至極自然に、オレ達は互いを求めた。
重なる体温が心地よくて、涙が出そうになった。
誰かを好きだとか、そういう感情ってとても暖かい。
だから、オレはグリードが死んだという事を知ったとき、悲しかったんだ。
オレはグリードが好きだった。
だから、悲しかったんだ。
みんな好きだ。
アルも、ウィンリィも、母さんも、父さんも、ばっちゃんも、研究所のみんなも、クラスのみんなも。
みんなみんな、好きだ。
でも、あいつだけは違う。
確かな存在感でオレを支配する。
あいつがいなければ、オレは気づくことすら叶わなかった。
なんたる幸福。
手を伸ばせばそこにある。
運命の相手。
何にも負ける気がしない。
くろねこ通信※黒猫の用心棒の続きみたいなもの※
第7回 とりかごのなかのきんねこ
何もしてなくても腹は減るもので、ムードを壊す糞餓鬼の腹の虫に我に返った。
とろんとした目は、腹の虫が恥ずかしいのか歪みきって、涙の1つも流しそうだ。
それでもオレは、心行くまでキスを楽しめたので、満足していた。
躊躇いがちに絡む舌とか、苦しそうな息継ぎとか、何もかもが初々しくて可愛かった。
腹の虫が苦情を発しなければ、延々と続けていたかもしれない。
「何食いたい?」
そう言って、その場を立つとデリバリーサービスのメニューを何冊か取って、糞餓鬼の上に放り投げた。
「いって、なにするんだよ。」
「ムードがぶち壊しで、ちょいとご機嫌斜めなだけだよ。」
「う…、わるかったよ。なぁ、ロイの作ったものがいい。」
「冷蔵庫には何もないよ。」
そう、確かに何も無かった。
唯一の野菜であったレタスも、朝食時に食べてしまったし、ウインナーもまた食べる気がしない。
米も焚いてないし、なんというか買い物に行かなければ何も食べられないという状況だった。
インスタントは母が好まないので、そんなもの食べるくらいならデリバリーに頼りなさいと、チキンラーメン1つもない。
「苺ジャムは?」
「あるわけねぇだろ。」
残念と肩を落とす糞餓鬼の頭を一つ叩いて、その髪にキスをした。
どうやら、まだ足りないようだ。
ピザを頼んで、二人で食べた。
いや、糞餓鬼が食べた。
オレは1切れ食べ、残りは糞餓鬼が平らげた。
そして、物足りない顔をしていたが無視することにした。
「よくそれだけ入るな。」
「ん?まだ入るよ。」
「あ、そう。」
「なぁ、グリードの話していい?」
「いいよ。」
そういったはいいが、複雑な気持ちになった。
すんなり思い出になるにはまだ早い気がしたのだ。
「心配そうな顔すんなって。まだ、平気じゃねぇけど、誰かと共有したいんだ。」
共有したいという相手がオレだということが誇らしくなった。
むずがゆいうれしさに、なんとも表現しようのない感情がこみ上げてきた。
いや、愛しい。それに尽きる。
「そうか。」
そう言って、オレは珈琲を入れた。
コーヒー豆をゴリゴリと潰し、サイフォンを暖めた。
いい香りが漂い始めると、決心がついたようにポツポツと話し出した。
「グリードって、遺伝子研究のすごいひとでさ、遺伝子工学の先駆者キング・ブラッドレイの弟子だった人なんだ。このキング・ブラッドレイもすごい人で、研究やるために実業家としても成功を収めてるんだぜ。」
「嫌味だな。」
「貪欲なだけだろ?で、そいつが残した研究があるんだけども、偏屈な人だったらしく隠したんだって。」
「また、なんで。」
「さぁ、独り占めしたかったんだろう?わからなくもないな。」
「そういうもんなのか?」
「オレだって、ロイを独り占めした…い。」
後の祭り。
ポスト・トマト・消防車よろしく、真っ赤になっている。
「ぺろっと言ったな。」
「お、おう、ペロッといってしまった。」
真面目な話し、からかってやるのも一興だがそれをしては、話が進まない気がした。
あわてふためくエドが可愛くて、とても愛しく思える。
もう、べた惚れなのだと、改めて自覚する。
