こんなにも簡単に月日は過ぎるものだというのだろうか。
手のぬくもりを思い出すことも、時折になった。
今も胸は軋むが、それもまた日常の一部になっている。
これほどまでに誰かを愛することがこの先、訪れるのだろうか。
漫然とした感情が全身を支配している。
それはまさに枷のように、糧のように…
手がつかむ空虚は、不思議ともう、虚しさがなくなっていた。
人の心はとても複雑怪奇で、きっと何度人生を繰り返し探求したとしても、真実はわからないと気づいたとき、オレは大学の助教授になっていた。
オレの世界を支配する全てが崩れる知らせは、何の前触れもなく訪れた。
それは、ニュースとして流れることもなく、アルフォンス君自身から伝えられた。
「兄の研究所がテロにあいました。」
何のことかと思った。
「兄は死に…ました。」
苦痛にゆがんだ顔。
天気は晴れ。気候もよい春のうららかなとても気持ちのよい日。
呼び出された場所は、以前通っていた研究所。
変わってないなと思いながら、珈琲の香りのする応接室を訪ねた。
深刻な顔をした、アルフォンス君がいた。
「どういうことだ?」
「僕にもよくわかりません。」
そういえば、彼はワールドツアーの真っ只中でこんな所にいるのはおかしい。
彼は、見事周囲の期待に応え、高校を主席で飛び級卒業し、大学部でも飛び級で大学院に入り、それも昨年卒業した。
論文を何冊か書き、彼は枷から抜け出し、音楽の世界に飛び込んでいた。
「ただ、兄が所属していた大学から訃報がきました。」
「意味がわからない。」
「とても危険な研究だったようです。」
「なんで?そこいらの大学の研究の延長線の研究だろ?」
「そんな会話をするために来たんじゃありませんし、僕もよくは知りません。」
「あ、すまな…い。」
応接室を出ると、すすり泣く声が響いていた。
怒号も遠くから聞こえる。
この空気は記憶にある。
グリードさんが亡くなった時もそうだった。
研究にも授業にも支障が出たオレに、教授は休暇と言わんばかりの出張を命じた。
皮肉にも、あいつが住んでいた街だった。
姉妹校がそこにあるのだから、仕方が無いといえば仕方が無いのだが。
今も住んでいるというウィンリィちゃんに連絡を取ると、あいつの住んでいたアパルトメントは引き払ってないとのことだったので、そこを拠点にすることになった。
「お葬式以来ですね。」
「そうだね。彼の遺体は結局戻ってこなかったって?」
「はい、でも私物は送ってきました。」
「そうか。」
部屋はあの頃のままだという彼女から、合鍵を貰った。
「誘ってよかったんでしょうか?」
「正直、結構つらいけれど、まだそれに浸っていたかったから。」
「あまり、無理をしないでください。」
彼女も辛いだろうに、気を使ってもらっている。
部屋も変わるなり、片付けるなり出来ただろうが、それが出来ないほどなのに…
「今でも信じられないんです。なんたって、ずっといなかったから…今更本当にいなくなったって言われても…
顔を両手で覆うその姿は本当に小さく、悲しみにくれるその姿だ。
「オレも、まだ、信じられない。」
送ってきた私物は、まだ開けてもないんです。
あっちに送ろうとしたんですけど、送らないでくれってアルが言うから…
と彼女が言った荷物は、本当に小さい段ボール箱1つだった。
手に余るので、あけてくれても良いという彼女の言葉をそのままに開けることにした。
まず、彼が使っていたマグカップ。
見たことがあるものだったので、持ち込んだものだろう。
見覚えのある『エド専用』の文字に笑ってしまった。
使い込んだペン。
寝具。
小説が数冊。
あとは…
と、覗き込むと、紙切れが1枚入っていた。
中身が全て書き記されていた。
ワープロ文字で並べられた下に、小さな走り書きがあるのに目を留めた。
『私物ではありませんが、メモリースティックを入れてあります。
パスワードが掛けられていましたが、検閲をした結果問題が無いと判断されたため送らせて頂きました。
パスワードがわかる方に差し上げてください。』
今となっては、旧式のパソコンを立ち上げて、メモリースティックを差し込んだ。
カリカリと音がするそれを辛抱強く待った。
研究に関係の無いデータ。
確証は無かったが、オレ宛名気がしていた。
パスワードの入力画面に、オレは迷わず『kuroneko』と打った。
そこに広がったのは、送られることの無かったメール。
数は100を超えていた。
一番最初のメール。
【題名】
くろねこへ
【本文】
うれしかった。驚いた。
オレはお前が好きだ。
忘れないよ。
日付はあの日、オレが帰った日付だ。
【題名】
【本文】
今日から牢獄だ。
ウィンリィは泣いていた。
【題名】
夢
【本文】
夢なのか夢じゃないのかの境界がはっきりしない。
手の感触もそのままだし、何より食事の満腹感やそんなのまで妙にリアルになってきた。
でも、違いは明確だ。ここには外が無い。
【題名】
リザさんとハボックとウィンリィ
【本文】
夢の中のオレ達にも関わりがあるから、無駄に親近感が持てる。
うーん、でも、夢の中のリザさんとハボックはくっつきはしないとおもう。
ウィンリィは義肢装具屋をやっている。あまりにも変わらなくて笑った。
【題名】
ありえない
【本文】
夢の中で本当にロイに会った。
ありえないって話でもないが、おかしな話だ。
2度人生を堪能してる気分だ。
【題名】
おかしな趣味
【本文】
ゴシック様式的な制服着用。
お前にもそんな趣味があんのか?
