オレの得意分野のひとつとして配線がある。
爆弾なんかを作るときは芸術的な配線で組み上げる。
複雑すぎても簡素すぎてもいけない。
色も複雑に使う。
オレは天才だと、思っていた。
なんに使われるか興味は無かったし、どうでもよかった。
仕事だったし、趣味と実益を兼ねたすばらしい才能だと思っていた。
行き当たりばったりのオレの爆弾は、図面なんてものはない。
オレの脳の中にしっかりと入ってはいるが、どんな特殊爆弾処理班でも易々とは解体できない。
オレは浮かれていた。
天才なんだと自負していし、優越感に浸りながら、広範囲、高性能、誰にも解体なんか出来ない爆弾を作っていった。
楽しかったんだ。
才能が認められたと、弟の足手まといにならないと。
本当に、それだけだったんだ。
「テルスの業火」、思い出すだけで、吐き気がする。
オレが人を殺すことにためらいを持ち出したのはこの時からだ。
その日は前日の体調の悪さは見事に吹っ飛び、逆に身体が軽いくらいで浮かれていた。
この家の特殊な警備体制に興味があり、配線や警備装置の中身なんかを見事に探ろうと意気込んだ。
BGだ。知る必要がある。
職権乱用さながら、オレは探究心だけで突き進んだ。
厳重に鍵のかけられた部屋や、屋根裏部屋まで探検した。
鍵のかけられた部屋には物々しい本がたくさんあったけど、これと言って興味を引くものは無く、ただ埃とかび臭さにむせた。
屋根裏部屋は宝の山だった。
昔の古い絵とかお皿とか、鞄とかドレスとか。
でも、そんな軽い気持ちで、開けてはいけないものを開けたのか…開けなければいけないものを開けたのか…。
幸せな家族の写真。
あいつの両親なのだとすぐにわかった。
父親の顔はあいつの顔そのままで、もう少し歳をとったら、こんな風になるのかと少し笑った。
「あんたが不幸にした人間、殺してしまった人間なんて些細なもんだよ。」
人の命の重さなんて、量れたものではないけれど、拙い台詞だけど、救いたい一身だった。
オレの言葉なんて、軽い。
オレは自分の罪をまだしっかりと両目を開いて見ることができないのに、口ばっかり。
荒唐無稽のオレの稚拙な言葉は多分届いていない。
守るとか言っておきながら、多分今のオレじゃ救えない。
足りないんだろうなと、あの夢を思い出した。
それでも、あいつは笑うようになった。
執事さんはオレの手を握ってありがとうございますと何度も言った。
何があいつに起こって、何をしたのかは知らないけれど、執事さんはとても喜んでいた。
オレは、手元に戻ってきた研究の続きに没頭した。
もちろん仕事も忘れてはいないけれど、ここはあまりにも平和だった。
黒猫の用心棒
教訓5〜爪とぎはダンボールではなく、壁が好きです。でも、怒られるのですが、やめられません。〜
研究基材が全て戻ってくるまで1ヶ月を要した。
仕方がない。
アンプルや一般人には名称不明な基材なんかが山のようにあるのだ。
とは言っても、簡素な研究基材だ。
ほとんど趣味といって良い。
『昔の研究者が隠した研究を蘇らせる』、一応仕事だ。
期間は無限。報酬は後払い。
(でも、研究材料の費用はしっかりふんだくった。)
しかし、怪しいこの上ない。
依頼元は素性の一切を隠し、、残った研究資料の写しだけ渡したまま、他の情報もくれずだんまりだ。
面白そう。それだけで請け負った。
アルは反対していたが、その頃のオレは仕事もろくに出来ずに、暇な日々を費やしていただけだった。
オレの集めた研究資料のほとんどが書物で、難解な構造式なんかを紐解くのは楽しかった。
知識を得るのは楽しい。
同じ歳の子供が遊んでいるのを見てもなんの感慨もわかなかった。
(別にお高くとまってるとか、見下してるとかそういうのでは決してない!)