こんな感情、元カノにだって抱いたことがない。
「自分の研究って、そんなもんなんだな。」
「そうだな。」
体裁を取り繕うとしても、もはや遅い。
赤くなった顔をどうにか冷まそうと頑張っている。
「そ、それで、グリードはその研究を再現しようとしてたんだよ。」
「へ、へぇ。」
勢いに気圧されてしまった。
「研究の内容はどうだかわかんないんだけど、人類をびっくるさせる研究だっていってたんだ。で、その研究が完成間近だったんだけど…、おじゃんになってしまったと…テルスに支部があったらしくて、そこの研究所も色々とおじゃんに…バックアップも一緒に…」
暗くなってしまった空気。
おもくどんよりとしている。
「お、お前も一端を担ってたわけか?」
「いいや、違う研究をしてたんだけどさ、うちの大学と姉妹校だっただけに、けっこうみんな仲良かったんだ。勉強会とか、半年に1回やってたし。向こうで研究発表あると、向こうの大学の施設にみんなでお世話になったり。」
「楽しそうだな。」
「実際楽しいよ。普段が引きこもりなだけに、外に出るってだけで楽しいよ。」
ニヤニヤしやがって、そんなに引きこもりが気に入ったか!
「修学旅行感覚だな。」
「それそれ。で、その休憩時間とかを見計らって、バスケットをしてたんだよ。デビルズネストって言って、研究員でチーム組んでて、アマチュアのバスケの試合にも参加してたんだよ。絶対、研究より真剣にやってたと思う。」
「おもしろい人だったんだな。」
「おもしろい人だった。」
考えるような遠い目をして、思い出に浸っているような目だった。
目元が潤み、少しだけうつむいて、笑顔を向けた。
「姉妹校が、ウィンリィが在籍してる大学でもあってさ。オレを通して二人も仲が良かったんだよ。」
「うん、」
「うちの大学に来たときは必ず、オレの家に泊まるんだ。アルも、とても懐いていてさ。」
「うん、」
「アルがバンドをはじめたのもグリードの影響で、ギター片手にヘタクソな歌うたうもんで、アルに歌わせたら才能あるとか、なんとか言っちゃって。アルも本気にしてさ。まぁ、本当に才能があったみたいだけどさ。」
「うん、」
「オレ、あいつが大好きだってちゃんと言えなかったんだ。いつも不貞腐れて、うざがって、邪魔扱いして、…、もっと早くにあんたと出会ってたら、きちんと言えたのに…」
「うん、」
「もう遅いよな。」
「そんなことないよ。」
「遅いんだよ。」
今にも泣き出しそうな糞餓鬼が、泣かまいとして堪えている。
「遅くないよ。お前は気づけたんだろ?今からできることだってあるんだよ。グリードさんがお前に残してくれたものを大事にすればいいんだよ。」
我ながら、なんとも青臭いことを言ってしまった。
こいつの前だと、本音とかそういうのばかりが出てくる。
隠せやしないんだ。
静かにポタポタと流れる涙を、やさしく拭った。
席を立ち、エドを抱きしめた。
きつく、包み込むように抱きしめた。
すぐに泣き止んだため、更に目元が腫れることは無かった。
「さて、顔洗ったら、学校に行こうか。」
「うん。」
流石に体裁が色々と悪いので、タクシーを呼んで学校へ向かった。
もちろんオレも私服だ。
研究所に近い門扉まで行ってもらった。
昨日の夕方と同じ空気が漂っていた。
静かな気配。
既に、普段の様子に戻っているようだった。
「ありがとな。」
「うん。」
オレが一緒にいても仕方がないので、オレはそのままブラリと帰ることにした。
本屋に行くのもいい。
すると買い物帰りか、昨日の親切な人とばたりと出会った。
「こんにちは。」
「こんにちは。君がいるという事は、エドも帰ってきたってことか。」
「はい。」
「なに?これから用事ある?サボらせたお詫びに珈琲飲んでいけよ。」
「は、はい。」
時間は山のようにあり、用事はさっぱりなかった。
付いて行った先は応接間らしきところで、まるで客人扱いに居心地が悪かった。
(確かに客人だけれど!)
