笑ってさよならをした。
握手をして、少しだけキスをして、抱きしめあって、さよならと言った。
きっと、ロイもタクシーの中で泣いてんだろうなと思いながら、バスの中で堪えきれずに泣いた。


要塞とばかりの研究所。
外部との連絡も何も無い。情報も遮断された、完全なる密閉空間。
はじめの1年はデータの復旧作業。
次の1年は破損部の解明。
次の1年からは、未知の世界だった。


外部に協力を要請することを上が許可したのは、本当に研究が行き詰っていることがわかったからだろう。
外界と遮断された空間は、1人ずつ心を病むものを生んでいった。
隔離病棟へ送られる研究員を見るたびに、あいつの存在の大きさを実感した。
ここから出るためにも、一刻も早く研究を完成させなければならない。
協力要請の相手の詳細は研究員に知らされることもなく、定期的な報告だけが送られた。
的確な理論構成に、目を丸くした。
何かが足りないと、それを追い求めていたものがいとも簡単に見つかったことには驚いた。
添付資料の著書は勿論、ここにもある。
何度となく読んだし、解読もした。
狂喜乱舞で、研究が進むと喜んだ。
誰も外部協力者に期待をしていなかったものだから、大いに喜んだ。
オレも、喜んだ。
完成まで目と鼻の先だ。


その頃、とんでもない噂が流れ始めた。
『研究者は完成と同時に一部の研究者を残し処分される。』
残る研究員は初期メンバーのことだろう。
オレ達大学やら、研究室から寄せ集めの研究員ではない彼らのこと。
逃げるかどうするかとか、密かに密談が交わされていた。


逃げる?どうやって?
逃げることを考えることが馬鹿らしいと思った。
グリードさんが成した研究は、もう少しで完成する。
あいつと離れた最大で絶対の理由。


逃げようとした研究員が捕まって処分されたという話を聞いた。
最初にここに来たときには大所帯だった研究員も数えるほどになっていた。
そででもオレは、ただ黙々と理論を組み上げていった。


季節を感じなくなったのはいつの頃だろうか。
外の様子も見えない空間。
規則正しい生活。
でも、天気すらわからない世界に、違和感は感じなかった。
あいつのいない世界なんて、どうでもよかった。


あと1年データを取れば完成するというとき、それは起こった。


この要塞にどこから侵入できたのだろうかと、半ば人事のように感心した。
遠くで銃撃音している。
それが近づいてきたとき、オレ以外の研究員は半狂乱で震え、叫んでいた。
退路は無い。
本当に、恐怖感とかそういうのは無かったんだ。
なぜかって?
オレがオレを殺すことを知っていたからだ。
今ここに来ているのは、まさにオレだ。
夢の中のオレだ。


彼を追いかけるようにして夢を見ていると確信したのは、彼の研究データを見たときだ。
夢の中の彼はある時まで本当に幸せの中にいた。
幸せを与えた人間はロイだった。
いや、夢の中のロイか。
彼が死んだ理由も勿論知っている。
彼がなぜ憎んでいるのかも知っている。


死にたくないのに、オレはオレを殺したかった。
研究を続けたくないのに、夢の中のロイを殺した研究が憎いのに、それでもオレは研究を続けた。
でも、グリードさんを殺したのもオレなのだ。


ロイ、お前は幸せになれ。


血の吹き出す胸元を軽く押さえる。
血が暖かい。
オレは薄れゆく意識の中、オレを確認した。
ああ、そっくりだ。


アルフォンス、ウィンリィと幸せになれよ。
ハボック、リザさんと幸せになれよ。
ヒューズはもう結婚してるんだろうな。誰だったっけ、1度だけ見たことがある。きれいな人だった。
母さん、父さん、あまり悲しまないでくれよ。


ロイ…お前は少しだけみんなより悲しんでくれ。


ロイ…、嘘だ。誰よりも笑って、幸せになれ。


ロイ…、好きだよ。


ロイ…、もう1度声が聞きたかった。


ロイ…、左手が寂しいよ。


心臓の熱さが、あの情事を思い出させた。
心臓が爆発するかと思った、あの情事を思い出させた。
死んでいくのに幸せを感じた。
夢の中で何度となくオレはロイに抱かれたのに、それを思い出すことは無かった。
アレだけが、オレとロイの確たる真実だ。
繋がれた体。
熱い吐息、熱い手、熱い体。


