流石に体裁が色々と悪いので、タクシーを呼んで学校へ向かった。
もちろんオレも私服だ。
研究所に近い門扉まで行ってもらった。
昨日の夕方と同じ空気が漂っていた。
静かな気配。
既に、普段の様子に戻っているようだった。
「ありがとな。」
「うん。」
オレが一緒にいても仕方がないので、オレはそのままブラリと帰ることにした。
本屋に行くのもいい。
すると買い物帰りか、昨日の親切な人とばたりと出会った。
「こんにちは。」
「こんにちは。君がいるという事は、エドも帰ってきたってことか。」
「はい。」
「なに?これから用事ある?サボらせたお詫びに珈琲飲んでいけよ。」
「は、はい。」
時間は山のようにあり、用事はさっぱりなかった。
付いて行った先は応接間らしきところで、まるで客人扱いに居心地が悪かった。
(確かに客人だけれど!)


「悪いね。少し君と話がしたかったんだ。」
「はぁ。」
「堅苦しくしなくていいよ、こんな場所だけれど、結構仮眠室に使ったりする場所だったりするし。」
エスパーか。
「はい。」
「彼が、グリードさんのことで泣いたのがちょっとしたセンセーショナルでね。君が彼に何をしたのか興味がわいてね。」
「別に、何かをした覚えはないんですが。」
あははと、一つ笑うと真剣な顔になった。
「彼がここへ来たのは、まだランドセルが似合う年だったんだよ。始終ぶっちょう面で、こちらとしても扱いにくい子だったんだ。でも、彼は間違いなく天才で、任せる研究すべてが完璧に理論だてられ、学会で高い評価を受けた。」
そういいながら、薫り高い珈琲を1口啜った。
「そんなに会話をする機会は無かったんだが、グリードさんと出会ってからは鬱陶しがりながらも、ちらほら笑い出してね。その頃かな、本を書けば印税が入るのかと、初めて彼から僕らに話しかけてきた。彼は見事に本を記し莫大な印税を手に入れて、学費を払ってしまった。」
「そうらしいですね。」
「聞いてたか。」
「ええ。」
「オレ等しがない研究員は、来月の家賃の心配したりと金欠状態なのにな…こにくたらしい。」
心のうちをうっかりさらけ出してしまったか、アハハと豪快に笑ってごまかされた。
「先日、しっかりとたかって仇はとりました。」
ありがとうと、引きつりながら笑っている。
結構惨めな気持ちになっているのだろう。
「その手助けというか、出版にあたっての援助をしたのがグリードさんだったわけだ。それから、グリードさんは子供らしくない彼をよくさそって、バスケットをしたり、お得意のギターを聞かせたりしてたんだよ。」
下手だったけどね。とこちらに笑いかけた。
「はい。」
「それでも、彼は彼で、根本的なところは何一つ変らなかった。」
そこまで言うと、珈琲を再度口に運んだ。
「でも、この1週間とちょっとで彼は劇的な変化を遂げた。」
「みたいですね。彼の幼馴染も驚いていました。」
「あはは、そうだろうね。彼は基本的にはここに住んではいるけれど、研究室への立ち入りは教育実習が終わるまで禁止になってるんだ。」
「そうなんですか?」
「本当は、実家から通えって教授は言ったらしいんだけどね。でも、僕らも研究室にこもりきりだから会う機会は本当に無かったわけだ。で、一昨日久々にあった彼は生き生きとしていて、喧騒の中だったが、みな驚いた。」
「授業中に呼び出しがかかったんです。」
「地方に講演で飛んでいた教授面々も緊急招集されたからね。」
そんなに大事だったのかと、改めて事態の深刻さを感じた。
「その時、彼はとても心配そうな顔をしていたんだ。それから、泣き崩れる研究員を励まし、率先して向こうとの連絡係になったりもした。」
「彼はいままで、受動態だったんですね。」
「そうだね。彼は今まで、自分から何か行動を起こすことはなかったんだ。教授もそれを心配して、教育実習の話をもちかけたんだ。」
「そうだったんですか。研究が行き詰って…と聞いていました。」
「それもあるね。でも、彼は知らないけれど、そういう裏話もあったわけだ。で、君が彼に何をしたのか興味がわいた。」
「でも、どうしてオレの名前を知っていたんです?」
「1日目の途中でトラブルがあって、彼に戻ってきてもらったことあったろ?その時にお世話係の話をして、君の名前を知った。」
「卒業生なんですね。」
「そうだよ。」
「オレは、彼に別に何かをしたわけでもありません。ただ友達になっただけです。彼に足りないものはそれだったのかもしれません。」
「そうだね。彼には友達と呼べる存在がいなかったようだか…
突然鳴り出した携帯の音に、オレは驚いていたが、静かに携帯を取り出してそれに応えていた。


「すまないね。こちらから呼び止めたのに。」
「いえ。」
「気軽に遊びに来てくれていいから。」
「はい。」
「あ、それから、色々とごめんね。」
「?いいですよ。友達ですから。」
そう言って後にした。


