慌しい空気が寂しさを紛らわせた。
あいつと共に過ごした時間なんて、僅か過ぎるはずなのに、確かな時間としてオレを支配した。
そこに居る事が自然すぎて、いない今がとても居心地が悪い。
それでも呼吸して…、毎日をこうして生きている。


周りはオレが変ったと言う。
オレ自身もかわったという自覚がある。
乳白色でかすんでいた世界が、こうも色鮮やかにキラキラと輝いている。
ただ受け流すだけの研究も、興味と熱意を持って挑むことができている。
新たな発見に必要以上に心が躍る。


会いたい。
会いたいよ。
ロイ。








くろねこ通信※黒猫の用心棒の続きみたいなもの※

第8回 きんねことくろねこのきょり









早いもので、あれから3ヶ月が経った。
一部は受験モードでカリカリし始めている。
持ち上がり組みは、ゆったりとした時間を送っている。
勿論、オレは後者だ。
いつものメンツも後者である。
高校生を満喫と、青春謳歌を決め込んでいる。
学部も見事バラバラなので、卒業してしまえば会おうという気がないと会えないのだ。
あれから糞餓鬼とは、メールのやり取りを何度かするに終わっている。
簡潔、簡素なメール。
近況報告。
必要以上に記せば、会いたい気持ちが増すことはお互いわかっていた。
今回のメールは以下の通り。

「オレは元気です。
毎日忙しい。
研究はイマイチ進まない。
原因がわからない。
そこの部分のデータが見事にないので、はじめからだから泣ける。
ウィンリィにオレの作った飯を食わせた。
おいしくないと言われたけど、全部食べてたので、食べれないことは無いと思う。
また、メールする。」

何を作ったか気になったが、気にしないことにした。
ただ一方的に近況を報告する。
それがオレ達のルールだ。
それと、オレのルールだが、メールが来て3日以内は返信しない。
あいつは忙しくて、まともにメールをチェックしていないかもしれないし、待っていたみたいで、なんか恥ずかしかった。
あいつからの返信も早くて3日、遅いと2週間。
オレの存在なんか忘れているのかと、やきもきする日々もあったがもう慣れた。

「先日、風邪を引いた。
原因はヒューズ達と夜中の海に行ったからだ。
本格的にブロッシュがロスに振られた。
なぐさめるために海なんて、青春たぎっていてうらやましいだろう。
こっちは、ゆったりとした授業の総復習で、暇も同然だ。
来週から自動車学校に通うことにした。
まずは、4輪。
そのうち、2輪も取るのでどうしてもというなら乗せてやる。
いつ会え

ここまで打って手を止めた。


そのうち、2輪も取るのでどうしてもというなら乗せてやる。
また、メールする。」


大きくため息を吐きながら、送信ボタンをクリックした。
あっちは、今何時だろうか。
時計を見るたびに距離を感じてしまう。
9時間の時差がある。
それだけの距離だ。


挨拶もないまま旅立っていった糞餓鬼を、誰も責めようとはしなかった。
担任が淡々と、事情をかいつまんで説明したぐらいだった。
事情が事情なだけに、仕方がないと割り切れたのだろうか。
それとも、オレに気を使ったのだろうか。
それから1週間と経たない内に、糞餓鬼の弟がオレを尋ねてきた。
中学の制服に、目を引く容貌。
一種のカリスマ性を思わされたが、本人も至極それに馴染んでいて違和感を覚えさせられなかった。
1枚の紙切れと、これからもご迷惑をおかけしますというのを端的にオレに伝えて去って行った。
見慣れた汚い文字で書きなぐられたメールアドレス。
直通と下に記されている。
人に教えることがほとんどないメールアドレスなのだろう。2箇所ほどスペルミスしたか、塗りつぶした後に訂正してある。
彼は既にうちの高校に受かっていて、週に一度特別授業を行っているらしい。
どう考えても、飛び級をもくろんだものであろう。
才能はともかく、本人としてはバンド活動の妨げになるものを消して行った結果だが、不本意この上ないであろう。
そう以前聞いたら、本人はさして気にも留めていないようだった。
「ボクは、歌えればいいんです。」
グリードさんが亡くなってからというもの、彼は頑なだった。
貪欲に歌うことだけに、生きる全てを捧げていた。


