「あんたが、自分が嫌いで、嫌いで、嫌いで、誰からも愛されてはいけない存在だと思うなら…」
そこまで一気にまくし立てると、一息置いた。
「あんたが、何に苦しんでるとか、オレ、ぜんぜん知らないけど、あんたが苦しんでるのは知ってる。」
私は言葉が返せないままただ、彼の言葉を聴いている。
「あんたが、何を我慢してるのとか、オレ、ぜんぜん知らないけど、あんたが我慢してるのは知ってる。」
私はただただ、彼をまっすぐ見て、その言葉を聴くばかり。
「オレ、あんたを守るんだ。あんたが恐れてるものとかから、オレ、守るから。」
私の膝の上に置いた宝箱を奪って目にも留まらぬ速さで鍵を解いた。
「あんたは、見ないと駄目だ。」
そう言うと、再び私の膝の上に戻した。


息を呑んで、ゆっくりと開ける。
本当は恐くて、その手が震える。
開けると、1枚の写真が目に留まった。
父と母と、多分生まれたばかりの私だ。
母も父も笑っている。
写真を手に取る。
にじんだペンの痕を見つけ裏返す。


“私は幸せを探していた。でも、彼とこの子に出会って私は幸せと巡り合えた。”


やさしい、細い文字でそう書いてあった。
きっと母の文字なのだろう。
胸が熱くなった。
思わず、手で顔を覆う。


私はなんと恐ろしいことをしてきたのだろうか。
人はこうして愛されて生まれてくる。
私はどれだけの愛された人々を殺してきたのだろうか。
私は君に守られる資格がない。
私の命をが全ての償いに使えるなら、今すぐにでも絶ってしまいたい。
幸せを纏ってきて生まれたはずの私は、誰の心にも幸せを与えられず、ただただ不幸に貶めるだけだ。
まだ、償えない。
どれだけ私を他人が称えようと、感謝しようと、消えることはないのだ。


「ご、ご主人?」
「私は、君に守ってもらう価値はないんだ。」
嗚咽を抑えて、かすれた声を出す。
「な、なんで…そんなこと言うんだよ。」
彼はベッドの上に上がり、私を抱え込んだ。
小さい身体で精一杯私を包み込もうとする。
首筋に当たる、布越しのオートメイルの冷たさが身体を冷ます。
「あんたの苦しんでるもの、恐いもの、罪も、全てから守ってやるよ。」
きつく抱きしめられる。
苦しいが、落ち着いてきた。
「オレ、頼りないかもだけど、ち、ちっさいし…、だけど、あんたを守りたいんだよ。決めたんだよ。」
「……。」
「あんたは、だって、苦しんできたろ?もう十分だって。」
「……。」
「こんな牢獄作って、入って、足枷作って、付けて、あんた、守ってやってんじゃん。」
「……。」
「オレ、少しだけだけど知ってるんだよ。この家のこと、この家から出ると殺されちゃうんだろ。」
「……。」
「だから、大きくなる前に執事さんの子供を里子に出したり、身寄りのない孤児院で虐待受けてた子とかを使用人として迎えたりしたんだろ?」
「……。」
「この家を辞めたくならないように、勤めてきたんだろ?」
「……。」
「あんたのこと、みんな大好きだよ。」
「……。」
「知らなかっただろ?」


ああ、それでも私の心には届かない。
届けてはいけないのだ。
罪に抗ってはいけない。
私は間違いなく罪人。罪の証。


「オレさ、今までいっぱい人を殺してきたよ。」
「……。」
「生まれたばかりの子供を殺したこともある。幸せに満ち足りた母親の顔が一瞬でこの世の不幸を纏った顔になった。」
「……。」
「オレの作った爆弾で大勢の人が亡くなったよ。」
「……。」
「それでも、オレは生きるし、人に愛されたいし、人を愛したい。」
「……。」
「知ってる?テルスの業火。あれ、オレが作った爆弾なんだよ。」
「……。」
「死傷者10万人。」
「……。」


それだけ言うと、彼は私から離れた。
彼を見るとやさしい顔をしている。
心許ない間接照明のあかりに照らされた彼の顔はとても、美しく、洗練されて見えた。
湖の女神はこんな顔をしているのだろうか。


「あんたが不幸にした人間、殺してしまった人間なんて些細なもんだよ。」
強いまなざしに惹かれた。
彼は自分の罪をすべて認め、受け入れ、そして、ここに立っているのだ。
「オレはさ、誰か…誰でもいいんだけど、一人でも幸せにできたらいいと思ってるんだ。」
照れながら笑うその顔は、いつもの幼い彼ではない。
「だからさ、あんたは苦しまくていいんだよ。あんたが望んだことでも、なんでもないんだろ?」
そういうと、彼はほとんど氷の解けてしまったブランデーのグラスを私に持たせる。
「これでも、飲め。」
言われるままに口をつける。
気持ちのいい冷たさに、心が溶けた気がした。
「流石に薄いな。」
二人で笑いあった。


彼と出会ってよかったと、不思議と軽くなった心が言った。


私は彼女たちに何ができるか考えた。
許しは乞えない。
何も知らない彼女たちの為に何かがしたいと思った。


「私に何ができるだろうか。」
彼は至極当然とばかりに言った。
「長生きしたらいいんだよ。」
彼は笑う。極上の甘い香りを振りまくような、そんな、顔をして。
「長生きして、自分がやったことを後悔し続ければいいんだ。そして、忘れなければいいんだ。」
それは本当に、天使のような微笑。
「それがオレに…、人にできる唯一の贖罪だろ?」


