オレ達には親はいない。
幼い時に父と母は殺された。
弟とオレ。
たった2人の兄弟。
オレは弟が大好きで、大切だったし、弟もまた、同じ思いだったと思う。
芥子の咲く頃
第1夜 嵐
弟が死んだのは、酷く風が吹き、雨が降り、雷のなる夜だった。
弟は生まれた時から病弱で、父さんと母さんが殺されたことで、心身ともに更に病んだ。
ここは小さな貧しい村で、医者もいなければ日々の暮らしさえも危うかった。
それでも、村の人はオレ達を助けてくれたし、そうやって生きてきた。
でも、弟が死んだ。
訃報はあっという間に村中に知らされ、翌日には簡単な葬儀が行われた。
昨日の嵐とは打って変わり、綺麗な青空が広がっていた。
オレは、村を出ることを決めた。
奉公先もまだ見つかっていなかったが、村に何か恩返しがしたかったのだ。
そんなある日、父さんの昔の知り合いという人が尋ねてきた。
父さんが死んだことを今頃知ったというのだ。
オレはその人を連れて、父さんたちの墓参りに行った。
その人は、どこかの貴族様のようで、高そうな洋服と高そうな帽子を被っていた。
「名乗るのが遅くなってしまったね。私は、ロイ・マスタング伯爵です。」
その人はオレみたいな、貧乏村の餓鬼に丁寧に挨拶をした。
帽子を取ったその顔は、この世のものとは思えなくらい“きれい”だった。
黒い髪に黒い瞳。はじめてみるそれをとても“きれい”と感じた。
「お、オレは、エドワード。」
「エドワードというのか。ホーエンハイムの幼い頃にそっくりだ。」
そう言って、その人はオレを抱えあげた。
「エドワード、私のところへ来ないか?」
「え?」
「この村にいても、寂しいだけだろう?私もホーエンハイムが亡くなったと知って、とても寂しいんだ。」
「いいよ。」
“きれい”な顔が悲しそうに歪むのをみて、オレは胸が締め付けられるのを感じた。
オレは、この人についていくことを決めた。
「だから、私は君を雇うのではないのだよ。どちらかというと、養子として引き取りたいんだが。」
「それはだめだ。オレは働いて、この村に恩返しするんだ。」
「ははは、そうか。では、雇うとしようか。」
村のみんなは、そんなことはいいと言ってはいたが、オレの気がすまなかった。
この人は、頭金と見たこともないような大金を村人に渡した。
「決して、彼を買ったわけではありません。」
と、しつこく村人に言い聞かせていた。
まだ、納得していないようだ。
「毎月、手紙とお金を送るから。」
そう言って、オレ達は、村を出た。
「とても、長旅になるよ。」
「大丈夫だよ。オレはとても、身体が丈夫だから。」
「そうか、そうか。」
村を出たすぐの町で、伯爵はオレに服を買いそろえた。
この恰好では色々と問題らしい。
「レストランにも入れやしない。」
そして、ホテルで全身を洗われ、真新しい綺麗な服を着た。
人に身体を洗われるのなんて、初めての経験だったし、良い香りのする石鹸も、色のついたお湯も初めてだった。
ひとつ学んだことがある。
頭は泡立つ石鹸と泡立たない石鹸で2度洗う。
頭を洗う石鹸と身体を洗う石鹸は違う。
ということだ。
貴族というのは、なんとも面倒くさく、勿体無いことをする。
「綺麗になったじゃないか。こうしてみると、ますますホーエンハイムが幼い頃を思い出すな。」
父さんは下級貴族だったらしい。
母さんと駆け落ちして村にきたんだと、村人に聞いたことがあった。
「エドワードは年はいくつになる?」