「悪いね。少し君と話がしたかったんだ。」
「はぁ。」
「堅苦しくしなくていいよ、こんな場所だけれど、結構仮眠室に使ったりする場所だったりするし。」
エスパーか。
「はい。」
「彼が、グリードさんのことで泣いたのがちょっとしたセンセーショナルでね。君が彼に何をしたのか興味がわいてね。」
「別に、何かをした覚えはないんですが。」
あははと、一つ笑うと真剣な顔になった。
「彼がここへ来たのは、まだランドセルが似合う年だったんだよ。始終ぶっちょう面で、こちらとしても扱いにくい子だったんだ。でも、彼は間違いなく天才で、任せる研究すべてが完璧に理論だてられ、学会で高い評価を受けた。」
そういいながら、薫り高い珈琲を1口啜った。
「そんなに会話をする機会は無かったんだが、グリードさんと出会ってからは鬱陶しがりながらも、ちらほら笑い出してね。その頃かな、本を書けば印税が入るのかと、初めて彼から僕らに話しかけてきた。彼は見事に本を記し莫大な印税を手に入れて、学費を払ってしまった。」
「そうらしいですね。」
「聞いてたか。」
「ええ。」
「オレ等しがない研究員は、来月の家賃の心配したりと金欠状態なのにな…こにくたらしい。」
心のうちをうっかりさらけ出してしまったか、アハハと豪快に笑ってごまかされた。
「先日、しっかりとたかって仇はとりました。」
ありがとうと、引きつりながら笑っている。
結構惨めな気持ちになっているのだろう。
「その手助けというか、出版にあたっての援助をしたのがグリードさんだったわけだ。それから、グリードさんは子供らしくない彼をよくさそって、バスケットをしたり、お得意のギターを聞かせたりしてたんだよ。」
下手だったけどね。とこちらに笑いかけた。
「はい。」
「それでも、彼は彼で、根本的なところは何一つ変らなかった。」
そこまで言うと、珈琲を再度口に運んだ。
「でも、この1週間とちょっとで彼は劇的な変化を遂げた。」
「みたいですね。彼の幼馴染も驚いていました。」
「あはは、そうだろうね。彼は基本的にはここに住んではいるけれど、研究室への立ち入りは教育実習が終わるまで禁止になってるんだ。」
「そうなんですか?」
「本当は、実家から通えって教授は言ったらしいんだけどね。でも、僕らも研究室にこもりきりだから会う機会は本当に無かったわけだ。で、一昨日久々にあった彼は生き生きとしていて、喧騒の中だったが、みな驚いた。」
「授業中に呼び出しがかかったんです。」
「地方に講演で飛んでいた教授面々も緊急招集されたからね。」
そんなに大事だったのかと、改めて事態の深刻さを感じた。
「その時、彼はとても心配そうな顔をしていたんだ。それから、泣き崩れる研究員を励まし、率先して向こうとの連絡係になったりもした。」
「彼はいままで、受動態だったんですね。」
「そうだね。彼は今まで、自分から何か行動を起こすことはなかったんだ。教授もそれを心配して、教育実習の話をもちかけたんだ。」
「そうだったんですか。研究が行き詰って…と聞いていました。」
「それもあるね。でも、彼は知らないけれど、そういう裏話もあったわけだ。で、君が彼に何をしたのか興味がわいた。」
「でも、どうしてオレの名前を知っていたんです?」
「1日目の途中でトラブルがあって、彼に戻ってきてもらったことあったろ?その時にお世話係の話をして、君の名前を知った。」
「卒業生なんですね。」
「そうだよ。」
「オレは、彼に別に何かをしたわけでもありません。ただ友達になっただけです。彼に足りないものはそれだったのかもしれません。」
「そうだね。彼には友達と呼べる存在がいなかったようだか…
突然鳴り出した携帯の音に、オレは驚いていたが、静かに携帯を取り出してそれに応えていた。