ロイ…


知らない右手がそこにあった。
慣れ親しんだ手のはずなのに、知らない手に見えた。
オレはその手を強く握った。


森を歩いた。
手をつなぎながら。








くろねこ通信※黒猫の用心棒の続きみたいなもの※

第11回 くろねこへ









こんなにも簡単に月日は過ぎるものだというのだろうか。
手のぬくもりを思い出すことも、時折になった。
今も胸は軋むが、それもまた日常の一部になっている。


これほどまでに誰かを愛することがこの先、訪れるのだろうか。
漫然とした感情が全身を支配している。
それはまさに枷のように、糧のように…
手がつかむ空虚は、不思議ともう、虚しさがなくなっていた。


人の心はとても複雑怪奇で、きっと何度人生を繰り返し探求したとしても、真実はわからないと気づいたとき、オレは大学の助教授になっていた。
オレの世界を支配する全てが崩れる知らせは、何の前触れもなく訪れた。
それは、ニュースとして流れることもなく、アルフォンス君自身から伝えられた。


「兄の研究所がテロにあいました。」
何のことかと思った。
「兄は死に…ました。」
苦痛にゆがんだ顔。


天気は晴れ。気候もよい春のうららかなとても気持ちのよい日。
呼び出された場所は、以前通っていた研究所。
変わってないなと思いながら、珈琲の香りのする応接室を訪ねた。
深刻な顔をした、アルフォンス君がいた。


「どういうことだ?」
「僕にもよくわかりません。」


そういえば、彼はワールドツアーの真っ只中でこんな所にいるのはおかしい。
彼は、見事周囲の期待に応え、高校を主席で飛び級卒業し、大学部でも飛び級で大学院に入り、それも昨年卒業した。
論文を何冊か書き、彼は枷から抜け出し、音楽の世界に飛び込んでいた。


「ただ、兄が所属していた大学から訃報がきました。」
「意味がわからない。」
「とても危険な研究だったようです。」
「なんで?そこいらの大学の研究の延長線の研究だろ?」
「そんな会話をするために来たんじゃありませんし、僕もよくは知りません。」
「あ、すまな…い。」


応接室を出ると、すすり泣く声が響いていた。
怒号も遠くから聞こえる。
この空気は記憶にある。
グリードさんが亡くなった時もそうだった。


研究にも授業にも支障が出たオレに、教授は休暇と言わんばかりの出張を命じた。
皮肉にも、あいつが住んでいた街だった。
姉妹校がそこにあるのだから、仕方が無いといえば仕方が無いのだが。
今も住んでいるというウィンリィちゃんに連絡を取ると、あいつの住んでいたアパルトメントは引き払ってないとのことだったので、そこを拠点にすることになった。


「お葬式以来ですね。」
「そうだね。彼の遺体は結局戻ってこなかったって?」
「はい、でも私物は送ってきました。」
「そうか。」


部屋はあの頃のままだという彼女から、合鍵を貰った。


「誘ってよかったんでしょうか?」
「正直、結構つらいけれど、まだそれに浸っていたかったから。」
「あまり、無理をしないでください。」


彼女も辛いだろうに、気を使ってもらっている。
部屋も変わるなり、片付けるなり出来ただろうが、それが出来ないほどなのに…


「今でも信じられないんです。なんたって、ずっといなかったから…今更本当にいなくなったって言われても…
顔を両手で覆うその姿は本当に小さく、悲しみにくれるその姿だ。
「オレも、まだ、信じられない。」


送ってきた私物は、まだ開けてもないんです。
あっちに送ろうとしたんですけど、送らないでくれってアルが言うから…
と彼女が言った荷物は、本当に小さい段ボール箱1つだった。
手に余るので、あけてくれても良いという彼女の言葉をそのままに開けることにした。


まず、彼が使っていたマグカップ。
見たことがあるものだったので、持ち込んだものだろう。
見覚えのある『エド専用』の文字に笑ってしまった。


使い込んだペン。


寝具。


小説が数冊。


あとは…
と、覗き込むと、紙切れが1枚入っていた。
中身が全て書き記されていた。
ワープロ文字で並べられた下に、小さな走り書きがあるのに目を留めた。


『私物ではありませんが、メモリースティックを入れてあります。
パスワードが掛けられていましたが、検閲をした結果問題が無いと判断されたため送らせて頂きました。
パスワードがわかる方に差し上げてください。』


今となっては、旧式のパソコンを立ち上げて、メモリースティックを差し込んだ。
カリカリと音がするそれを辛抱強く待った。
研究に関係の無いデータ。
確証は無かったが、オレ宛名気がしていた。
パスワードの入力画面に、オレは迷わず『kuroneko』と打った。