あいつに追いつきたいと痛切に思った。
なんでもいい。
早く世間に認められるものになりたかった。
勉強して、大学に入って。
ただそれだけだったオレにも、何かが見えた気がした。
まだ将来何になりたいとか、漠然としていて見えはしなかったが、それでも確かな意思を持っていける気がした。


オレは携帯を取り出して、本当の母に連絡した。
二つ返事で夕食に招待されることになった。
父は今日も遅いらしい。
何度かしか訪れたことのないマンションは、相変わらず不相応な気がした。
エレベーターの中でそれは顕著になり、早く帰りたい衝動に駆られた。
小さな子供でもないのに、落ち着かなかった。


「いらっしゃい。」
笑う顔はとてもうれしそうで、やさしかった。
でも早く帰りたいと思う気持ちはさっぱり拭えず、このまま玄関で用件だけ済ませて帰ってしまいたかった。
「おじゃまします。」
きっとこの会話がおかしいのだろう。
絶対に『おかえりなさい』とは言ってはもらえないのだから。


中に入るといい匂いがしていた。
シチューとサラダ、それにパン。
「ごめんなさいね。突然だったから、こんなものしかできなくて。」
「いえ、こちらこそ、突然お邪魔してすみません。」
「いいのよ。」
そして、席について静かに食べ始めた。
母はあまり綺麗な食べ方をしない。
カチャカチャと音を立てて、シチューを食べていた。
できるだけ音を立てないようにと努力をしているのだが、それが裏目に出るようだった。
フランスパンも食べる端からテーブルを汚していった。
「どうされましたか?」
「聞きたいことがあって来ました。」
「なにかしら。」
「昔聞かせてもらった、森の話です。」
「あら。覚えていてくれたのね。うれしいわ。」
「その話をもう1度聞かせて欲しいんです。」
「いいわよ。何度でも。」
母はにこりと笑うと、本当に嬉しそうに話し出した。


フェアリーや、ドワーフ、コロボックル、そういうものがその物語の国にはたくさんいる。
自然が豊で、作物は常に幸せの匂いを纏っている。
その国にある大きな深い森の物語。
深い深い真っ暗な森の中は朝がない。
真っ暗な森での唯一の光は、フェアリーの羽と水密灯という光を発する植物と、月だけ。
月を見ることのできる唯一の場所は湖で、そこには水の女神がいて、その女神はとても探し物が得意なんだ。
でも、女神はあるものを持っていないと探してくれないんだ。
それは探す人によって違うもので、見つかったものは大切に宝箱の中に入れないといけない。
その森には沼もあって、そこに足を踏み入れると、誰かが助けてくれなければ這い上がることができない。
沼は探しきれなかったものの悲しみが沈んでいて、探し物をしてさまよっているものを引きずり込む。


そういう話。


あるものとは、足りないもののことなのだろう。
探し物というのはなんなのだろうか。
足りないもの自体が探し物のような気もする。
じゃあ、あの時に聞いた「足りないから…」は女神の声なのだろうか。
オレの見る夢じゃ、フェアリーも飛んでいないし、水密灯も咲いていない。
いい加減、沼に引きずり込まれそうだった。


「そろそろ、お父様も帰ってこられますよ。」
「いいえ、今日はもうお暇します。明日も学校ですので。」
そう言って席を立った。
「あ、森の話をどこで聞かれたんですか?」
「どこだったかしら。気づいたら知ってたわ。幼い頃に祖母にでも聞いたのかしらね。」
「そうですか。ありがとうございました。」


一歩ずつ外界が近づくと思うと、足が軽くなった。
どうも、空気というかそういうものが苦手らしい。
だから普段は外で会うようにしているのだ。


携帯電話を見ると、メールが1件と不在着信が3件入っていた。
メールはヒューズからで、今日学校に来なかったのはなぜかというメールだった。
説明が面倒だったので、明日学校に行ったときにでも説明しようかと思った。
不在着信の1件は見たことのない番号で、2件はハボック青年からだった。
見たことのない番号はどうやら、この近所かららしく、市外局番が学校近辺のものだった。
とりあえず、ハボック青年に電話を掛けることにした。
コール音もほとんどなく、相手が出たことに驚き、急ぎの用事でもあったのかと焦った。
「ロイ!」
耳元にこだましたのは、聞きなれた声でなぜあいつの声が聞こえるのかとてつもなく不思議な気分に陥った。
「ロイ?」
「な、なんでお前が出るんだよ。」
「紆余曲折は後で説明する。」
「はぁ。」
「とにかく、ライブハウスに来い。」
「は?」
と、問いただす前に通話は途絶えた。
もう1度掛けるのも馬鹿馬鹿しかったので、大人しくライブハウスに向かうことにした。
こちとら、方向見事に逆方向で、今日はよくタクシーを使うなと思いながら財布の中身と相談しつつライブハウスへ向かった。
案の定、途中で足りなくなった分は、若さに任せて走った。






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