「すまないね。こちらから呼び止めたのに。」
「いえ。」
「気軽に遊びに来てくれていいから。」
「はい。」
「あ、それから、色々とごめんね。」
「?いいですよ。友達ですから。」
そう言って後にした。
あいつに追いつきたいと痛切に思った。
なんでもいい。
早く世間に認められるものになりたかった。
勉強して、大学に入って。
ただそれだけだったオレにも、何かが見えた気がした。
まだ将来何になりたいとか、漠然としていて見えはしなかったが、それでも確かな意思を持っていける気がした。
オレは携帯を取り出して、本当の母に連絡した。
二つ返事で夕食に招待されることになった。
父は今日も遅いらしい。
何度かしか訪れたことのないマンションは、相変わらず不相応な気がした。
エレベーターの中でそれは顕著になり、早く帰りたい衝動に駆られた。
小さな子供でもないのに、落ち着かなかった。
「いらっしゃい。」
笑う顔はとてもうれしそうで、やさしかった。
でも早く帰りたいと思う気持ちはさっぱり拭えず、このまま玄関で用件だけ済ませて帰ってしまいたかった。
「おじゃまします。」
きっとこの会話がおかしいのだろう。
絶対に『おかえりなさい』とは言ってはもらえないのだから。
中に入るといい匂いがしていた。
シチューとサラダ、それにパン。
「ごめんなさいね。突然だったから、こんなものしかできなくて。」
「いえ、こちらこそ、突然お邪魔してすみません。」
「いいのよ。」
そして、席について静かに食べ始めた。
母はあまり綺麗な食べ方をしない。
カチャカチャと音を立てて、シチューを食べていた。
できるだけ音を立てないようにと努力をしているのだが、それが裏目に出るようだった。
フランスパンも食べる端からテーブルを汚していった。
「どうされましたか?」
「聞きたいことがあって来ました。」
「なにかしら。」
「昔聞かせてもらった、森の話です。」
「あら。覚えていてくれたのね。うれしいわ。」
「その話をもう1度聞かせて欲しいんです。」
「いいわよ。何度でも。」
母はにこりと笑うと、本当に嬉しそうに話し出した。
フェアリーや、ドワーフ、コロボックル、そういうものがその物語の国にはたくさんいる。
自然が豊で、作物は常に幸せの匂いを纏っている。
その国にある大きな深い森の物語。
深い深い真っ暗な森の中は朝がない。
真っ暗な森での唯一の光は、フェアリーの羽と水密灯という光を発する植物と、月だけ。
月を見ることのできる唯一の場所は湖で、そこには水の女神がいて、その女神はとても探し物が得意なんだ。
でも、女神はあるものを持っていないと探してくれないんだ。
それは探す人によって違うもので、見つかったものは大切に宝箱の中に入れないといけない。
その森には沼もあって、そこに足を踏み入れると、誰かが助けてくれなければ這い上がることができない。
沼は探しきれなかったものの悲しみが沈んでいて、探し物をしてさまよっているものを引きずり込む。
そういう話。
あるものとは、足りないもののことなのだろう。
探し物というのはなんなのだろうか。
足りないもの自体が探し物のような気もする。
じゃあ、あの時に聞いた「足りないから…」は女神の声なのだろうか。
オレの見る夢じゃ、フェアリーも飛んでいないし、水密灯も咲いていない。
いい加減、沼に引きずり込まれそうだった。
「そろそろ、お父様も帰ってこられますよ。」
「いいえ、今日はもうお暇します。明日も学校ですので。」
そう言って席を立った。
「あ、森の話をどこで聞かれたんですか?」
「どこだったかしら。気づいたら知ってたわ。幼い頃に祖母にでも聞いたのかしらね。」
「そうですか。ありがとうございました。」
