オレは自我というものがとても薄かった。
知識を得れば、全てを海綿のように吸収した。
とめどない記憶の海。
それを漂う喪屑のようにオレは生きてきたと思う。
人間らしいところと言えば、弟の歌声に感動したり、夢を見たりするくらいだったと思う。
子供らしい喧嘩なんか、あまりしたことが無かったように思う。
弟とだって、喧嘩するまでに発展することは稀だった。
あの時、他の研究所への研修を選んでいたならきっと、オレはそのままだった。
ここへ来て、あいつに出会えてよかったと、本当に思っている。
自分がどこへ行きたいのか、何がしたいのかが見えてきた気がする。
足りないものって、それだったのかもしれない。
次、あの夢を見ることができたのなら、きっとまた手をつないで歩いてるんだろうな。
そうしたら、絶対相手の顔を拝んでやる。
でも、あいつだっていう確信がある。
だって、そうだろ?
くろねこ通信※黒猫の用心棒の続きみたいなもの※
第5回 くろねことうそうちゅう
まるでそれは、懺悔を聞いているようだった。
うつむき加減の糞餓鬼の表情は見て取れないが、声でわかる。
生きているのが、悪いことのように言う。
「生きて呼吸している実感が、持てるようになった。」
「そうか。」
前向きなことを言っているにもかかわらず、どこか頼りない声。
「あんたのお陰だよ。」
こちらを振り向いた顔は、笑顔かと思ったら至極複雑な顔を見せていた。
「そんな大層なこと、した覚えはないがな。」
こちらが肯定の意を表すとやっとのこと、笑顔に変る。
夏休み、昆虫採集、プール、海水浴、秘密基地…そんな言葉が似合うその顔は、本当に糞餓鬼だ。
「オレ、目標ができた。あんたとオレの遺伝子の接点。いや、違うな。遺伝子の共鳴原理。」
言ってることは、それとは大きく違うが…
「は?」
「運命の出会いとか、そういう事言ったり、思ったりすることに対してだよ。」
「それはまた、とてつもなく曖昧な研究だな。」
「だから、いいんだよ。」
「そういう、ものかね?」
「生涯を通してこの研究をしていきたいと思えるんだ。」
「そりゃ、よかったな。」
オレが笑いかけると、糞餓鬼は照れたように笑って、一歩前を歩いた。
「あれ?ロイは向こうの道だろ?」
「ん?」
「いや、だから、ロイは家があっちだろう?学校までついて来る気かよ。」
「離れたくない顔してるから?」
「し、してない。」
夕焼け色に染まる糞餓鬼の頭をくしゃくしゃに撫でた。
嫌そうな顔をしながら、どこかそれがうれしそうに見えるのは、気のせいではないはずだ。
「明日も、もしかしたら、夢でも会えるんだ。別れを惜しむ必要は無いんだがな。」
そう言ってしまったオレは、自分が離れたくないのだと気づいた。
だから、手を取って学校への道を歩いた。
微妙な時間。
体裁を気にする性質じゃ無いが、帰宅部も委員会活動の連中も帰った頃だし、部活に勤しむ連中はまだまだだ。
「ひっぱんなって。」
ふと、オレは自然とあいつの左手を握ったことに違和感を感じていた。
「なぁ、なんでオレはいつもお前の左手をつかむんだろうか?」
「しらねぇよ。」
「これがヒントなんじゃね?」
「ヒント?」
「そうだよ。」
「オレは絶対右に立って、お前の右手を掴もうとは思わないんだ。」
「オレも、左手を差し出すな。」
オレ達は、よくわからない確信と疑念を持って別れた。
その日、珍しくテレビなんぞをつけっぱなしにしていた。
勉強する気にもなれず、寝てしまうにも早い時間だ。
こういう時、趣味があればそれに費やすこともできたのだろうが、あいにくオレは暇を費やす限りだ。
さして面白くもないお笑い番組を眺めていた。
突如、ニュース速報がテレビ画面の上部に流れた。
地震情報か、そのあたりだろうと眺めていたら、どうやら違うようだ。
どこの国かは見逃してしまったが、どこかの国でテロ事件が起こり、死傷者が出たという事だった。
その後、5分も経たない内に、画面が切り替わり、音声と画像がチグハグな生々しい映像が流れだした。
右翼派のテロリストが仲間の解放を訴え、テルス市街のど真ん中に爆弾を撒き散らした。
テロリストはあっけなく掴まったはいいが、肝心の爆弾が処理できずに爆発。
避難勧告も間に合わず、死傷者が数万人出ると予想されると。
