「森の話って、聞いたことある?」
「なに?本当のお母さんがよくしてくれたって話?」
「そう。」
「わたしは、あなたから聞いたことぐらいしか知らないわ。」
蓮華に少しだけ乗せて、冷ましながら食べる。
真っ赤に塗られた唇。
不思議と、この人にだけには嫌悪感を抱かなかった。
「そうね。あなたが話してた夢の話と似てるわよ。」
「マジで?」
「こら、そういう言葉を使うと、品格が下がるわよ。」
「わかった。次からは気をつける。で?」
「それが印象的で、他はあまり覚えてないわ。」
ゆっくりと食べながら、思い出そうとしてくれていた。
「どうかしたの?話なら、直接聞いたほうが早いんじゃない?喜ぶんでしょう?」
「まぁ、そうなんだけど。母には話したことないんだよ。夢の話。」
今は落ちぶれた、領家の娘。
父は、こっちの母とは政略結婚だったらしい。
おかげさまで、礼儀作法云々には口うるさく、人前に出ても恥ずかしくないようにと育てられた。
母としては、あまり褒められたことはしていないが、人間的にはとても尊敬している。
どちらかというと、リザの母さんの方がそれらしい。
長年のお隣同士で、小さな頃は預けられることも多かった。
「まだ見るの?」
「たまに。」
「そう。でも、だんだん、実年齢に近づいてるんじゃない?」
「身長は同じくらいになったと思う。目線の高さに違和感がないんだ。」
「そうなのね。『夢の中ででっかいおじさんになっちゃった。』」
「なにそれ。」
「はじめてまともに夢を見た日のわたしへの報告。」
「そんなこと、言ってた訳ね。」
なんとなく、気恥ずかしくなった。
こういう場面でも、姿勢を正し、肘をつくことも無く綺麗に食べるこの人は、とても綺麗な人だと思う。
「誰だか、わかったの?」
「見当がついたんだ。」
「そう。それはよかったわね。運命の人との出会い。ステキね。」
「ありがとう。」
時計を見ると、10時を過ぎていたので、明日辺り電話しようかと考えた。
テレビからは相変わらず、テロの情報が流れてきている。
経済的被害、物的被害、そして、人的被害。
遠くの国での出来事ではあるが、なぜか近くに感じていた。
きっと、母の店の常連が亡くなったと聞いたからだ。
ぬるま湯に浸かるようなしっとりとした空気の中、また森を一人で歩いていた。
テレビの影響か、どこか遠くで叫び声が聞こえていた。
それと、すすり泣く誰かの声。
あいつのような気がして、一生懸命走ろうと努力したが、体は思うようには動かず、ただゆっくりと森の中をあてどなく歩いた。
近づくようで、遠のくようで、はっきりとしない距離感が、いやにまどろっこしかった。
駆け出したかった。
でも、オレの体ではないように、いうことをきかなかった。
珍しく、すっきりと目覚めた。
糞餓鬼の様子が気になったが、連絡先を知らないことに気が付いた。
そういえば、携帯電話を使っているのを見たことがない。
「え?連絡先?いいけど。」
「ごめん、ちょっと急用。」
遠回りだが、確実だ。
リザから、ハボック青年の連絡先を聞き出して、彼から弟、糞餓鬼の連絡先とつなげられれば問題はないはずだ。
だだっぴろい学院の敷地内を、研究所を探して走り回るよりは効果的に思えた。
学校に行って、いなかったらそうしよう。
新たに増えたメモリを眺めながら、糞餓鬼のことを思った。
「先生、なにかあったの?」
鋭い幼馴染におどろいた。
「どうして、思考がそっちに行くんだよ。」
「ん?なんとなく?」
こいつに嘘をついても仕方がない。
「昨日、研究所から召集がかかったんだよ。」
「そうなの。」
バスを降りると、見たことのある少女が立っていた。
校門の前で右往左往している。
「ウィンリィちゃん?」
「あ…。」
「どうしたの?」
「エドに、ちょっと用事があったんだけど、入っていいものかと…」
「ああ。」
見事に、研究所を探して奔走するはめになりそうだ。
「あいつ、携帯とか持ってなくて、研究所も電話がつながらなくて。」