一歩ずつ外界が近づくと思うと、足が軽くなった。
どうも、空気というかそういうものが苦手らしい。
だから普段は外で会うようにしているのだ。
携帯電話を見ると、メールが1件と不在着信が3件入っていた。
メールはヒューズからで、今日学校に来なかったのはなぜかというメールだった。
説明が面倒だったので、明日学校に行ったときにでも説明しようかと思った。
不在着信の1件は見たことのない番号で、2件はハボック青年からだった。
見たことのない番号はどうやら、この近所かららしく、市外局番が学校近辺のものだった。
とりあえず、ハボック青年に電話を掛けることにした。
コール音もほとんどなく、相手が出たことに驚き、急ぎの用事でもあったのかと焦った。
「ロイ!」
耳元にこだましたのは、聞きなれた声でなぜあいつの声が聞こえるのかとてつもなく不思議な気分に陥った。
「ロイ?」
「な、なんでお前が出るんだよ。」
「紆余曲折は後で説明する。」
「はぁ。」
「とにかく、ライブハウスに来い。」
「は?」
と、問いただす前に通話は途絶えた。
もう1度掛けるのも馬鹿馬鹿しかったので、大人しくライブハウスに向かうことにした。
こちとら、方向見事に逆方向で、今日はよくタクシーを使うなと思いながら財布の中身と相談しつつライブハウスへ向かった。
案の定、途中で足りなくなった分は、若さに任せて走った。
「ロイ!」
見慣れた金髪がこちらに向かって大きく手を振っていた。
「なんだよ。」
「携帯をジャンに借りた。」
「そうか。」
「どうしても、お前に、今日会わなくちゃいけなかったんだよ。」
「は?6時間くらい前まで一緒にいたろ。」
「ま、まぁそうなんだが。」
いつもと違うそわそわした態度が、どうも腑に落ちなかった。
「まさか、姉妹校に行くことになったのか?」
こちらをまじまじと見る瞳は開かれていて、血の気が引くのが見て取れた。
「お、…おまえ、エスパーか?」
図星か。
「い、いや、エスパーではないな。」
この展開から行けば、そう考えるのが定石だろう。
「そうか。どう言おうか迷ったんだけど…、言わずに済んだ。そういうことだ。」
「わかった。」
と言葉で納得したが、納得し切れていないのが本音。
「って、どうして簡単に納得するんだよ!」
今にも泣きそうな顔でまくし立てられた。
掴まれた胸倉は、いまいち手が届いていないとしか言えない。
どちらかというと、胸元の服を掴まれているといったほうがいい。
「納得するとか、しないとか、そういう問題じゃないだろ。」
半分、自分に言い聞かせてみる。
「どうしたらいい?どうしよう。オレ、行きたくない。」
「行きたくないって…。」
「まだ、オレあんたと出会ったばっかりなんだよ。まだあんたと話したいこととか、やりたいこととか、いっぱいあるんだよ。」
オレだってそうだよ。
という言葉を飲み込んだ。
言わなくても、通じてる。
でも、言ってしまえば、こいつは決心できなるんだ。
「おまえは、ただの学生じゃないんだよ。出来ることがあるならやれよ。」
目を丸くして絶句する糞餓鬼を引き離した。
力なく引き剥がされた糞餓鬼は、行き場のない手をだらりと垂らしてうつむいた。
「おま…えは、オレがいなくなってもいいのかよ。」
「よくはない。」
嬉々とした困惑した顔をこちらに向ける。
「よくはないさ。まだキスしかしてない。夢だってまだオレ達はばらばらだ。」
なんとも言えようのない複雑な顔をしたと思ったら、腹に衝撃が加わった。
「キス、でも、それ以上でも、してやるから、どこへも行くなって言えよ!」
泣き崩れそうだった。
言うだけなら簡単だ。
でも、言ってどうする。
言って、オレにどうして欲しいんだ?