そこに広がったのは、送られることの無かったメール。
数は100を超えていた。


一番最初のメール。
【題名】
くろねこへ
【本文】
うれしかった。驚いた。
オレはお前が好きだ。
忘れないよ。


日付はあの日、オレが帰った日付だ。


【題名】

【本文】
今日から牢獄だ。
ウィンリィは泣いていた。


【題名】

【本文】
夢なのか夢じゃないのかの境界がはっきりしない。
手の感触もそのままだし、何より食事の満腹感やそんなのまで妙にリアルになってきた。
でも、違いは明確だ。ここには外が無い。


【題名】
リザさんとハボックとウィンリィ
【本文】
夢の中のオレ達にも関わりがあるから、無駄に親近感が持てる。
うーん、でも、夢の中のリザさんとハボックはくっつきはしないとおもう。
ウィンリィは義肢装具屋をやっている。あまりにも変わらなくて笑った。


【題名】
ありえない
【本文】
夢の中で本当にロイに会った。
ありえないって話でもないが、おかしな話だ。
2度人生を堪能してる気分だ。


【題名】
おかしな趣味
【本文】
ゴシック様式的な制服着用。
お前にもそんな趣味があんのか?


【題名】
断じてこれは浮気ではない
【本文】
夢の中のオレがロイに抱かれていた。
感触が妙にリアルなのはわかっていたが、これは流石に辛い。
でも、オレはロイがいい。


【題名】

【本文】
オレ達が見ていた夢を見ているらしい。
本当は誰の夢なんだ?


【題名】
チョコレートボンボン
【本文】
オレはくわねぇけど、なんだかおいしそうだと思った。
イチゴジャムを申請するときに一緒に申請してみようか。


【題名】
続・チョコレートボンボン
【本文】
おいしくなかった。
夢の中ではおいしかったのにな。


【題名】
妖精
【本文】
そんなのいる訳ないと思ってたけど、いそうだ。
もし、ここから出られたら、ロイと一緒に行きたいな。
夢に出てくる森があるって言ってた。


【題名】
二人暮らし
【本文】
なんとも幸せ絶頂で腹が立つ。
オレは外にも出られないのに。
菜園を作るだの、馬を飼うだの言ってる。
うらやましい。


【題名】
お前は生きてるか?
【本文】
夢の中のお前が死んだ。
お前じゃないのに…いやだ、なんで?


【題名】

【本文】
お前がそばにいないだけで、こんなに苦しいのに、お前が死んだなんてどうにかなりそうだ。


【題名】
きっとこれが最後だ
【本文】
オレがオレを殺しにくるよ。
研究所の場所がばれた。
不思議だ。あまり恐くない。
ほら、警報が鳴り出した。
誰が見るわけでもないから、打ちたいことを打とう。
ロイ、好きだ。
最後にもう1度会いたかった。
抱きしめて欲しかった。
キスしたかった。
抱いて欲しかった。


それが最後のメールだった。
さも日記のようなメール。
夢の中のオレが死ぬまでは毎日のように打っていたようだ。
どこへ行ったとか、さもオレとお前がそうしているかのように。
これを送ってくれた人に感謝した。
意味のわからない奇妙なメールだと思っただろう。
いや、はじめの数通を見て、ただの宛先不明のメールだと思ったのかもしれない。


次の日、早速オレは妖精のいるという森に出かけてみることにした。
無意味に2人分のランチを購入して、バスに乗って、あいつが見たがった景色を堪能した。
たどり着いた頃には、もう昼食という時間は過ぎて、夕食に近かった。


本当にあったとばかりに、家に近づいた。
誰かがさっきまでここに居た空気を感じた。
菜園の雑草はきれいに抜かれ、水がまかれていた。
オレは森に向かって走った。
がむしゃらに、日が沈んで暗くなろうとも、誰かを探した。
恐いと、戻れと頭では思っているのに、足が勝手に動いた。


夢のままの森。
多分、夢の中の俺が死んだと同時だろうかそこからまったくといっていいほど見ていない。
最後の夢はきっと最初の夢だ。
オレの夢は夢の中のオレの記憶を遡ったものだろう。
最後に見た夢は、夢の中のオレが母親に呼ばれて夢の中を探して歩く夢だった。
感覚的にも、幼い子供だった。