…志望でいいんだな?」
「はい。すみません、この時期になって進路の変更をしてしまって。」
「いやいや、いいんだよ。今までの君はどこか、そうだな、受け流す形でいたようだから。」
どこかで聞いたことがあると思いながら、失笑した。
同じ穴の狢。
『夢』抜きで考えても、オレ達は似たもの同士で、だから惹かれあったのかもしれない。
最後の最後に進路をがらりと変えて申し訳ないと思いながら、職員室を後にした。


父親の会社を継ぐという、将来もあった。
このまま、経済学部を卒業して、5年ぐらい他の会社で学びながら働いて、会社を継ぐのも悪くないなと思っていた。
3人ともそう思っていたし、不満も無ければ、あたり前のことだと思っていた。
父親と久々に会い、ドンパチやったのはほんの数日前。
本当はもっと前に言おうと頑張ったが、タイミング悪く長期の海外出張をしていたのだ。
最終的には折れた。
オレの変化に大変喜んでもいた。
オレ達は、変わることができたのだ。
育ての母は、このことを聞くやいなや大笑いした。


「おわった?」
教室に戻ると、リザがオレの席に座っていた。
勉強熱心な彼女の手には、しっかりと参考書。
「待ってたのか?」
「今日は、真っ直ぐ帰るんでしょ?」
「ライブがあるんだろ?」
「覚えてたんだ。」


この3ヶ月、何の因果か研究の手伝いをさせられている。
主に雑用だが、一応わずかだがバイト代なるものも貰っている。
学校が終わってからの3〜4時間だ。
資料の整理とシャーレや試験管を洗うのが主な仕事だ。
「テルスの業火」のおかげさまで、猫の手も借りたいらしい。
そう、メールを送ったら、「くろねこよろしく。」と返ってきた。
昨日は4時間ぶっとうしで、書類にナンバリングをしていた。
カチャカチャとリズムよく押していたら、各所から苦情が出て、最終的には懐中電灯を持って研究所から離れたところでさせられた。
気候の良い時期でよかったと安堵した。
立地条件的に、冬はビル風の如く冷たい風が吹き抜け、夏は自然豊なため蚊などの虫の大群に襲われただろう。
とにもかくにも、扱いが酷いのだ。
しかし、仕事の後に入れてもらえる珈琲がおいしいので、文句も忘れてしまう。
試験管を洗うのも一苦労で、こびりついた何かを割らずに洗うのは至難の業だと感じた。
それ専用の洗い機なるものもあるらしいが、汚れが取れないと不評で、専ら乾燥・消毒の役割を担っていた。
毎日毎日、よくこれだけ試験管を使うものだと感心しながら、ゆうに200本は並べられるであろう洗い機に並べて乾燥ボタンを押す。
それが終われば、書類の整理。
確認済みの散らかった研究資料を項目ごとに纏めて、ひとつの論文になるようにするのだ。
骨の折れる作業だが、偏った英語の勉強になっている。
糞餓鬼の知っている偏った漢字を思うと、納得できた。
日常茶飯事、流暢に英語が飛び交っているこの研究所だが、この空間から出てしまうと、使い物にならないのだろう。
だいたい、もともと1つの論文としてファイリングされたものをバラバラにして研究所各所に撒き散らすという行為自体がよくわからない。
まぁ、各所部門というか、専門分野があって特定の部分しか必要ないのはわかるが。
そんなこんなで、日々十分すぎる糞餓鬼の残り香に浸りながら過ごしている。
1箇所、「エド専用」の部屋は近づくことさえ出来ないでいる。
遠くから、張り紙の右上が剥がれているのが見えた。
それでも、それを直すために近づこうとも思わなかった。
一番濃い残り香を残しているそこは、何かの聖域に思えた。







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