「そうなんだ。」
「ごめん、リザ。このこ連れてエドのところに行ってくる。」
「わかった。」
兎も角、大学院の方向に向かえば間違いは無いと、それに向かった。
こっちにくることは無かったため、所々で立つ地図を頼りに歩いた。
時間が早い所為か、大学の事務所はまだ閉まっていて、頼ることができない。
キックボードを使うことから考えて、近くはないはずだ。
研究・実習棟と記載されている方向へ足を向けると、それっぽい白い建物があった。
入口では何人かの白衣を着た研究員と思われる人が、携帯電話片手に慌しく行き来していた。
「あそこかな?」
「それっぽいですね。」
こちらに気づいていないのか、まったく相手にされない。
忙しくて、それどころじゃないのかもしれない。
入口の脇で、小休憩とタバコをふかす研究員を見つけて、寄っていくとあちらも認めたのか、こちらを向いた。
「高等部の生徒が何の用かい?」
「あの、エドワード・エルリックを呼んで欲しいんですが。」
「あ、ああ。あいつなら、さっき寝に行かせたから、2階の端の休憩室で寝てると思うよ。勝手に入ってもか…まうか。その恰好はまずいな。」
制服のオレをじわっと眺めた。
携帯電話を取り出して、どこかへ連絡をはじめた。
「すまん、起こしてきてくれ。…いや、客人だ。」
慌しい、研究所。
きっと普段、研究員は作業に没頭し、閑散としているのだろう。
「すみません。」
「いいって、こんなところに来るなんて、よほどのことだろ?」
「ええ。」
「あ、もしかして、おまえロイか?」
唐突に立ち上がり、タバコを向ける。
「は?はい。そうでうが。」
「エドの言ってたとおりだな。あはは。まぁ、仲良くしてやってくれ。」
「はい。」
「で、そっちが幼馴染のウィンちゃん。」
「ウィンリィです。」
にっこりと笑う顔はどことなく恐かった。
きっと、糞餓鬼がこの子をからかう時にそう呼ぶのかもしれない。
「そうだった。そうだった。もうすぐ、降りてくるよ。」
「はい。」
タバコをひとつふかして大きくその人は背伸びをした。
「学会間近の研究の資料がひとつ吹き飛んでね。写しを取る前だったから、大慌てだよ。そいつも一緒に吹き飛んでるしさ。」
あけらかんと言うその台詞とはうらはらに、表情は険しかった。
“そいつ”とこの人は確かな信頼関係の上にいたのかもしれない。
どことなしか、目元が赤い。
「ロイ!ウィンリィ!」
叫び声と共に、豪快に登場。
いつもとは違う雰囲気。
メガネに白衣。
ようやっと、こいつがこの空間の人間なんだと実感した。
「すみません、ありがとうございます。」
「いいって。って、寝てなかったのか?」
「寝ようと布団を引っ張り出したところで、呼ばれたんです。」
「そうか、すまんすまん。」
「どうした?」
「あの、エド…落ち着いて聞いてね。グリードさんが、亡くなったって。」
糞餓鬼の表情が固まる。
「は?」
「わたし、今から緊急帰国することになったの。」
「亡くなったって、どうしてあいつがテルスにいるんだよ。」
「講演会があったらしいの。」
「そ、そうなのか…。」
「えど、グリードさんって、あのグリードさんか?」
さっきの親切な研究員が蒼い顔をして、エドの肩をつかむ。
「そうだよ。」
この声を聞きつけてか、辺りが騒然としはじめた。
うなだれた糞餓鬼は、今にも倒れそうだ。
「ロイ…オレ、しばらく学校に行けないから。他の先生たちは知ってる。」
「わかった。」
「エド、気をしっかりもってね。もう、時間無いの。ごめんね。」
「いいよ。お前だって、辛いだろ。」
「大丈夫よ。飛行機の中で思い切り泣くから。」
「そうか。」
「うん。」
静に笑って、エドの肩を軽く叩いた彼女の顔は、どうみても気丈に振舞っているとしか思えなかった。
きっと、初めて言葉にしたのだろう。
彼女を正門まで送ると、タクシーが待っていた。
戻りながら、電話したのだ。
「ありがとうございます。」
「いいよ。あいつのことが心配だったし。」