歳相応にアルやウィンリィと遊ぶ事だってあったし、行き詰ったり、滞ったりすると、子供らしく憤慨もした。
1度アンプルを全て割って後悔したことがある。部屋を大変なことにしてアルに怒られた。
一応、歳相応なところもあるのだ。
(反抗期万歳)
どこまでやってたかなと、研究書を再読していてあることに気が付いた。
何かに引っかかった。
なんだと、思わず声を漏らしてしまった。
簡単なことだった。
こんな簡単なことに、今まで悩んでいたとは…。
笑いながら、理論を組み上げていく。
そうしているうちに、時間は経ち、ここへ来て2ヶ月が過ぎようとしていた。
「そんなに熱心に何をしているんだね?」
「仕事がひとつ片付いてなくて、持ってきてるんだ。って、こういうの駄目か?」
こいつはよく笑うようになった。
引きつった笑顔とか、付き合い程度の笑いとか、そういうのではない笑いだ。
ただでさえ、キレイな顔つきが優しい空気を纏い始めたため、一層際立っている。
キラキラと光を出しているのではないかと時々思うことがある。
「構わないよ。君にはとても退屈な日々を送らせているしね。」
配線関連の情報を元に、更に強化を加えたこの屋敷は今や無敵のように思う。
屈強な警備体制は感嘆したが、配線系統をやられれば一発でアウトだったこの屋敷。
まぁ、そこまで辿り着くほうが困難なわけだが…
オレの天才的な頭脳で色々といじくったりしたお陰で、何が起こっても大丈夫なのだ。
その作業はとても楽しかったし、毎日真っ黒になったお陰でイズミさんに怒られた。
作業服というのが支給され、それを着てほぼ1日中作業に没頭した。
その間、2度ほど外へ出た。
1度は視察。
何のための視察かは知らないけれど、高原に行った。
ほぼ観光のような気がしたが、設計図を広げて執事さんが画策しているのをアイツは車の中で見ていた。
「わざわざ、出向く必要があった訳?」
こいつは特に車の外にでようとしないし、誰かと打ち合わせをするわけでもない。
「ここにはね、素敵なものが立つ予定なんだ。」
返答としてはぞんざいだったが、何か楽しそうだったので、気にしないことにした。
2度目は会合。
これまたおかしな話で、全員が全員仮面というか、マスクというか付けている。
円卓会議?と言うのだろうか。
参加者一人ひとりの為に待機室があり、その扉は椅子の真後ろにひとつずつある。
中の様子は待機室で見ることができるけれど、音声はなし。
何の会議だろうかと思いながら、各々の嗜好を凝らせた仮面やマスクを眺めて楽しんでいた。
この待機室もなかなか面白く、全室廊下につながっている。
つまりは建物の真ん中に丸い部屋があり、それを囲むように待機室があるわけだ。
我がご主人はなんともシンプルな白いマスクで出席。
「あんた、逆に浮いてたよ。」
「私も、初めて出席したのだが、面白いね。次はもっと凝ったものにしようか。一緒に考えよう。」
「オレの素晴らしいセンスに度肝を抜かれるなよ!」
まったくもって滞りなく終わった外出に、安堵半分落胆半分だった。
(失敬)
どれも日帰り旅行?で、朝早くに出発して、夜遅くに帰ってくる。
運転手さんも、長距離運転は久々だとか喜んでいた。
もちろん、執事さんも同行。
1度目の視察では屋敷のみんなにお土産を持って帰った。
高原は近くに花園もあり、両手いっぱいの花を持って帰った。
それから暫くは、屋敷中が花の香りで満ちていた。
勿体無いからと、女中みんなで押し花を作った。
結構手間の掛かる作業で、仕事そっちのけでやっていたら、イズミさんに叱られた。
でも、そのイズミさんも、混ざってしまってみんなで執事さんに怒られた。
起こっていながらも、執事さんはどこと無くうれしそうだった。
「あんたが、来る前はそりゃ恐かったわよ。」
「そうそう、笑いもしなかったしね。」
「ご主人様だってそうよ。でも、ご主人様はやさしかったけれどね。」
「滅多に部屋から出てこられないけど、たまに掃除している時に会うと、いつもご苦労だねって。」
キャーと黄色い声が響く。
唖然としているのはオレとイズミさん。
「そうだな。ぼっちゃ…ご主人様はやさしいよ。わしら使用人に甘くてな。よく執事さんに叱られておったよ。」
「だな。わしらは、この通り、腕が無かったりするもんだから仕事が遅くてな。」
「それでも、働き者だといって、酒を振舞ってくれたりしたんださ。」
敷地を管理する庭師の首には発信機と爆破装置が付いている。
本人がそれを知っているかどうかは定かではないが、それでも慕われている。
マスタングの敷地は広い。
公道を離れて1時間歩いて、やっと屋敷が見えてくるほどだ。
その敷地を管理する庭師のじいさんたちは誰もが、腕が無かったり、義足だったりしている。
みんな、みんな、あいつが大好きだった。
でも、あいつはそれを知ろうとしないし、認めようとしない。
アイツの闇は何なんだ?
