無言で、ただしっかりと手をつないで、森を歩くようにオレ達は学校への道のりを歩いた。
用務員室に明かりが灯っている以外は暗く、静まり返っていた。
「研究所のオレの部屋、まだそのままらしんだ。」
「そのままだよ。」
驚いた顔を見せた。
「そっか。バイトしてるんだっけ。」
「ああ。」
「みんな元気か?」
「元気だよ。一昨日、ピーターさんが彼女に振られて元気が無いくらいだ。」
「あはは。あそこはひっついたり、離れたりだからな。」
「らしいな。」
くだらない会話。
なんとも愛おしい。
この時間がとまらないものか。
この時間を止めてしまいたい。
研究所も見事に明かりが消えていた。
珍しいこともあるものだと思ったら、今日は何やらメンテナンスで夜中機械類が使えないらしい。
だからオレもバイトが休みだったというわけだ。
「バイトの特権。」
「俺も持ってるよ。」
裏口に回って、二人して鍵を取り出した。
糞餓鬼はジャラジャラと、色々な鍵を持っていた。
その中から、瞬時にココの鍵を探し当てたこいつがすごいと思った。
「慣れ親しんだ鍵だからね。」
そう言って、どっちが鍵を開けるか喧嘩した。
ささやかな瞬間。
最終的にじゃんけんで俺が負けた。
誇らしげにキーチェーンを回しながら、人気のない暗い廊下を歩いた。
白い壁や床は見事なぐらいにくっきりと影を作っていた。
光と闇を交互に通過しながら、前を歩く糞餓鬼を眺めた。
闇の中でも光を放っている気がした。
薬品の匂いが自然と感じられるのは、オレがこの空間に慣れてしまっているからなんだろう。
「ここは、薬品くっさいよな。ジェニーはまだ続きやってるのか。」
薬品ゾーンを抜けて、階段を上がる。
2階の一番端の部屋。
最早開かずの間のようになっている。
マスターキーはあるが、誰もこの部屋を整理して別の部屋にしようとはしなかった。
みんな、こいつが好きだった。
だから、オレがバイトしてるんだろうと思った。
少しでも、こいつの香りを近くに感じたいのだろう。
右側だけ剥がれてだらしなくなった「エド専用」という張り紙。
ぱっと見、ユド専用に見えないこともない。
誰だよと心の中で突っ込むに終わった。
この部屋の鍵は、もちろんこいつしか持っていない。
「この部屋も、整理しなくちゃな。」
「特に何も置いてないだろ?」
「そうなんだけどな。」
そう言って鍵を開けると、以前見た景色と寸分違わなかった。
誰かが一度入り綺麗に掃除したように見えたけれど、それでもこいつの部屋だった。
資料が大量に置かれたデスクの上に、メモが貼ってあるのを見つけると、糞餓鬼は駆け寄った。
そのメモを大切に撫でて、それを抱きしめる。
「お帰り…、だって。」
こいつは、もう2度とここへは戻ってこない。
戻って来れないのだ。
下の資料はエドの研究した研究資料と作りかけの論文。
帰って来いよと、戻って来いよと、そんな言葉ばかりが頭を巡った。
オレもエドも言葉を発することすらできなかった。
時間だけが過ぎていき、共有した空間と時間が胸を締め付けた。
「ただいまって、言いたかった。」
オレは無言で頷いた。
最後だという言葉が頭の中で大きく響いていた。
このまま、何も知らないまま時の流れと共に音信不通になった方がどれだけ幸せなのだろうか。
さよならとか、最後だとか、ここまで辛いとは思わなかった。
ぐちゃぐちゃになった感情がぐるぐるとしている。
「オレ、頑張るから。」
「ああ。」
「お前も…頑張れ。」
あのホットラインのメールアドレスも無用の長物になるのだろう。
部屋に貼ったメモがただ、虚しく思えた。
「ああ。」
ソファーベッドに座るオレに倒れこんだ糞餓鬼は、確かな質量を持っていると感じるのに、とても軽かった。
「お前、食ってるか?」
押し倒されたカタチというか、どこかデジャブを感じさせる体勢。
「食べてるよ。」
「軽すぎやしないか?」
「気のせいだよ。」
骨ばった背中を撫でる。
この年頃特有の少女とも少年ともつかない体つき。
柔らかい皮膚を布越しにかんじた。
月明かりに青白く光る頬をゆっくりと撫でた。
そして、キスをした。
はじめは軽く。
付かず離れず。
軽く口をあけて、お互いの唇を軽く絡めた。
それから、舌を絡める。
ゆっくりと、ゆっくりと。
胸が締め付けられる。
痛かった。
「ロイ?」
「なんでもない。」
耳元に伝わる液体が気持ち悪かった。
エドはそれに口付け、オレの腕の中でまるくなった。
「オレ、ロイに言おうと思ってたことがあったんだ。」
静かに、とめどなくながれるそれは、口を開けば嗚咽に変わりそうだった。
「ありがとう。」
くぐもった小さな声。
堪えきれなかったオレは、大きな声で泣いた。
ただ、泣いた。
年下の糞餓鬼の、それも男の胸で泣いた。
悲しかった。
苦しかった。
痛かった。
これほど近くに居るのに、近くに居ない。
肌のぬくもりも、なにもかも…もう、交わることがない。
10年?20年?オレは孤独に耐えられない。
そこまで、オレは強くない。
好きだから、離れなければならない。
そういう想いもある。
エゴの塊がとめどなく流れた。
気が付いたら朝で、エドも目元を赤く腫らし、お互いの顔に笑った。
6時の時計を確認して、だんだんあかるくなる空をオレ達はお互いの手を握ってその様子を見た。
エドの腹の音に我に返り、顔を洗って部屋を片付けた。
ダンボール一つにも満たなかった私物。
そして、部屋を出る時に、「エド専用」の張り紙をはがした。
それをオレに貼ると、いつもの糞餓鬼の子憎たらしい笑顔。
「剥ぎたかったら、自分で剥げばいい。待ってろなんて言わない。」
「勝手にするよ。」
胸元に張られた「エド専用」は会話のうちに「ユド専用」になってしまっていた。
「それと、これ。」
大量の鍵の中から、また見事に2つだけ鍵を外してよこした。
「返しておけばいいんだな。」
「うん。任せた。」
1度家に戻るというエドとバス停まで行き、お互いの乗るバスに乗った。
エドの乗るバスの方が早く着き、オレ達は淡白に別れた。
また明日も会うように。
今生の別れではないのだろうが、それでももっと他に言うべき事があったのだろうか。
「エド、ありがとう。」
発車するバスに向かって慌ててオレは叫んだ。
向こうには聞こえていないと思う。
笑いながら、こちらに手を振っていた。
暫くすると、オレの乗るバスも着いた。
最後の最後に醜態をさらしてしまったことを後悔した。
泣きすぎで頭が痛い。
キスして、抱き合っただけで、相変わらず何の進展もなかったことを笑った。
オレ達らしい。
卒業式前に向こうに行くのもいい。
驚かせればいい。
今度こそキチンとお別れなるものをしなければなるまい。
次の計画を立てることができた自分に驚いた。
まだ、諦めはついていないらしい。
締め付けられる想いは消えてはいないが、それでもこんな中途半端な別れは納得できない。
目を刺激する朝日が心地よいと思いながら、バスに揺られた。
第9話
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