチャイルドなのに遊ばないとかぬかしてさ。」
「半ば強制的に?」
「楽しかったけどな。」
歩く速度は、本当にゆっくりで、きっとこの道が永遠と続けばいいと、こいつも思っていたに違いない。
夢と同じ立ち位置で、手でもつなげばそっくりそのままだった。
車道が左側なので、自然とオレが左側を歩く形になっている。


「アルはさ、すぐに自分のやりたいことを見つけたんだよ。でも、俺は見つけられなかった。だから、飛び級して、とにかく勉強して、研究員になって…、ただそれだけなんだ。」
だんだん、声が曇ってくる。
開けてはいけない箱をゆっくりと開けるような、そんな声。
「夢を見ても、さして興味が持てなかった。夢に溺れていくのが恐かったんだ。」
「うん。」



結局、オレ達はどこかでつながっていたようだ。
何がつながっていたのかは、まだハッキリとはわからないがそれでも何かに近づけた気がした。
ぐしゃぐしゃに泣いて、すっきりしたのもあったが、素直に“好き”と伝えられたことが誉に思える。
独りでも、もう恐くない?
目が覚めれば、隣にこいつはいるのだ。
何を恐がるのだ!
オレは堂々巡りの末、当たり前のことに今更気づいた。







第6回
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