何に苦しんでいるんだ?
2ヶ月の間、オレ達の間に何も無かったかって言われると、そうでもなく…
キスをした回数は数知れず、ナニをした回数も…。
兎も角、オレ達は、なんだ?あれだ。世間一般に言う恋人?同士みたいな関係になっている。
まったく持って不本意この上ない。
嫌いではないが、オレは男で、アイツも男だ。
いつまでも女役に甘んじているオレではない…が、最近慣れてきたため、不本意さが薄れている面がある。
(別に男役がやりたいとかそういうわけではない!)
おかしいなぁ。
やりたい盛りの15歳だからですか?
淫乱?バカな!
青春だ。
でも、相手は女の子がいいな。
解読方法は見つかったものの、決定打に欠けていたオレの理論は見事に行き詰まってしまった。
昨日までの順調さはどこえやらと考えていると、まだ開けていない箱が目に留まった。
「こっちは、まだ見てないやつだ。」
類似の研究資料を取り寄せたきり、バタバタとここへ来たりと忙しかったため、読んでいない資料だった。
とりあえずと、箱から出してならべる。
学術書というものは見た目よりも重いため、箱から出すのもそれなりに一苦労である。
しかし、なかに1冊見慣れない雑誌?が入っていた。
女の子向けの雑誌、特集は『恋する乙女の必須アイテム!』などと、かわいらしく装飾が施してある文字が目に留まる。
多分ウィンリィのだ。
しまったなぁと思いながら、どんな雑誌なのだろうかとめくってみる。
パラパラとめくると、可愛いイラストやカラフルな紙面がキラキラとしていた。
そのなかで、『恋する乙女チェック』という項目が目に留まり、ついつい目で追ってしまった。
結果は…
恋する乙女度120%
乙女度って、どういう基準なんだよ。
それでも、しっかりと目はコラムを追っている。
『ズバリ、あなたは誰かに恋しています。』
だ、誰にだよ。
『その人のことを思うと、ドキドキしたり、立派な恋する乙女です。』
ふと、あいつの顔が浮かんで、思い切り頭を振った。
『はい、そこのあなた。今思い浮かんだ人がその人です!』
いや、ちょっと待て。
ありえないだろ?
なんですか?
『相手のことを、思いやるその気持ち、相手のことを知りたいという探究心。まさにそれは恋です!』
い、いや、オレ、BGだし、知りたいって、だってさ…
『相手が自分のことをどう思っているか知りたいけど、知りたくない。その気持ちもまた恋!』
確かに、BGとしてちゃんと見てもらってるかとか、気になってるけどさ。
『そんなあなたに必須、恋のアイテムはP22を見てねv』
ぺらぺらとめくり22ページに向かった。
そこには、女の子特有の甘いにおいのするようなおしゃれで可愛いアイテムが所狭しと並んでいた。
その中のひとつに大きく丸が付いている。
蝶をモチーフとしたヘアピンだ。
どこかで見たことのあるものだった。
そうだ、最後にウィンリィが尋ねてきた日に付けてたものだ。
アルは、目ざとく可愛いねなんて言っていた。
オレは多分、気づきもしなかった。
オレはウィンリィに対して、恋に恋する乙女だったのかなぁと、わずかばかり落ち込んだ。
(恋する乙女度の最低ランクは“恋に恋する乙女”だった。)
ほとんどプラチナに近い軽い金色の長い髪は近くによると良い匂いがして、いつもドキドキした。
細い白い手で、オートメイルを組み上げるウィンリィの真剣な顔に見惚れたこともある。
なんか、違ったのかな。
ふと、あいつの顔が浮かんだ。
ウィンリィと比較しているオレがいて、酷い自己嫌悪にかられた。
確かに、黒い艶やかな髪はうらやましく、触るのは好きで、頭に顔をうずめるとアイツの匂いで、ドキドキした。
不健康そうなアイツの白い指がペンを走らせる時とか、ブランデーのグラスをカラカラさせるしぐさとか、オレを触るときとか、好きだ。
急に何かに合点が行く。
興味を持った理由とか、契約書を見ても辞めようと思わなかった理由とか…。
「あ……。」
オレ、あいつが好きなんだ。
恋とか、そういう意味合いではよくわからなかったけれど、とにかく好きなんだと理解した。
無駄にキスをするときドキドキしていまだに慣れない理由も、肌が触れただけで顔が熱くなる理由も…
全てに合点がいった。
そう自覚すると、今までしてきた行いが急に恥ずかしく、うれしく思えた。
そして、オレは12時ジャストにお盆を抱え、脇に枕をはさみ挑むのだ。
入れといういつもの声も、今はやけに耳に付いてしまう。
そわそわする自分がいて、そわそわする原因も側にいる。
「今日はやけにソワソワしているね。」
心臓が大きく鳴る。
エスパーか、こいつは!!