手探りで進む。
月明かりが差し込むわずかな場所を目印に進んだ。


よく知った蜜色の金糸が倒れていた。
月明かりに照らされた頭部がキラキラと反射している。
これが彼なのだと、確信した。


不思議と憎さを感じなかった。
右手が義肢なのだと確認した。
ゴシック様式の制服か…、よくわからないが、似合うと思う。
だから、本当に、そうなんだ。
オレは笑った。
何がおかしいのかわからなかったが笑った。
おかしかった。
なにかが。
目から涙もこぼれた。
そして、オレは泣いた。
声を出して、エドが死んではじめて泣いた。


ひとしきり泣くと、彼をどうするか考えた。


周りを見渡すと、宝箱のようなものが落ちていた。
持ち上げ方が悪かったのか、中身を落としてしまった。
中からは、鍵と、写真が2枚と、何か昆虫の羽根が落ちてきた。
写真を見ると、幸せそうな両親と幸せそうに眠る赤ん坊、宴会の集合写真だろうかにぎやかな写真だった。
写真の中で、エドが笑っていた。
オレも笑っていた。
撮った記憶も無いものが懐かしかった。
落としてしまったそれらを箱に戻した。とても愛おしいとかんじた。
目覚める気配の無い彼を担いで、家があったところまで戻った。


鍵は箱の鍵で正解だった。
扉を開けると、鼻を突く匂いがかすかにした。
きれいに掃除されてはいるが、何かが残っていた。
オレはどういう死に方をしたんだろうか。


寝室に運び、横たえる。
本当に、よく似てる…いや、本人そのままだ。
オレが覚えているあいつより少し大人びてはいるが、そのものだった。
抱えた体は異常な重さをしていたが、義肢の重さなのだろうと思った。
彼を眺めたまま一晩を過ごした。


あれから、3日経った。
起きる気配は微塵も無かった。
食料を買いに近くの町まで行って、帰ってきた時は流石に起きてどこかへ行ってしまっているものと思った。
だが、すやすやと寝息を立てていた。
いい加減心配になったので、大学の知り合いに事情を説明して、病院に連れて行った。
体のどこにも疾患は無いようで、目覚めないのが不思議だと首をひねっていた。
2,3日様子を見て目が覚める気配が無かったら、別の方法で検査をしてみようということになっていた。


別に、何を思ったわけでもない。
左手を握ってみた。
すると、強く握り返された。


涙が溢れた。


何年ぶりかに見た森の夢。
目の前を誰かが歩いている。
エドと…オレ?
違う。
オレは声にならない声で叫んだ。
エドは振り向かずに歩いていく。
オレは静かに振り返り、エドを頼んだよと言った様に見えた。
そのまま、オレを置き去りにして二人は奥へ行ってしまった。


そのまま寝てしまったオレは、体がの痛みで目を覚ました。
伸ばすと背中が悲鳴を上げている。
眠り姫を確認すると、大きな金の瞳をこちらに向けて涙をこぼしていた。
「ロイ…ロイなのか?」
「そうだよ。」
間違ってはいない。
けど、これは嘘だ。
「会いたかった!」
声まで一緒だ。
体温も、何もかも。


「オレも会いたかった。」


嘘を吐いた。
オレが会いたかったのは、お前じゃない。
憎いと、思わなければならないのに、思えない。
愛おしいという気持ちを抑えきれない。


「ロイ、ロイ。」


卑怯だ。
なんで、お前はお前を殺したんだ。
なんで、一緒なんだ。
なんで…


抱きしめた体。
悲しいはずなのにうれしかった。


こいつをお前の代わりにして生きていくのか?
どうしたらいいんだよ。
エド…教えてくれ。


目が覚めたことを報告すると、不思議な顔を返された。
複雑な心境を汲み取ったのだろうか。


診察の結果、心を病んでいることがわかった。
夢の中を歩いている。
お前の領域だと、静かに告げられた。
その日のうちに、病棟を移しオレの患者になった。


名前とわずかな情報以外、謎だった。
年齢はメールの内容から見て、18くらいだろう。
ボディーガードをやっている。
弟のアルフォンスは車椅子。
リザとハボックという知り合いがいる。
ウィンリィという義肢装具屋を営んでいる幼馴染がいる。
どうするべきか。
家族の元へ返すのが定石だろう。


家族を探す間、オレはこいつの世話をすることにした。
あの家に帰りたいと言うのを制止して、軟禁状態よろしく入院させっぱなしにした。
アパルトメントに連れて帰ることができないからだ。
ウィンリィちゃんにも秘密にしてある。
1日に2度顔を見に行った。
とてもうれしそうな顔をして、いろんな話をする。
メールとつじつまが合うことばかりの話に驚き反面、納得した。
治療をするか否か、悩んでいた。