「12に、なります、る?」
「無理に敬語を使おうとしなくてもいいよ。そのうち慣れて使えるようになるさ。」
伯爵はとてもやさしい人だ。
年は、父さんよりもずっと下なのだろうか。
「伯爵はいくつですか?」
「私かい?そうだね。年なんて忘れてしまったよ。」
年齢とはそういうものなのかと漠然と思い、気にも留めなかった。
それよりも、恐いくらいに“きれい”に笑う人だと思った。
「オレの父さんはどんな子供でしたか?」
「そうだね。元気いっぱいの子供だったよ。いつも私にせがんで、本を読まされた。」
「本?」
「そうだよ。ホーエンハイムは頭の良い子供でね。多分、君も勉学が好きになると思うよ。」
「へぇ。勉学って何ですか?楽しいことですか?」
「そうだね。屋敷に帰ったら、そこから学ぼうか。」
とても楽しそうなその顔に、オレはとてもうれしくなった。
父さんと母さんが死んでからは、こんな感情を持ったことはほとんど無かった。
弟はベッドの上で、いつも青白い顔をして、謝ってばかりだった。
村人も、オレ達のことを可哀想といつも言っていた。
「ホーエンハイムが好きな人ができたと相談してきたのが、つい昨日のようだが、あれからもう12年も経っていたんだね。」
遠くを見るようなやさしい目でオレを見ている。
でも、村人のそれとは少し違う視線、そういう目で見られると、胸が痛んだ。
「母さんのことですか?」
「そうだよ。彼は頬を染めながら、トリシャの話をすると私もうれしくなった。」
「オレは、あまり、父さんと母さんのことを知りません。」
「そうなのかい?」
「オレが5つの時に父さんと、母さんが殺されたから。」
「そうだったのか。」
「でも、父さんと母さんはいつも幸せそうでした。」
「それはよかった。」
少し、悲しそうに伯爵は笑った。
次の日も次の日も、馬車に揺られ知らない土地の知らないベッドで眠る日々が続いた。
色々なものを見て、オレはとても心を躍らせた。
見たことのない食べ物。見たことのない人々。初めてだらけだった。
伯爵は飯を食わなかった。
「ん?そうだね。大人になると、あまり食べなくなるんだよ。」
そう言って、不思議な香りのするお茶を飲んだ。
それを飲ませてもらったが、飲むと更に臭いがきつくて、オレはむせてしまった。
大人になるには、これを飲めるようにならなくてはならないらしい。
実際、馬車というのもはじめてみるし、はじめて乗った。
乗り始めて2日くらいは気持ちが悪くなって、吐いたりもしたけれど、もう慣れた。
「エドワード、あれが橋だよ。」
「橋?」
「そうだよ。河のを渡ることができるんだ。」
通り際、下をのぞくと水が流れていた。
オレの知っている橋は、小川に掛けた丸板だ。
凝った装飾がされたこの橋は、オレの知っているものとかけ離れていた。
「あまり、身を乗り出すと落ちてしまうよ。」
そう言って、伯爵はオレを抱え上げて、膝の上に乗せた。
「は、伯爵?」
「なんだね?」
「オレ、そこまで餓鬼ではないんだけど。」
「ああ、すまない。」
そう言って、向かいの席にオレを座らせた。
心臓が、爆発しそうだった。
ズキンズキンと痛いほどだ。
「顔が赤いが、旅の疲れで、熱でも出たのかい?もう休もうか?」
「ち、違います。」
オレはどうしていいのかわからなくなった。
恥ずかしくて、恥ずかしくて、今すぐ、飛び降りてしまいたかった。
しかし、本当に熱を出してしまったのは、その日の夜だ。