「べ、べべ、別に、い、いつも通りだけど!」
語尾が上がってしまった。
不自然極まりない。
最低だ。どうして良いか解からない。
難問な暗号より難解だ。
「そうかね?」
頭を抱きかかえられる、これが合図。
いつもは、このままキスをするのに、今日は違った。
何が違ったって?オレの行動がおかしかった。
おもいきり、突き飛ばしてしまったのだ。
顔は多分真っ赤。
そして、無言で起立。
枕を忘れたと頭の隅で思いながら、部屋まで走った。
走って、入って、施錠した。
追いかけてくる足音がする。
そして、部屋をたたく音がする。
「エド、どうしたんだ?」
その声は焦っている。
「嫌だったのなら、何もしないから…」
後半は消え入りそうな声になる。
嫌だった?
違う。
もっと触って欲しい。
もっと、キスしたい。
抱きしめて欲しい。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
オレ、何で逃げたんだ?
「エド?」
オレは口に栓をされたように、言葉が出ない。
ごめんとか、なんでもないとか、そういう言葉が出てこない。
「そんなに嫌だったんだな。すまなかった。暫く別々に寝よう。」
違う、そうじゃなくて、兎も角違うんだ!
声が出なくて、出なくて、一生懸命出そうとすると、今度は涙が出てきて…
遠くなる足音がやけに胸に痛みを与えた。
その日、オレはまたあの森にいた。
今日は声の主に見当も付かない。なんだって、こんなにいろんな声がするんだろうか。
歩いているのはぬかるみで、足を取られてなかなか前に進むことが出来ない。
暗い闇の中で、ただ何かを言っている声がするだけで、ちっとも何をしているのかわからない。
ただ、進まなければならないと、必死に足を前に出す。
踝までだったぬかるみも歩くたびに深みにはまっていくようで、今や膝も埋まっている。
オートメイルの内部にも泥が入ったのか、左足が思うように動かなくなっていた。
重い足を引きずって、それでも前に進もうとしている自分がやけに情けなく思えた。
足りないから、沼はオレを引きずり込むんだ。
足りないから、ちっともオレは出口へいけない。
足りないから、誰の声かもわからない。
足りないから、オレはこんなところにいる。
そうか、足りないのか。
漠然と吸い込まれそうな闇を仰いだ。
寝起きは最悪。
泥の感触がまだ足に残っている気がした。
心配になり、右足を動かす。
問題なく動いたのを確認すると、安心した。
それでも腹は減るもので、空腹感を感じている。
もしかしたら朝食の時に会えるかもと、着替えた。
その時に謝ろう。
部屋を出ようとした時、何かが邪魔をした。
オレの枕が、かごに入れられて置いてあった。
取りに行く口実もなくなったと、窓の外に臨む晴れ渡った空を鬱陶しげに仰いだ。
朝食には、見事に顔をださなかったアイツは夜まで姿を現さず仕舞いだった。
オレは釈明する機会をことごとく奪われ焦燥に駆られていた。
気が付くと、12時を待たずにアイツの部屋を訪れていた。
ノックをしようとした手が動かず、そのまま86秒ほど立ち尽くした。
ため息をひとつ漏らして踵を返す。
部屋に戻って、その場にしゃがみこむと涙が出そうになった。
胸が苦しくて、苦しくて、夕食が逆流しそうだった。
壁1枚分の距離しかないはずなのに、なぜか遠くにいるようだった。
12時67秒前。
もうすぐ1分を切ろうとしている。
枕を抱えて、部屋をうろうろし始めて598秒。
うんざりしている。
ここに着た初日に、時計の電池を全て抜いてしまったので、この部屋には時計もない同然だ。
秒針が刻む音も無いこの部屋は、シンと静まり返っていて、ただオレが歩く度に擦れるスリッパの音と、オレの心音だけが響いている。
(実際には心音はオレにしか聞こえていないが)
そんなことを考えているうちに、1分を切ってしまった。
ブランデーも、チョコレートも貰いに行っていないことに気が付いて、慌てて取りに行った。
12時を132秒過ぎた時、オレはまた部屋の前で悪戦苦闘していた。
ノックする手が重い。
思い切ってノックをすると、返事がない。
再度ノックをする。