「エドのことも、お礼言わせて。あんなに生き生きとしてるエドって、はじめてみたわ。」
「うん。」
惜しむ別れは無い筈なのに、なぜだか悲しい気持ちになった。
もっと、彼女にしか知らないあいつの話をしたかったのかもしれない。
教室に入ると、既に1時限目は始まっていて、教師は聞いているとひとこと言ってオレを席に着かせた。
空席の隣を横目で見て、焦燥に駆られた。
授業に身を入れようと必死になったが、空回りしていた。
放課後を待って、もう1度研究所まで行った。
朝とは違い、静かな空気を纏っていた。
科学部の部員に白衣を借りてきていたので、それを羽織って研究所に入った。
白い扉に白い廊下。
別世界に迷い込んだ気分になったが、様々なドアから聞こえる、すすり泣く声や、大泣きする声、罵声に我に返った。
とりあえず、2階の端の部屋を目指した。
もしかしたら、いるかもしれないという期待だ。
部屋の前まで来ると、『エド専用』と大きく紙が張られている部屋があった。
ノックしても返事が無く、不法侵入よろしくで、部屋に入った。
「オレは、あいつの代わりなんてしねぇぞ。」
上ずった声。
きっと泣いているのだろう。
閑散とした部屋の書類の散らかった机の上で、そのままの状態で突っ伏していた。
「エド。」
はっと振り返る糞餓鬼の顔は、真っ赤で、目元は晴れ上がっている。
「ろ…い?」
「オレに側に居て欲しいのかなと思っ…
すべてを言い切る前に、糞餓鬼は椅子を倒しながらダイレクトアタックを決めてきた。
胃と、背中に鈍痛を感じながら、オレは小さな双肩を受け止めた。
「ロイ…」
「ん?」
そして、大声を上げて泣いた。
どれくらいそのままだっただろうか。
きっと、制服と白衣は、こいつの涙と鼻水で大変なことになってるのだろう。
「グリードって人が、例のバスケットボールの人か。」
なんとなく、予想はついた。
話を纏めると、こいつはちょっとやそっとでは懐かないようだし、ここまでになるのも相当だろう。
ということは、該当者は一人しかいない。
頷きながら鼻水をすする、糞餓鬼が愛おしいと、場違いながら感じた。
ソファーベッドに寝かせて、部屋の隅に置いてあった冷蔵庫から奇跡的にあった保冷用のアイスをタオルにくるんで渡した。
「気持ちいい。」
「いい人だったんだな。」
「うん。」
大きくため息をつく。
「研究者としても、すごい人でさ。みんな、好きだった。」
「そうか。」
静に起き上がると、脇に座っていたオレに倒れこんできた。
お陰で、押し倒される形になっている。
「慰めろ。」
「充分、なぐさめてるだろ?」
「足りない。」
「どうしてほしんだよ。」
「抱きしめて、頭を撫でてほしい。」
「さっきもしただろ。」
「それでも。」
「はいはい。」
オレは言われるままに、きつく抱きしめ、頭を撫でた。
寝息を立て始めたのはそれからすぐのことだ。
朝、別れてからも寝ていなかったのかもしれない。
寝れるわけないか。
身動きが取れないなと思いながら、静に頭を撫で続けた。
森の中でオレはまだ、ひとりで歩いていた。
胸がただただ苦しくて、泣き出しそうだった。
体は相変わらず、いう事を聞かずオレの意思とは無関係に歩き続けていた。
外泊よろしく。
気が付くと朝で、ドアの向こうには昨日の親切な研究員が珈琲を持って立っていた。
どうやら、珈琲の匂いで目が覚めたらしい。
とてもいい匂いがする。
「お、はようございます。」
「珈琲は3ついるらしいね。」
「すみません。」
そう言って、散らかった机の書類をよけて手に持った2つの珈琲カップを置いて、出て行った。
糞餓鬼はオレの腹の上でまだ寝ている。
保冷用のアイスはまだ溶けきっていないらしく、いつのまにかオレの肩のところに落ちている。
左肩の感覚が無いと、それをよけようとしたが、うまく手が届かなくて諦めた。
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