「大丈夫かい?エドワード。医者は疲れだろうと言っている。さっき薬は飲んだし、大人しく寝てれば明日には良くなると言っていたよ。」
医者というものをはじめてみた。
こんなことで医者に掛かるオレは、アルに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
それからまた何日か掛けて、オレ達は伯爵の屋敷にたどり着いた。
「長旅、ご苦労様でした。」
頭が爆発したような髪の人が迎えてくれた。
身体が大きくて、声がでかくて、オレは驚いた。
「彼が、ホーエンハイムの息子だよ。今日からここで一緒に暮らす。色々と教えてやってくれ。」
「かしこまりました。」
でも、とても綺麗な姿勢で立っている。
それを崩して、オレと目の高さをあわせた。
「よろしく。オレはジャンだ。お前は?」
「え、エドワード。」
「ジャン、キチンとした口の利き方を教えなければいけないんだ。暫くは話し方に気をつけて話してくれ。」
「かしこまりました。」
「私は休む。2、3日起きてこないと思うが、後のことは任せた。彼は何も知らないのだよ、頼んだよ。」
「はい。」
伯爵はオレの頭を撫でて、ジャンにマントを預けると、早足でどこかへ行ってしまった。
オレはジャンに引きつられて、部屋に案内された。
「使っていなかった部屋なので、少々汚いですが、掃除をすれば使えないこともないでしょう。」
「掃除をすればいいんだね。」
「掃除をすればいいんですね。だ。」
そういって、ジャンはウインクした。
「掃除をすればいいんですね。」
「そう、よくできました。」
オレ達は掃除をした。
蜘蛛の巣を払うところからはじめて、ベッドのメイキングまで。
一つ一つ丁寧に教えてくれる、ジャンはとてもやさしかった。
丸1日を要したが、綺麗になった時にはとても豪華な部屋だと、改めて気づいた。
ホテルを転々としたため、慣れが生じてきていたが、それでも、この部屋が自分の部屋だと思うと、勿体無い気がした。
今まで住んでいた家よりも広いのだから。
ベッドなどは、今まで寝ていたベッドの3つ分ぐらいあるんじゃないかと思う。
「もう、こんな時間か。良い子はもう寝る時間だな。身体を洗って、もう寝るといい。」
そう言われて、オレは浴室に案内された。
埃まみれの身体は、脱ぐとあたりに埃が舞って、少しむせた。
「一人で入れますか?」
「大丈夫です。」
お互い微妙な敬語だと思う。
ジャンは普段から使わないのだろう。
時々、地のままで話していた。
まだオレはこの屋敷のほかの住人に会ってはいなかったが、準備された浴室を見ると、誰かが用意したのだろう。
ジャンはずっと一緒にいたので、違うはずだ。
オレは張られたいい匂いのする浴槽に浸かり、身体を温めた。
「では、仕事を覚えましょうか。」
「はい。」
次の日、やっと使用人らしい扱いをしてもらえるのだと思うと、落ち着けた。
今までは、お客さんというか、どこかむず痒かった。
「朝は、日が昇る前に起きて、朝露に濡れる前のバラを5本ほど摘んでください。棘がありますので、気をつけてください。もちろん、棘は綺麗に落としてくださいね。」
「はい。」
「そのバラを伯爵の書斎に持っていき、花瓶に生ければ、朝の仕事は終わりです。」
「はい。」
「では、明日からそのようにしてください。」
「はい。」
オレは次の仕事を待った。
だけど、ジャンはそれっきり、何も言わなかった。
「それだけですか?」
「ええ。それだけですよ。」
それだけ?