ウィンリィちゃんとは彼を入院させてから、1度帰ったときに箱の中身を二人で見た以来、たまに連絡を取る程度になっていた。
彼女は彼女で、色々な国を飛び回っていたので、隣に住んでいるといえども、顔を合わせることは無かった。
箱の中を丁寧に確認した彼女は理由を話さなくても、メモリースティックを譲ってくれた。
残りの私物は、次に帰国するときに持って帰ると言っていた。
彼の残したものは存外少ないことに、気がついた。
オレが持っているものは、ヘタクソなホットラインのアドレス、エド専用、卒業論文の写し、パソコンの中に隠したメールのやり取り、そしてメモリースティック。
卒業論文は結局最後まで読まなかった。
意味がなくなったからだ。


エドの残り香の残る部屋で暮らし、エドと同じ顔のそれもエドを殺した人間の面倒を見る。
なんと滑稽な生活だろうか。
大学の講義、患者の診察、彼の世話。
その慌しい生活のわずかな間を見て、彼とつながりのある人間を探した。


最初に見つかったのは義肢装具屋だった。
裏の界隈ではとても有名な店だった。
「はじめまして」と、店に入ると、ウィンリィちゃんと同じ顔がそこにいた。
機械油の匂いを纏い、元気の良い声で出迎えてくれた。
こういうものですと、名刺を渡した。
何の御用ですかと、怪訝な顔をされ、何度となく練習した台詞を口から出した。
「右腕と左足が機械鎧のエドワードという人間をご存知ですか?」
顔が見る間に青くなった。
「エドを知ってるんですか?」
「はい、今私が、世話をさせてもらってます。」
「え?」
「詳しい話をするために、弟さんのアルフォンスさんとお話ししたいのですが。」


わかりましたと、彼女は電話を掛けた。
短いやりとりの電話はすぐに切られた。
「10分もすれば来ます。掛けてお待ちください。」
出された珈琲は、お世辞にもおいしいとはいえるものではなかった。


「はじめまして。アルフォンスです。」
といった彼の顔は必要以上に強張っていた。
メールの通り車椅子だ。
「はじめまして。ロイ・マスタングです。」
「単刀直入に伺います。兄は生きてるんですね。」
「はい。」
「あなたは、誰なんですか?」
やはり顔見知りだったかと、しまったと思った。
説明がややこしい。
「貴方の知っている、彼であり、彼ではないものです。」
オレは、ポケットから写真を取り出した。
「兄ですか?いや、違う。右腕が生身だ。」
「この少年もエドワードといいます。そして、彼はとある研究の研究員でしたが2年前に殺されました。」
聡い子だ。気づいたのだろう。
「でも、私と、写真の彼は貴方方の知っている人物ではありません。」
わけがわからないといった彼の表情を無視して、話を続けた。
「あなたのお兄さんをみつけたのは、森の中でした。それから、ずっと病院に入院させています。」
「え?エド…どこか悪いんですか?」
「いいえ、どこも…いえ、心を病んでいます。」
「そうなんですね。」
「はい。名刺に記載されている通り、心理学を専攻しています。彼を治療すべきか尋ねるために、お返しするために探しました。」
「ありがとうございます。」
静かにそういうと、沈黙が襲った。
「これが病院の場所と部屋の番号です。一度、会いに来られてください。」
そう言って、あとにした。


しかし、見舞う様子も無く、日が経った。
電話が掛かった時に、会うことをしないと決めたのだろうと感じた。
「あなたは、どうされたいのですか?」
思っても見なかった問いに、動揺してしまった。
自分で答えを出すことが出来ないから、他に委ねてしまおうとしていることを見透かされている気がした。
「私は、貴方方の元へ帰るのが一番だと思っています。」
「兄さんを捨てないでください。違う人だってわかってます。でも、兄さんが思ってたのは、待ってたのはあなたなんです。」
「私もそうです。彼はあまりにも同じすぎる。」
「壊れたままで良いんです。夢のままでいさせてあげてください。もう十分苦しんだ。」
「わかりました。」
切った電話はなんと虚しかった。
誰に知られることも無く、彼と共にいなくてはならないことが、とても苦痛だった。