【題名】
断じてこれは浮気ではない
【本文】
夢の中のオレがロイに抱かれていた。
感触が妙にリアルなのはわかっていたが、これは流石に辛い。
でも、オレはロイがいい。
【題名】
夢
【本文】
オレ達が見ていた夢を見ているらしい。
本当は誰の夢なんだ?
【題名】
チョコレートボンボン
【本文】
オレはくわねぇけど、なんだかおいしそうだと思った。
イチゴジャムを申請するときに一緒に申請してみようか。
【題名】
続・チョコレートボンボン
【本文】
おいしくなかった。
夢の中ではおいしかったのにな。
【題名】
妖精
【本文】
そんなのいる訳ないと思ってたけど、いそうだ。
もし、ここから出られたら、ロイと一緒に行きたいな。
夢に出てくる森があるって言ってた。
【題名】
二人暮らし
【本文】
なんとも幸せ絶頂で腹が立つ。
オレは外にも出られないのに。
菜園を作るだの、馬を飼うだの言ってる。
うらやましい。
【題名】
お前は生きてるか?
【本文】
夢の中のお前が死んだ。
お前じゃないのに…いやだ、なんで?
【題名】
【本文】
お前がそばにいないだけで、こんなに苦しいのに、お前が死んだなんてどうにかなりそうだ。
【題名】
きっとこれが最後だ
【本文】
オレがオレを殺しにくるよ。
研究所の場所がばれた。
不思議だ。あまり恐くない。
ほら、警報が鳴り出した。
誰が見るわけでもないから、打ちたいことを打とう。
ロイ、好きだ。
最後にもう1度会いたかった。
抱きしめて欲しかった。
キスしたかった。
抱いて欲しかった。
それが最後のメールだった。
さも日記のようなメール。
夢の中のオレが死ぬまでは毎日のように打っていたようだ。
どこへ行ったとか、さもオレとお前がそうしているかのように。
これを送ってくれた人に感謝した。
意味のわからない奇妙なメールだと思っただろう。
いや、はじめの数通を見て、ただの宛先不明のメールだと思ったのかもしれない。
次の日、早速オレは妖精のいるという森に出かけてみることにした。
無意味に2人分のランチを購入して、バスに乗って、あいつが見たがった景色を堪能した。
たどり着いた頃には、もう昼食という時間は過ぎて、夕食に近かった。
本当にあったとばかりに、家に近づいた。
誰かがさっきまでここに居た空気を感じた。
菜園の雑草はきれいに抜かれ、水がまかれていた。
オレは森に向かって走った。
がむしゃらに、日が沈んで暗くなろうとも、誰かを探した。
恐いと、戻れと頭では思っているのに、足が勝手に動いた。
夢のままの森。
多分、夢の中の俺が死んだと同時だろうかそこからまったくといっていいほど見ていない。
最後の夢はきっと最初の夢だ。
オレの夢は夢の中のオレの記憶を遡ったものだろう。
最後に見た夢は、夢の中のオレが母親に呼ばれて夢の中を探して歩く夢だった。
感覚的にも、幼い子供だった。
手探りで進む。
月明かりが差し込むわずかな場所を目印に進んだ。
よく知った蜜色の金糸が倒れていた。
月明かりに照らされた頭部がキラキラと反射している。
これが彼なのだと、確信した。
不思議と憎さを感じなかった。
右手が義肢なのだと確認した。
ゴシック様式の制服か…、よくわからないが、似合うと思う。
だから、本当に、そうなんだ。
オレは笑った。
何がおかしいのかわからなかったが笑った。
おかしかった。
なにかが。
目から涙もこぼれた。
そして、オレは泣いた。
声を出して、エドが死んではじめて泣いた。
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