それでも返事がなかったので、恐る恐る開けると、あいつはまだ仕事をしていた。
それで気が付かなかったのかと、少し安堵したが、いつもと空気が違うような気がした。
少しがけ開いた扉がそれ以上開くのを拒んでいるように重かったし、何よりも本当に気づいていないのか、こちらを向かない。
集中しているのかと、静に入り、戸を閉める。
ドアの前の前で立ったまま、重い空気に息を呑むことすら出来なかった。
そのまま154秒が過ぎようとしている。
オレが口を開こうとした瞬間、あいつが開く。
「職務怠慢のペナルティーは何にしようか。」
あいつは、こちらを見ずに言う。
静かに低い声が響く。
いつもと違う声のトーンに鳥肌が立った。
普段、どんな屈強な大男と仕事をしてもたじろぐ事を知らなかったオレは、不慣れな状況に気圧されていた。
「昨日、君は寝所での警護を怠り、また本日は時間を守らなかった。」
そう言うと静かに立ち上がる。
そして、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
その目はオレをじっと捉えている。
オレはその目から視線を外せない。
初めて感じる恐怖に足がすくんでいた。
しかし、ドアに背中をつけていたオレは、それ以上下がりようがない。
一歩一歩と近づいてくる恐怖に、オレはお盆を落とし、かかるチョコレートの熱さも省みずに、その場に頭を抱えてうずくまった。
チョコレートの掛かった腕が痛んだし、多分、マグカップも、ブランデーのボトルも、グラスも割れた。
足元に濡れた感触と、チョコレートボンボンの匂いと、それでもアイツが近づいてくる擦れた音がオレを追い詰めた。
硬く頭を抱えてうずくまっていたはずなのに、易々と腕を掴まれて立たされた。
驚いて顔を上げると、見慣れたはずの顔が別人のように見えた。
腕に食い込む手が痛くて、顔をしかめてもその手は緩まることはなかった。
「私は絶対に君を手放すつもりはない。」
声を荒げる目の前の男は見たことがない。
抵抗しようと思えばできたのだろうか。
「私を拒むことなど許さない。」
地の底から這い上がるような声に耳が痛む。
いっそう強く握られる腕がひどく痛む。
こいつのどこにそんな力があるのだろうか…
いつも見る手ではない。
血管は浮き上がり、オレの腕と同じくらい赤くなっている。
火傷と相まって、ひどく痛む腕は、感覚を失いつつある。
オレは目をそらすことが出来ずに、こいつの目をただ見ていることしかできなかった。
誰だ?コレは。
そのままキスをされる。
顔を背けて抵抗しようとしても、壁に押し付けられていてそれも叶わない。
口を閉じようとすると、思い切り唇を噛まれて、口の中が鉄の味でいっぱいになる。
涙が出た。
誰だ?コレは。
今目の前にいるのはオレの知っているあんたじゃない。
膝まで埋まった泥の中でオレはまだ足掻いていた。
もう、足だけでは前へ進めなくなっているので、身体全身で泳ぐようにして進んでいる。
顔も泥だらけだ。
でも、早く行かないと、早く足りないものを見つけなければいけなかった。
それでも岸にはたどり着けない。
ここには水密灯も無ければ妖精も飛んでいないし、月も見えない。
泣きそうだった。
苦しかった。
いつの間にか腰まで浸かっていて、恐くなった。
このまま、足りないものを見つけられずに沈んでいくのが恐かった。
オレは誰かの名前を叫んだ。
誰の名前を叫んでいるのかはオレ自身にもわからなかった。
そのまま、オレはアイツに犯されたんだと思う。
今まで、そういう認識ではなく、二人でそういう行為をしているとオレは不本意ながら感じていた。
でも、今回は違う。
オレはアイツに犯されたんだ。
慣らすこともせずに一気に突き上げられたオレは、声を出すことすら叶わず、気を失った。
気が付くとオレは破片だらけの床の上で、ドアに背を持たれて座っていた。
放置よろしくだ。
ノドが酷く乾いていて、唇が痛い。ちなみに腰も足も、腕も痛い。
幸い、破片で切っている様子はなかったけれど、ブランデーの水溜りと、チョコレートの水溜り、足に垂れている精液と血の跡が無性に悲しかった。