「ロイ、家に帰ろう?」
「そうだな。」
そう決めたのは、夏が冬になった頃だった。
国に帰って来いと教授から連絡もあったからだ。
このまま連れ帰ることはできない、しかし置いて帰ることもできなかった。


オレはアパルトメントを移し、エドワードとの生活をはじめていた。
入院費は弟が出すと言ってはくれたが、退院させた。
体自体には何の病気も無かったし、普通に生活を送ることにも支障は無かった。
ただ、記憶が混同していて、オレを彼のロイだと信じていた。
なにより、彼がエドであることを願っていた部分があったのかもしれない。
時折、泣きながらオレを探し、泣きついてきた。
オレもなぜかその姿に安心していた。


大学に辞表と教授宛の謝罪文を書いて、オレとエドワードはあの家に引越しした。
心配しそうな相手には手紙を書いた。
勿論、どこに住むとかこれからどうするかとかそう言ったものは記さずに。
だが、まだ投函することが出来ずにいた。
しかし全てを捨てて、エドワードと生活することに不安は無かった。
エドワードのロイも、こうした全てを捨てた彼との何も無い生活を望んでいたのだろう。
違うといいながらも、同調してしまう気持ちがどこかにあった。


「ただいま。」
元気の良い声で家に入る。
閉じた匂い、何かが腐ったようなかすかな匂いはやはり気になったが、窓を開け放ち、換気をすると外の冷たい空気が家の中に満ちて気にならなくなった。
以前も思ったが、大抵の生活用品はそろっていた。
衣服も心配することは無い。
エドワードのロイはどれだけの人間だったんだろうか。


牛乳が嫌いなところも、シチューが好きなところも、そっくりだった。
ただ、イチゴジャムは食べなかった。
「そんなの1瓶一気に食ったら、気分悪くなるだろ?」
どうしてかと聞いたら、当たり前の答えが返ってきた。
そうかと応えたオレは、やるせない気持ちになった。
まったく同じなはずなのに、些細な違いに違和感を感じた。
右腕の機械鎧が金属音を立てる。
左足の機械鎧が重い足音にしている。
エドワードとエドが違う存在だということは、一緒に暮らし始めて嫌というほど思い知った。


荷物を片付けていると、エドワードのいる隣の部屋から叫び声が聞こえた。
あわてて部屋を飛び出す。
「お前は誰なんだ?」
崩れる音、いや、何も築いてはいない。
エドワードの手にはあの時の宝箱。


「ロイは死んだはずだ。オレの目の前で、頭を爆破されて…」
そんな残酷な死に方をしていたのかと、想像しただけで気持ち悪くなった。
「オレは、お前のロイじゃないけれど、お前もオレのエドじゃない。」


正気に戻ったエドワードにひとつひとつ全てを話した。
彼から見たことも、ひとつひとつ全て聞いた。
彼も泣いた。オレも涙を流した。
仕方の無いことで、結局誰も悪くないと思った。


「なんで、オレ生きてんだろ。」
あの時、死んだと思ったんだけどな。と苦笑している。
「死ぬなんて、考えるなよ。もうお前を失うのはごめんだ。」
「お前も考えるなよ。オレもあんたを2度も失うのはごめんだ。」
「そうだな。」
「あんた、今からでも取り消して大学に戻れよ。」
「なんで?」
「オレも、正気?に戻ったことだし、弟のところに帰るよ。それに、まだやりたいこといっぱいあるんだろ?」
「確かに、まだ、夢のなぞも解明してないし、しないだろうけどな。」
「でも、その方がいい。お前のエドワードにも、オレのロイにもこのままのうのうと過ごすのは後ろめたい。」
「同意だ。」
今の彼にはオレという存在は必要ないし、オレに必要なのは彼でもない。
「そうして、もう2度と会うのをよそう。」
「そう…だな。その方がいい。」
「うん。」


結局はオレ達は違う人間だ。


「最後に、ひとつだけ。」
そういう彼は、森の中を手をつないで歩きたいと言った。
オレの右手、彼の左手。
月夜の森を二人で歩いた。


「こんな簡単なことなのに、ずっとできなかった。」
「本当だな。」
「元気でな。ロイ。」
「ああ、お前もな。エドワード。」


月夜の森は、妖精もいない。水密灯も無い。湖もなければ、沼地も無いただの真っ暗な森。
そう、ただの真っ暗な森を、月明かりが射す場所を目印にゆっくりと歩いた。


もう2度と感じることの無い右手の感触を刻み込んだ。














あとがき>>
<<ばっく
2008/12/09up

Copyright(C) min All rights reseved.