私は彼にしがみついた。
抱きしめたのではない。
小さな子供のように彼にしがみついた。
「“誰か”は、あんたにするよ。あんたを幸せにしたい。」
あやすように頭をなでられる。
その手は小さく、細い。
「あんたが幸せになれば、執事さんもみんなうれしんだ。」
わたしは小さな光を感じた。
それは暖かく、やさしい。
「そうか。」
「なに?」
「だから、君を探したんだ。」
涙があふれる。


君は知らない私の罪。
軽蔑するか?
君は知らない私の秘密。


それでも、ひと時でもこの許された気持ちを味わえた事を幸せに思う。


真っ暗の森、私は歩いていた。
光も何もない。誰もいない。
木々もシンと静まり返っている。
足元さえも見えないはずなのに、私は問題なく歩いている。


気が付けば朝で、彼の膝の上で寝ていた。
彼は私に覆いかぶさる形で、寝息を立てている。
幸福な朝。


私の起きた気配に気づいてか、彼も起きる。
「おはよう。」
「おはおうごじゃます。」
ひとつ背伸びをして目をこする彼は、顔をクシュッとさせて明るくなった部屋がまぶしそうにしている。
彼の膝の上は気持ちがよかった。
このまま猫になってしまってもいい。
「あー、あんた早くどいてくれ。足が痺れて…」
膝の上にいつまでも居座ろうとする私の頭をぺちぺちと叩く。
「私はこのまま猫になりたい。」
「寝言は寝てるときに言え、って、まだ寝てるのか?」
「いや、起きてる。」
彼の膝を十分に堪能して身体を起こした。
「うおー、足が…」
「どければよかっただろうに。」
「だって、あんたの寝顔とか初めて見たし、起きそうだったから。」
彼は大きく背伸びをして、痺れの残る足で自室へ向かった。
サイドテーブルに置かれた宝箱の中にまだ何か入っているのを見つけた。
それは昆虫の羽根に見えた。
手にとってしまうと崩れそうな気がしたので、そのまま覗き込んだ。
トンボの羽のように見えるそれは、影になった宝箱の中でかすかに光を帯びていた。


経営者として名高かった祖父はまた、科学者としても有名だった。
いや、科学を続けるために経営をしたといっても過言ではないか。
当時まだ先駆けだったバイオ技術を発展させた権威者として、未だに功績を称えられている。
その祖父の唯一の汚点。
それが私の身体には住み着いている。
誰にも見せてはいけないし、触れさせてもいけない。
残した理由はただひとつ。自分の研究を愛していた。それだけだ。
祖父は泣きながら私に言った。
すまない、申し訳ないと。
まだ幼かった私は、わからないまま祖父は他界した。
自己陶酔。詭弁。傲慢で欲深い。それでも、私は祖父が大好きだった。
この身体には、死が詰まっている。
祖父の研究を知った科学者はこぞって研究成果を探した。
しかし、見つからず彼らは落胆した。
だが、祖父のことをよく知る科学者はそれが私にあることに気づいた。
父は私を守るため、祖父の研究を隠すため、私を隠した。
私が死んだら、この研究も闇に消えるというのに、祖父の酔狂さには感嘆する。


「だいたい、あんた重いんだよ。どけるにどけれなかったんだ。しっかり、しがみつかれてたしな。」
そういうと、身体を伸ばした。
朝食に向かう彼と偶然、一緒になったのだ。
「それはすまなかった。私もそのまま寝てしまうとは思ってもみなかった。」
朝日のような笑顔を向けられて、照れながら彼に笑顔を返す。
「あんた、笑えるんだ。笑った顔はじめてみた。」
目を見開いて驚いた顔をしたかと思ったら、花が咲いたように笑った。
「笑っていただろう?」
「不敵な笑みとか?引きつった笑いとか?あんた、顔キレイなんだからもっと笑ったらいいよ。」
アハハと声を上げながら彼は駆けて行く。
窓の外の景色がいつも以上に輝いているように見えた。


彼は、いつもと同じように豪快に食事を取った。
席は離れているが、彼を見るのはこの上なく楽しい。
ジャムを口の端につけて、次のパンへと手を伸ばす。
誰も取りはしないのにと思いながら、次から次に入れていく胃袋のことを考えると驚くしかない。


「あんたさ、頭に傷あるんだね。」
「ん?」
「この辺からこの辺くらいまでぱっくり。」
彼は頭を指でなぞった。結構な距離に驚いた。
「幼い頃に怪我でもしたんだろう。」
「あはは、仲間だな。傷仲間。」
彼は自室に駆けて戻った。
怪我…をした覚えはないが…。


そして、その日も朝から机につき仕事をする、サインをする手が軽い。
昼食前、執事を部屋に呼んだ。
「私の代で、マスタングを終わらせられればと思っている。」
執事は眉ひとつ動かさなかった。
「先代達には悪いが、この奇妙な家は私で終わらなければいけないと思うんだ。」
彼は静に私の声を聴いている。
「少しずつ、経営を外部に任せていこうと思う。」
静にかしこまりましたというと、彼は部屋を後にした。


祖父の罪は私に刻まれている。
そして、父の罪もまた、私に刻まれている。
いや、この家の存在自体がまた、罪なのだ。


静かな毎日と、穏やかな空気がこの家に広がっている。
毎日を淡々と過ごす。
君は時折私に笑いかけ、言葉を交わし、そして、…。


私はこんな日々がずっと続くと思っていた。







第5話
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