遠くの国のオレ達には何の関係もないところで起こる、悲惨な事件。
その日、オレは珍しくも夢を見なかった。
ただ深く、深く眠っていたように思う。
昨日の事件は、「テルスの業火」と早々に命名され、どのチャンネルもそれについて報道していた。
死傷者は十数万人に上らしい。
「テロだって、恐いな。知り合いとか、大丈夫だったか?」
「何人か、連絡がつかないって、研究所は今大変なことになってる。」
教室に入ると、いつものように専門書を読みふけっていた。
「そうか、行かなくていいのか?」
「行ったって、何の役にも立たねぇよ。」
「それもそうだな。」
「皮肉なもんだな。その人の心配より、その人がやってた研究の方が心配だなんてさ。」
「そんなもんだろ。」
きっと、こいつもそっちの方を先に考えたんだろうな。
研究員って、命よりもそっちの方が大切とか、そんなもんなのだろう。
「それじゃ、駄目だと思うんだよ。人間的に。」
「そうか?」
「そうだよ。薄情すぎる。」
「研究をするってことは、それに命も体も、思想も全て捧げるってことだろ?」
「そうだけど…なんか違う。」
「きっと、死んでしまっていたとしても、そいつらも自分が死んでしまう瞬間は、自分の命よりも、研究のことを考えたんじゃね?」
「うーん。」
「お前だって、そうだろ?」
「そうだけどさ。」
「後からでもこうやって、苦悩しながら心配している奴がいるってだけで、浮かばれるもんだって。それに、研究から離れたところにいる友達とか、家族とかはさ、真剣にそいつらの命の心配してるんだから。お前が悩むことはねぇよ。」
「うん。」
その日、学校も騒然としていた。
4時限目の最中に、職員が糞餓鬼を呼びに来て血相を変えて出て行った。
オレのほうを振り返り、不安げな顔を見せたので、オレは大丈夫と言う意を込めて大きくうなづいてやった。
その日、糞餓鬼は戻ってはこなかった。
つけっぱなしのテレビからは、相変わらず「テルスの業火」のニュースが流れている。
爆弾の写真が手に入ったと、画面に大きく映し出されたが、ブレてそれが何かも判別しかねる写真だった。
専門家が爆弾についてよくわからない解説をしたり、製作者の思惑と、残忍性を知りもしないのに、まるで知っている相手のように説いた。
世界各国でもテロの脅威が懸念されると、空港は警備体制を強化したり、武器保有者の身元確認などにも勤しんでいると報道された。
時折、逃げ惑う事件当時の映像が流れ、事件がフィクションではないことを世間にしらしめた。
大方、携帯の録画機能でとったのだろう。
それはとても荒い画像で、音声も飛び飛びだった。
「ただいま。めずらしいのね。」
本日もまた、テレビ画面に夢中になっていた。
なんとなく気になったのだ。
世界情勢云々などは一介の高校生として知識として入れる程度であったが、この事件だけはなぜか気になっていた。
「お帰り。」
偶にブラリと帰ってくる母。
「何か、軽く食べれる?」
「用意する。」
オレは、台所にたった。
母は全く料理をしないので、自然とオレがするという形になる。
「このニュース…、酷いわよね。」
「うん。」
「何を思って、テロを起こすのかしらね?」
「さあ。雑炊でいい?」
「いいわよ、きのこは入れないでね。」
「わかってる。」
母は、何をしているかわからない。
周りは落ちるところまで落ちたといっているが、彼女には今の暮らしがあってると勝手に思っている。
社長秘書から、水商売。
そうやって言えば聞こえは悪いが、秘書時代に築いた人脈でうまくやっているようだ。
「お客さん、2人亡くなったのよ。」
「そう。」
「いい人だったのよ。人望も厚い…、どうしてそういう人ばかり早くに亡くなるのかしらね。」
けっこうお酒が入ってるみたいだ。
蓋の周りに泡が立ってきた土鍋を見つめて、ころあいを見て卵をとかし入れ、火を止めた。
「飲みすぎだよ。父も心配する。」
「しないわ。」
カウンターキッチンで、そのまま鍋敷きを転がし、その上に土鍋を置いた。
「するよ。だから、この家を追い出さないんだろ?」
「そうね。」
「それに、リザの母さんも心配してる。」
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