それすらも、言ってしまうことに恐怖を覚えていた。
こいつが抱えているもの、それをオレの感情一つ、こいつの感情一つで決めてしまっていいのだろうか。
「言いたいさ。言えやしないんだ。」
「どうして。」
「オレは、お前を世間から守れるほど大人でもない。社会的地位も何もないただの高校生なんだよ。」
わかってくれ。
オレは何もできない。
お前の人生を背負えるほどの大きなことなんか言えないんだ。
「オレは、ただの人になりたい。」
苦虫を噛み殺すように、絞り出された声は、小さく弱弱しかった。
オレ達は、手をつないで学校までの道のりを無言で歩いた。
オレが引っ張るような形で、ゆっくりと歩いた。
もう、何度目だろうか。
でも、まだ何度目かなのだ。
校門の前に着いても、いっこうにこいつは自分から歩こうとはしなかった。
半ば引きずるようにして、研究所の前まで行った。
窓からは明かりがポツポツとしていて、時刻が夜中なのだと改めて感じた。
「いつ、発つんだ?」
「早ければ、あさっての朝一。」
「そうか。」
「うん。」
「教育実習、最後までできなかったな。」
「うん。」
いつまでも、いつまでも、オレ達は黙ったまま、立ち尽くしていた。
何を話していいのかわからないけれど、このまま離れてしまいたくも無かった。
身に降りかかる、知らない国の大きな事件。
テロリストを、爆弾を作った奴が憎かった。
どうして、オレ達はこんなに早く離れ離れになってしまわなくてはいけないのだろうか。
同じ時間を共有し、同じものを見て、同じ感動を得る。
誰もがあたり前のように過ごす時をオレ達は奪われたのだ。
こいつは、結局一人で特別棟を歩くことすら適わなかったんだ。
面白い地理の授業も受けることができなかったんだ。
もう、2度と同じ教室で授業を受けることも、バスケに興じることもないのだ。
1ヵ月後に訪れる別れとは訳が違う。
まだ、何もしていないんだ。
「死ぬ訳じゃないのにな。」
この台詞はとても重い。
軽い言葉ではないが、今、この時、この瞬間、最も重い言葉だ。
「そうだな。」
「連絡するよ。」
「うん。」
「1年に何度かは帰ってくるし。」
「うん。」
オレの目をじっと見るその瞳は、揺ぎ無いもののように見えた。
確かな決意。
悩むことを拒むその瞳。
困惑するオレを鑑みたのだろうか。
「キス、してもいい?」
オレはこっそり驚いてみた。
(顔には出ていなかったはずだ。)
「それは、オレの台詞じゃないのか?」
「うーん、なんとなく、あんたの気持ちがわかった。」
「そりゃ、よかった。」
生垣に座ると、目線が下になった。
「馬鹿にされてる気がする。」
「気のせいだ。」
躊躇いがちに首元に回された手が、初々しくて可愛かった。
抱きかかえるようにして腰に手を回すと、エドの体温に溶けてしまいたくなった。
「め、つむれ。」
「はいはい。」
目を閉じて、どれくらいだろうか。
何をしているのだと、薄目を開けようとしたら顔に雫が垂れてきた。
雨でも降ってきたかと、先ほどまでの満天の星空を思い出した。
目を開けると、大粒の涙をこぼしながら静かに泣いていた。
大雨。
「エド?」
「ご、ごめん。」
腰に回していた手を顔に持っていき、そのまま無理やりキスをした。
嗚咽交じりのキスは、塩味だった。
きっと、これが最後だろう。
会うのも、キスをするのも。
言いたいことは、聞きたいことはたくさんあった。
どれも、形に…言葉にできなくて呑み込んだ。
「好きだよ。」
「うん。オレも。」
その日の夢は真っ暗で、とても寂しい気持ちでいっぱいだった。
運命は勝てなかったのだろうか。
明日が見えない気がした。
それでも、追いつこうと思った。
早く、早く、それでも堅実に、あいつに追いつきたい。
一緒の研究をしているオレを想像したけれど、馬鹿らしくてやめた。
ねくすと>>
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2007/08/15up
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