「バラの手入れをするものも、この屋敷を掃除するものもいますからね。」
「他に仕事はないんですか?」
「そうですね。伯爵が起きられたら、お聞き下さい。そうそう、伯爵が眠っておられる時はバラは摘まなくてもいいので。」
「は…い。」
「では、屋敷を案内しましょうか。」
屋敷は喩えられないくらい大きかった。
山なのではないかと思ったほどだ。
探検するにはもってこいだと、オレはわくわくした。
「ここは厨房です。彼はコック長のシグです。お腹がすいたら、彼に言って食事を用意してもらってください。」
「はい。」
「ここは図書室です。貴重な蔵書などが保管されているので、気をつけてください。ここは、貴方の勉強部屋にもなるところなので、わからないことがあれば、管理人のシェスカに尋ねてください。」
「はい。」
「ここが中庭です。ラッセルとフレッチャーのトリンガム兄弟が管理しています。勝手に食べると怒られますので、注意してください。」
「…はい?」
「屋敷の管理はイズミがしております。彼女は身体が弱いので、明るいうちは絶対に部屋から出ません。怒ると恐いですが、とても優しい方です。」
「は…い。」
屋敷の1階部分を回っただけだが、かなりの距離を歩いた気がする。
「他の部屋はあまり出入りをしないでくださいね。それと、昼間は基本的にあまり我々は活動しません。早く夜になれるように心がけてくださいね。」
「はい。…?」
ということで、オレは早速厨房でご飯を作ってもらった。
「久々に人の食事を作った」と不思議なことを言われたが、オレはあまり気にしないことにした。
「今日は、起きてるが、本来ならば夕刻を過ぎるまで起きないので、明るいうちにお腹がすけば、パンを置いておくので、勝手に食べてくださいね。」
「…?はい。」
ここの屋敷の人はみんな昼間に活動しないらしい。
うん。
覚えた。
お腹がいっぱいになったので、本を読むことにした。
さっきも、感じたけれど、図書室はとても暗かった。
ランプが所々で明かりを灯しているだけで、頼りなかった。
オレは、自分用のランプを持っていたので、それを頼りに歩いた。
しかし、このランプはどういう原理で明かりが灯っているのだろうか。
不思議なランプだった。
「はじめましてー!エドワードですー。本を読ませてください!」
「どうぞー。」
どこから聞こえてくるのかわからなかったが、返事があった。
きっとこの声の主がシェスカなのだろう。
オレは手近にあった本を1冊抜き取った。
しかし、なんと書いてあるのかがわからなかった。
そういえば、オレは文字が読めない。
本とは、文字が書いてあるものなのだと知った。
「これじゃ、読めないよ。」
それでも、興味津々なオレはページをめくった。
所々にある挿絵を見ると、とても楽しかった。
オレは、そうやって伯爵が起きてくるまで過ごした。
「エドワードは文字読めなかったんだね。すまなかった。」
「いえ、すみません。」
オレは恥ずかしくなった。
文字が読めないことはオレの村ではあたり前だったが、本当はそうじゃないらしい。
「謝ることはないよ。これから学べばいい。知識を身体に入れ込むこと。それが勉強だ。」
「はい。」
「ジャン、リザを呼んでくれるかい?」
「かしこまりました。」
しばらくすると、綺麗な女の人がやってきた。
「はじめまして。リザです。」
「は、はじめまして。エドワードです。」
「すまないが、リザ。この子に文字を教えてやってくれないか?あと勉強をするということを。」
「はい。かしこまりました。」
そして、オレは文字を覚えた。
楽しかった。
一つ一つの不明な記号が、意味あるものになっていくのだ。
川で石を投げるより、木に登るより面白かった。
「どうだい?勉強は楽しいかい?」
「楽しいです。」
「とても、のみこみが早くて、驚いています。さすが、ホーエンハイムの息子ですね。」
彼女も父さんを知っているようだった。
そして、オレは学ぶことの楽しさを知った。
夕方、彼らが目覚めれば仕事が終わるのを待って、ラッセルとフレッチャーと遊んだりした。
はじめは、仲良くしてもらえなかったが、それでも根気強くねばり、遊んでもらえるようになった。
シェスカに読んでいい本を選んでもらい、それを読んだ。
シェスカは広い図書室の全部の本を記憶しているらしい。
オレは彼女を見習うようにした。
確かに、本の一字一句オレにとって新世界であり、素晴らしいものだった。
夜も更けると、伯爵のところで議論をした。
伯爵はとても博識で、オレの考えをキチンと聞いて諭してくれた。
「早く、大きくおなり。そうしたら、君も私たちの仲間に迎えよう。」
4年経ったら、洗礼の儀式を行う村へ連れて行くと伯爵は言った。
4年なんてあっという間で、オレは充実した知識の海を漂ううちに過ぎていった。
とぅー びー こんてにゅう
2007/05/08up
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