きついチョコレートボンボンの匂いが鼻腔を刺激する。
立ち上がろうとしてもうまく立ち上がれず、途方にくれた。
それでも、立ち上がったのは机の裏でうずくまっているアイツを見つけたからだ。
近づくと、消え入りそうな声ですまないと繰り返している。
オレはあいつの前に跪き、抱きしめた。
恐くはなかった。ただただ悲しくて涙を流した。
身体が痛かったけれど、それより心が痛かった。
痛くて痛くて、涙が流れた。
ためらいがちに回された腕を感じて、より一層強く抱きしめると、しっかりと抱きしめられた。
「すまない」
繰り返す言葉に返事が出来なかった。
その代わり、オレはずっと抱きしめていた。
安心した子供のようにオレの腕の中でいつしか寝息を立てたこいつを、いやに愛しく感じた。
ずっとこのままというわけには行かず、静に離れると寝室から毛布を引っ張ってきてくるんでやった。
おでこに軽くキスをしてオレはシャワーを浴びるために自室に戻った。
幸い火傷も大したことがないようで、赤く腫れているだけだった。
その上に重なるようにしてできた指の痕のほうが酷いようだった。
爪の痕は微妙に肉がえぐれ、血がこびりついている。
見事なぐらいの掴んだ痕。
うっ血した所は気持ちの悪い色になっている。
水をかけると気持ちが良かった。
鏡を見ると口元から顔がが腫れていて、ひどい顔になっていた。
中から精液を出そうとしたら、切れていたらしく激痛が走ったが、それでも出した。
この行為に慣れつつあるオレは、少し惨めに思った。
そして、少しだけ泣いた。
声を立てずに泣いた。
あいつを傷つけたオレが憎かった。
でも、あいつを救えるのもオレだ。
まだ夜は明けていなかったけれど、制服に着替えてアイツの部屋に片付けに行った。
鼻を突くチョコレートボンボンの匂いに吐き気がしたが、それでもオレは破片を広い、床を拭いた。
きれいに片付けると、オレはアイツの隣に座って目を閉じた。
座るとお尻が痛くて声を上げそうになったけれど、目をつむってもたれかかった。
人工的に明るくなるこの部屋はいつも物悲しいと感じる。
明るくなるのを感じたのか、隣でゆっくりと目を覚ました。
オレはオレの持っている最高の笑顔で、挨拶をした。
返事はもちろん返ってこない。
けれど、きつく、強く抱きしめられた。
黒い髪が耳元に当たり、くすぐったい。
毛布の中で暖められた体温が気持ちがいい。
オレもゆっくりと腕を回した。
心臓が大きくでも、ゆっくりと音を立てる。
ああ、オレ、こいつが好きだ。
「オレさ、あんたのことが好きだよ。」
すんなり出た言葉に、言ったオレが驚いた。
「オレ、あんたが好きだよ。」
大の大人が大声を上げて泣く姿に胸が苦しくなったけれど、昨日までのそれとは違った。
オレ達は晴れて、相思相愛?になったのだ。
身体は痛くて、重くて、最低だったけれど、心は軽かった。
ぐしゃぐしゃになったきれいな顔に、オレは何度も何度も痛む唇でキスをした。
こいつが好きだ。
深く深くしたキスはもう、不本意ではなかった。
ちいさく愛してるといったこいつは、いつものこいつに戻っていた。
本当のあんたは、きっと昨日のあんただ。
ぎゅっと抑えている。
本当の意味で、幸せにしてやりたいと思った。
こいつがオレを見つけた本当の意味。
オレがこいつとであった本当の意味。
オレじゃないと駄目なんだ。
こいつを救うのも、こいつを幸せにするのも。
オレはもしかしたら、こいつに出会うのを待っていたのかもしれない。
オレは、こいつを守るために、幸せにするために生まれてきたのかもしれない。
だから、親父が爆破されて重傷を負っても、こうして生きながらえている。
言い訳はこんなもんだ。
牛乳が飲めないから小さいんだと無駄に喧嘩した。
そして、殴り合いになって、油断していたオレにアイツのこぶしがめり込んだと。
長袖だから、腕はしっかり隠れてる。
こってり叱られたオレ達は、二人で笑った。
こんな幸せがずっといつまでも続けばいい。
そう、強く、願った。
NEXT→
←BACK
2007/04/11up
Copyright(C) min All rights reseved.
|